第4話
血糖値の急低下によるイライラ、寝不足、心理的不安、栄養失調、糖分・脂質過多。
「おい。聞いているのか?」
つやつやの肌からは想像のつかない不調に一瞬我を忘れていたビオラだが、ジェレマイアの少し苛立ったような声にはっとする。
「も、申し訳ございません。では、お茶をいれさせていただきます」
(――なんで殿下が栄養失調なの?しかも、血糖値の急低下は多分糖分過多から来ているのよね?王宮の料理人は何をしているの)
驚きながらもビオラは精神が落ち着き、快眠を促すお茶をいれていく。治療に効果的な薬草の名前も浮かんでいたが、薬湯をふるまうのは避けた。
流れるような無駄のない動きを、じっとジェレマイアが見つめる。お茶を入れる音だけが室内に響き、ビオラは緊張しながらも10年続けている動きなので難なくお茶を入れることができた。
「どうぞ。お熱いのでゆっくりとお飲みください」
ビオラが差し出した器を無言で受け取り、そのままゆっくりと口をつけた。
「美味くはないが、まずくもないな」
「はい。体のためのお茶ですから」
ジェレマイアの言葉に、ビオラがにっこりと笑顔で答える。あまり美味しくない薬草やお茶も、混ぜることによって普通に飲める味にしていた。そのブレンド自体に自信があるビオラは、ジェレマイアの言葉を誉め言葉ととらえて嬉しくなった。
先ほどまでの緊張していた顔から、一転。にこにこと嬉しそうな表情のビオラに、ジェレマイアはどこか拍子抜けした様子だ。
「お前は表情に全部出ているんだな」
「え?」
「この部屋は静かだな。……静かで居心地が良い」
そう言うと器に口をつけ、ジェレマイアが再び黙り込んだ。
目を閉じて、お茶の風味や温かさを味わっている様子だったので、ビオラはそんなジェレマイアを見つめながらそばに立っていた。
しばらく無言でお茶を飲み、全てを飲み終わったころにジェレマイアは口を開いた。
「お前はビオラといったな。子爵家に行く前はどこにいた?」
どうやら、ビオラが10年前から子爵家に住み込みで働いているのは、調査済みのようだった。
「実は10年前にお嬢様に拾っていただくまでの記憶が一切ありません。子爵様も調べてくださったんですが、何も分からなかったとおっしゃっていました」
「そうか」
(――お茶はもう全部ない。どうにか寝室に行くのを止めないと!)
「で、殿下は。どんな女性がお好きでしょうか?」
(――変な質問!切られてもおかしくないわ)
「何を聞くのかと思えば。不思議と腹が立ってこないな。このお茶のおかげか」
空になった器を掲げて、おかしそうにジェレマイアが笑う。
「こんなに落ち着いて、静かなのは久しぶりだ。気分が良い」
「それはよかったです。同じお茶はいつでもいれさせてただきますので」
「そうか。何か褒美を取らせようか。何が欲しい?」
(――ほ、褒美。これだわ。お嬢様から何か離すことができることを願わないと!)
「わ、私。殿下のことをお慕い申し上げております!」
「は?」
素性の知れぬ平民の、しかも第三妃付きの侍女の発言にジェレマイアは驚いた様子だ。
「ですので、殿下の体調を整えるお手伝いをさせてください。お願いします!」
(――もうこうなれば勢いよ!)
がばっと頭を下げてそう言うと、そのままの姿勢でビオラは止まった。
「何をしたいんだ?」
ジェレマイアの困惑したような声に、ばっと顔をあげる。
「お茶だけではなく、薬湯も入れさせていただきたいです。おそらく普段からお気分が悪かったり、眠りが浅かったりされるのではありませんか?」
「確かにそうだが……」
「こちらのお屋敷には侍女や使用人も十分に配置されておりますので、私が殿下のそばで少しだけ働かせていただくことは可能です。お嬢様もお許しいただけます」
ビオラが必死で食い下がる様子にジェレマイアは、眉間にしわを寄せて厳しい表情で立ち上がった。
「興が削がれた」
そう言うとくるりと身をひるがえし、扉の方へ歩いてく。
「明日から使いを送る」
扉から出ていく際に、そう言うと振り向かずにそのまま出て行った。
遠ざかっていく足跡を聞きながら、ビオラはその場に座り込んだ。
「こ、腰が抜けちゃった」
さすがに最後のは死んだと思った、とビオラは自分の体を抱きしめて震えた。
しばらく放心状態でいたが、ジェレマイアが立ち去ったことをアルゼリアに知らせねば、と立ち上がる。
屋敷の外で警備をしているエドガーは、唇を噛み締めながら立っていた。愛する女性がこれから本当に別の男の妻になってしまう。
(――それでも。お側でお守りさせていただけるのであれば)
その時、屋敷の外扉が開き、表情のないジェレマイアが現れた。
「馬車はそのままか」
「は、はい。すぐ近くに待機しておりますので、すぐ呼んで参ります」
頭を深く下げ言うと、ジェレマイアが少し黙り
「……いや、いい。風に当たりたい。そのまま警備していろ」
そう言うとジェレマイアは一人で門の方へ向かう。警備はいらないのか、とエドガーが思ったのと同時に、若いオレンジの髪の青年が急に現れた。
「殿下!今日はもうお帰りですか?」
全身を黒い衣で身を包んでいるライは、ジェレマイアの影のトップだった。王族がそれぞれ自身の影を持っており、その業務は護衛から他者の暗殺まで幅広い。その中でもライは常にジェレマイアのそばにおり、ジェレマイアの身を守っている。
「ああ」
「あんなに綺麗な奥さんなのに、もう少し長居をしたらどうですか?」
笑顔で失礼な発言をするライに、近くで聞いているエドガーはハラハラしてしまう。
「それよりも調べたいことがある。着いてこい」
ライの無礼な態度には一切触れず、そう言うとジェレマイアはライを連れて馬車の方へ向かった。
「アルゼリア様は?」
2人の姿が見えなくると、エドガーは近くで待機している警備兵に門の警備を頼み、屋敷の中に入った。
「あ!エドガーさん!今ちょうど呼びにいこうと思っていたんです」
「エド!!あなたからもビオラを止めてちょうだい!」
屋敷の中にはエドガーに笑顔で手を振るビオラと、その腰あたりに抱きついて叫ぶアルゼリアの姿。
「いったい。どんな状況なんだ?」
困ったように言うエドガーに、アルゼリアがビオラから離れて彼に駆け寄った。
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