この恋の倍速再生を止めたい 第5話
「『青の洞窟。渋谷駅のハチ公口を抜けた先、代々木公園通り沿いのけやき並木を77万球の電飾が青く照らすイルミネーションイベント。イタリア南部のカプリ島にある観光名所「青の洞窟」が名前の由来。初回の開催は2016年。』へえ……」
ショウは、アパートの部屋でスマホを片手にネットで検索をしていた。いくつか季節のイベントを紹介するウェブサイトを読みながら、概要を掴もうとしていた。
実のところ、ショウはイルミネーションというものにあまり興味がなかった。そりゃあ実際に目の前にすれば「キレイだな」くらいの感想は出るだろうし、輝く光の渦に圧倒されるという非日常感に多少なりとも興奮しないでもない。
ただ、それが時間の使い方として「タイパが良いのか」を想うとやや懐疑的であった。まず第一に、なにより寒い。12月の東京は雪が降ることこそ少ないものの、とにかく冷える。こんな時期に野外で何十分も、ましてや何時間も出歩くのが建設的な行為だとは思えない。家で暖を取りながら動画サイトでも見ている方がよっぽど有意義な時間の過ごし方ではないか? 第二に、そもそもイルミネーションなぞ特定の人間が商業的な意図をもって作為的に設置したのであって、そんなものを見て回る行為はなんともナンセンスな気がする。
もちろん、こんなこといちいち口に出しては言わない。ちょっとペシミストっぽいし、客観的にみて単純にノリが悪い。友人から誘われれば、「いいね」と答えて付き合う。だからショウはイルミネーションというものに対しては、あくまで他者とのコミュニケーションツールであり、円滑な交流の時間を獲得するためのコストとして捉えている側面が大きかった。
「ま、別に嫌いってわけじゃないんだけどな」
誰に言い訳するでもなし、独り言ちて、スマホを閉じる。そう、別に嫌なわけではないのだ。ちょっと面倒くさいだけで。なにより、アヤカとのデートであり、これは必要なコストなんだ、行ってみれば楽しいに違いないと、自分に言い聞かせるのであった。
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『退院が決まりました!15日です』
試験の直前の土曜日、最後の追い込みと家で勉強をしていたショウに、アヤカから退院日のメッセージが届いた。机から顔を上げ、返事を返す。
『おめでとう!』
『お見舞い行こうか?』
『平日の朝10時だし、無理しなくていいよ』
『試験がんばってね!』
スマホを閉じ、机に向き直る。初めてのデートを楽しむためにも、まずは目の前の試験に集中しなければ……。もうひと頑張りしようと思い立ち、キッチンへ向かい電気ケトルのスイッチをオン。ドリップでコーヒーを淹れる。待っている間にパーラメントへ火を点ける。
ふとショウは自身の生活の中で、タバコだけは実に「タイパ」の悪い娯楽だと思った。わざわざ金を払って臭い煙を吸引し、積極的に身体を悪くする行為に合理性など微塵も感じない。だがショウは、タバコに火を点け、そして消えるまでの数分間がきらいではなかった。確か吸い始めたきっかけは学生時代のバイト。働いていた中華料理屋の店に来る客は、たいてい酔っぱらって煙草を忘れて帰ってしまう(そして得てして取りに戻ってこない)ため、店には常にいろんな銘柄のタバコが大量に溜まっていた。捨てるのももったいないとそのままにしてあったものを、店長に許可をもらって1本もらったのが初めての喫煙だった。
そういえばタバコを吸うのは「幼児が指しゃぶりをしたり母親の乳首を吸う心理と同じ」だという記事を何かで見たことがある。本当にそんな論文があるのか、統計的に正しいデータなのかは知らないが、妙に納得させられるたとえ話だと思う。
結局のところ、これは自身の幼児性心理の表れなのだ、と苦笑しながらパーラメントの先を灰皿へ押し付けた。
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24日。その日は日曜日だった。アヤカの身体を慮って、最も混雑しそうな日は避けようと別日の打診もしたのだが、アヤカはどうしても24日にこだわった。まあ確かに、平日は仕事で遅くなる可能性があるし、土曜の混雑も日曜とさほど変わらないだろう。せめてもの配慮ということで、人の少なそうな日の落ちきる前、夕方17時頃に集合とした。
待ち合わせ場所は、ベタだけどハチ公前にした。ここなら間違えようがないし、駅から歩いていけば効率よくイルミネーションを見ることができる。
いつもよりやや緊張した面持ちで、ショウはハチ公前にいた。時間は15分前。空は少しずつ暗くなり始めており、周りには同じ考えのカップル連れと思しき若い男女の片割れ達がスマホとにらめっこしている。
