第5話
応接間のテーブルには、気持ちが落ち着くお茶の入った器が3つ。先ほどビオラがアルゼリアたちのために入れたものだ。
「それじゃあ。エドも来たからもう一度さっきの話をしてちょうだい」
椅子に座りながら涙目で睨みつけるアルゼリアに、ビオラは困ったように笑って口を開く。
「ジェレマイア殿下に一目惚れしたので、体調改善のためにお茶を入れて差し上げたいんです」
「は?」
驚きから目をまん丸にして、エドガーが声を漏らす。
「お前。正気か?」
「正気なわけないわ!ビオラ。あなた私のためにやろうとしてるでしょう!」
興奮したようにアルゼリアが立ち上がり、大きく首を振る。
「そんなこと貴方がする必要なんてないのよ。貴族の結婚は義務なの。今回の結婚によって、ラスウェル商店は大きな利益を手にしたわ。対価に見合う、責任を果たさないといけないのよ」
ラスウェル子爵家は小さな領土ながら、畜産業と鉱山から発掘される宝石の加工で有名だった。アルゼリアの父であるラスウェル子爵は一代で商店を大きく成長させ、今回の結婚によりさらに利益を手にすることが期待できた。
「この屋敷にお嬢様がいる。それだけて責任を十分に果たされていると思います。私が殿下のそばに行きたいのは、私個人の意思です!」
アルゼリアとずっと一緒にいたビオラは、彼女の責任感の強さは分かっていた。それでも、この結婚をさせたくなかった。
(――これは私のわがままだ。だから、私はお嬢様の迷惑にならないように、自分でやりたいようにやるんだ)
10年前にどこの子かも分からない自分を姉妹同然にしてくれたアルゼリアのためなら、ビオラは命だって惜しくなかった。
「とりあえず2人とも落ち着いてくれないか。ビオラは実際に何をやろうとしている?」
2人が立ち上がって興奮しているを見ていたエドガーが、ゆっくりと落ち着かせるように言った。
「殿下の体調が悪いのは本当なの。だから、その不調を治して差し上げれば、少しはイライラも減ると思う。あの体調だったら、多分一日中イライラしていてもおかしくないから」
「そんなにひどいのか?」
「見た目じゃ分からないけど、あの若さであんなに不調を抱えてる人は初めてです。原因は食事にありそうだけど、それでもお茶や薬湯で改善できるから」
「お茶や薬湯はいいわ。でも、殿下が好きっていう嘘はなんでつくの」
ビオラの向かいに座り直したアルゼリアが、ぎゅっと自分の手を握って言った。
「理由が他に浮かばなかったんです。それに、もう殿下に好きだと伝えてしまったので、嘘だって言う方が不敬だと思いますよ」
あはは、と笑うビオラに2人が驚く。
「そんなこと言って、殺されたらどうするつもりだったのよ!」
まさかジェレマイアに直接言っていたとは思っていなかったアルゼリアに問い詰められ、ビオラは助けを求めるようにエドガーを見る。
「なるほどな。……子爵家に影響を出さずにできるのか?」
「エド!」
「うん。殿下は噂ほど怖い方でもないかもしれない。それに、私のお茶の効果に価値を感じてくださったと思う」
「そうか。アルゼリア様。ビオラには何を言っても無駄ですよ。昔から頑固だったじゃないですか」
首を振って言うエドガーに、ビオラは確かにと頷く。自分でも自覚があるほどに頑固だった。特に、お嬢様関連では。
「ビオラ。お願い無理しないで。もし身の危険を感じたら、すぐにラスウェル領に帰るって約束してちょうだい」
ビオラを止めることが不可能だと感じたアルゼリアは、ビオラの手を握ってそう言った。せめて、危険が迫ったら自領に帰る約束をして欲しかった。
「大丈夫です。約束します」
(――万が一、私が殿下に代償を支払うことになったら、子爵家から切り離してもらって命で償おう)
ビオラはあくまでも子爵家の侍女だ。ジェレマイアに死罪を言い渡された場合、子爵家にとってそれほど影響は出ない。しかし、不敬を働いた後に、子爵領で保護してもらうなら話は別だ。そうなってくると、子爵家にも責任を問われかねない。
ビオラは口ではしっかりと約束をしたものの、心の中では全く反対のことを考えていた。
「エド。もしもそうなったら、ビオラをラスウェル領まで送り届けてね」
アルゼリアに見つめられたエドガーは、ちらりとビオラを見つめる。
(――エドガーさん。私たちでお嬢様を幸せにしましょう)
エドガーは勘が鋭い。おそらく自身の嘘を見破っていると感じたビオラは、エドガーの目を見つめて頷いた。
「ありがとう。ビオラ。約束しよう」
その言葉にぱっとアルゼリアの表情が明るくなる。信頼するエドガーが何かあればビオラを保護して自領へ向かってくれる、とそう彼女は思ったのだ。
「ありがとうございます。エドガーさん」
(――お嬢様に嘘をついてくれて。ありがとうございます)
喜ぶアルゼリアに笑顔を浮かべるビオラを見て、エドガーは一瞬痛ましそうな表情を浮かべる。が、ビオラの嘘を無駄にしないように、とすぐに表情を戻した。
「クレア様。どうやら殿下はすぐに屋敷を出られたそうで」
「あらあら。今回も長くは続かないみたいね」
ソファーにゆったりと座り、宝石のたくさんついた扇で顔を隠すようにジェレマイアの第二妃であるクレアが笑う。
「クレア様ほど魅力のない方だったのでしょう」
「まあ。仕方がないわね。確か田舎の子爵家出身よね。殿下も田舎臭くて長居する気にならなかったんだわ」
くすくすと女性たちの笑い声が響く。
悪口を楽しそうに言うクレアは豊満な体つきをしており、ふっくらとした唇もその横にあるほくろも魅力的だ。
入れ替わりの激しい第三妃とは異なり、第二妃であるクレアはジェレマイアに嫁いでからもう5年が経つ。第一妃が空席の今、クレアはジェレマイアに最も愛されているのは自分だと感じていた。
「殿下は今日もこちらには来ないのかしら?」
「そうですね。ご多忙な方ですから」
残念だわ、と切なそうな表情を浮かべてため息をついたクレアは、一転して意地悪そうな表情に変わる。
「そういえば。子爵令嬢は私の屋敷に直接挨拶に来ないつもりかしら?」
アルゼリアが屋敷へ到着した次の日。きちんと侍女を挨拶に向かわせていたが、本人が来ていないことにクレアは立腹していた。
「ミレイユ。あなた明日にでも子爵令嬢を呼んできてちょうだい」
「かしこまりました」
深く頭を下げる侍女を一瞥して、クレアはつまらなさそうに扇を床に投げた。
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