しかし、初デートなのに何も準備しなくてよかったのだろうか。レストランの予約とか、その"後"のこととか……。ショウは自身の段取りの悪さにほぞを噛む思いであった。映画やドラマでよくあるテンプレートならば、こういう時は夜景の見えるレストランで、豪華なクリスマスディナーとやらを予約しておいて、「夜景きれいだね」「君の方がきれいだよ」「今日は帰りたくない」「部屋とってあるよ」みたいなアホ丸出しの会話をするのがお約束なのではないだろうか。
だが、ショウにはもう一つ踏み切れない理由があった。もちろん、自身の恋愛経験の少なさから、段取りを失敗したことは否定しない。ただそれとは別に、アヤカに会ってから今まで、ずっと気にかかっていることがあった。
アヤカの病名。結局、いままで一度も聞いていない。今回退院することになったのでひと安心していたのだが、そもそもどんな症状で、どういう配慮が必要なのか、よくわかっていなかった。だから、あまり身体に負担がかかるようなことはしたくなかったし、何かあればすぐにアヤカの家(虎ノ門のマンションと言っていた)に送れるようにしてあげたかったのだ。
そんなことを考えながらぼんやりとしていると、スマホが震えた。
『ついたよ』
アヤカからのメッセージ。返事を送る。
『ハチ公前にいるよ』
『人が多すぎてわからない』
『像の前?』
これは通話した方が早いかなと思いつつ、銀座線ホームにつながる階段を見やる。アヤカは虎ノ門から来るはずなので、銀座線の出口を見ておけばいい。あ、いた。あたりをキョロキョロとしている。
「おーい」
大声を出すと恥ずかしいので、少し小さめの声でアヤカを呼びながら手を振ってみる。こちらに気付いた。小走りで駆け寄ってくる。
「遅くなってごめんなさい……!」
「大丈夫、時間ぴったり」
「人がすごいね」
アヤカは、膝下まである白いロングコートを羽織り、黒い毛糸のマフラーと、白い毛糸の手袋をしていた。バッグは小さめで、いかにも女の子っぽい。「容積が少なすぎて本来の用途を果たせないのではないか」とどうでもいい疑問を払い、改めて顔を見る。薄く化粧をしているようだ。いつもより血色がいい気がする。唇もほんのりと赤い。白髪が気になっていた髪は、黒く艶めいていてきれいだ。素直に、とても可愛いと思う。
「じゃ、行こうか?」
自身の中に産まれた気恥ずかしさを消そうと、先導して歩き出そうとする。人の流れを見ても、たぶんこちらの方面で合ってるだろう。
「あっ……」
アヤカが何かを言いかけて、やめた。恥ずかしそうな、悲しいような顔をしている。あー、自分ってほんとバカ。デートなんだから、2人で突っ立って歩いていくわけにもいかないだろうに。あー、でも何だか恥ずかしいな。こんなこと臆面もなくできる周りのカップルは本当にすごいと思うぞ。というか、これが2人の初デートなんだから、微妙に距離感を掴みかねてしまうのは仕方ない。勇気を出そう。距離を縮めよう。そのためのデートなんだから。
「あー、はぐれると迷子になるし、手つなぐ?」
「うん……!」
右手を差し出すと、アヤカはとても嬉しそうに左手を差し出してくる。手袋越しの手に触れて、つなぐ。……と思ったら、今しがた繋いだ手をほどき、慌てて手袋を外した。
「……行こっか」
「あ、ああ……」
初めて触れた、アヤカの手。その手はとても暖かかった。女の子の手。意識すると、どうにも緊張してしまう。手汗かいたら嫌われるかな、などと考えながら歩き出した。
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「きれいだね」
「この辺からもう既に結構すごいよな」
「そういえば、試験はどうだったの?受かった?」
「んー、たぶん大丈夫だと思うけど。結果発表は1月末だから」
「そうなんだ」
2人並んで、代々木公園へと向かう道を歩く。この先にあるけやき並木が、最も電飾の多いイルミネーションのメインスポットだ。
「うわー、すごい……」
「おー、確かにこれはすごいな」
それはまさしく「青の洞窟」というにふさわしい景観だった。左右にずらっと並んだ一面の並木に、まばゆい青の電飾がこれでもかとちりばめられている。まるで、身体全体が青い光の中に包まれたような、さながら光の海を泳いでいるような、幻想的な空間だった。
「私、こんなの初めて見たかも」
「俺も。あんまりイルミネーションとか行ったことなくて」
「え、そうなんだ。意外。彼女とかと行ったりしないの?」
「彼女はいない……。だから今日もこうして二人で来てるし」
「うん……。ありがとう」
青の洞窟を歩く。今年は例年と異なりマーケットが出ているようで、イルミネーションを鑑賞しているカップルだけでなく、雑貨や食品を求める家族連れであふれている。特に見るともなしに店頭を物色していると、その中に見知った顔があった。こちらに気付いたようで、話しかけてくる。
「あれ、ショウじゃん」
「あ……ああ、ヒカルか?」
そこには、女性と腕を組んだヒカルがいた。べったりとくっついている隣にいる女性は、おそらくヒカルの彼女だろう。
「偶然だなー。あ、紹介するわ。彼女のマユちゃん。こないだのコンパで出会ったんだぜ? マユちゃん、こいつは大学の学部が同じだった、ショウね」
「こんばんわ、ショウさん。マユでーす」
「ど、どうも……」
「最近妙に付き合い悪いと思ったら、彼女できてたんか。俺には言わないんだもんなあ」
「いや、彼女じゃないっていうか、なんつーか」
「え?だって手つないでるじゃん。紹介してくれよ」
慌てて手を離す。一人きりになった右手に冷気が当たる。冷たい。なんで、手を離しちゃったんだろう。気恥ずかしさもあるけど、何かを考えるより先に身体が動いていた。なんとなく、コイツにイジられるのが嫌だったのだ。だって、そもそも本当に付き合ってないし。でも、デートに来てるんだから、もう付き合ってるみたいなもんか? でも、告白もしてないし……。ぐるぐると廻る思考の中、ショウは自らの軽率な行動を悔いていた。アヤカが間を埋めるように、自己紹介をした。
「野津、あやかです。よろしくお願いします。ショウくんとは、まだ出会ったばかりで、お付き合いは、してないんです」
「ノツアヤカ……。なるほど、アヤカちゃんね。俺、ショウの友達のヒカル。よろしくね。もう奥のツリーみた? 結構すごいよ」
「ねえヒカルぅ、邪魔しちゃ彼女さんにも悪いからさー、もう行こうよ」
「おう、そうだな。じゃショウ、アヤカちゃん、またね」
ヒカルとマユは、腕を組んだまま渋谷駅方面へ歩いていった。ショウは、なんとなく離した手を繋げずに、アヤカに向き直った。沈黙が流れている。何か話さなければ……。しかし、口から出たのは、なんとも間抜けで無難な言葉だった。
「……とりあえず、ツリー見てみる?」
「……はい」
先ほどよりも少し離れて、2人で歩き出す。少し前まではとても楽しい時間だったはずなのに、今は苦しい。とても気まずい空気が流れている。おそらく、アヤカも同じ気持ちだろうと察せられた。手袋をしていないアヤカの手が、歩く速度に合わせて寂しそうにぷらぷらと揺れている。
クリスマスツリー前は、写真撮影をするカップル達でごった返していた。みな一様にスマホを掲げて写真を撮っている。ツリーの正面には順番待ちもできているようだ。だが、それだけ巨大で豪奢なツリーをみても、いまは素直に喜べる心境ではなかった。
謝らなければ。何を? 手を離してしまったこと? なぜ手を離してしまったのか? アヤカのことが嫌いだから? そんなわけがない。嫌いだったらデートにすら来ていない。アヤカのことが好き? もちろん嫌いではない。でも好きっていうのは愛しているってことで、愛しているってことはもっと時間をかけて真剣に考えたうえで出すべき結論? まだ会ってから1か月くらいしか経ってない? 時間は関係ない。これからどうする? 何を言うべきだ? 思考が混乱している……。
何か言わなければと煩悶しているショウをじっと見つめて、アヤカが口を開いた。
「あの……今日は本当にありがとうございました。わざわざ、クリスマスイブに、デートしてくれて。うれしかったです。会ったばかりでいきなり、こんなわけのわからない私の誘いに乗ってくれて。イブにイルミネーション見るのが夢だったから、夢が半分叶いました。ありがとう」
ああ……。気を遣わせている。自分が不甲斐ないばかりに。こんなことを言わせたいわけじゃないのに。
「ショウくんには、ショウくんの都合がありますよね。友達もいて、女の子とだって遊んだりして」
違う……。
「なんか私、舞い上がってたみたいです。ごめんなさい。自分だけ勘違いしちゃって。私、あんまりこういう経験ないから、わかんなくて」
違う……。
「そろそろ、帰りましょうか? 寒くなってきたし、もうツリーも見れたし、私、もう、まんぞく……」
涙声になったアヤカの口を、ふさいだ。その先を聞きたくなかったし、言わせたくなかった。何より、今の自分の気持ちを伝えるのに、これ以上の方法はないと思った。ショウは、アヤカの唇に、自らの唇を重ね合わせていた。
どのくらいそうしていたのだろう。数秒くらいだった気もするし、もっと長かったような気もする。息が苦しいことに気付いて、どちらからともなく唇を離した。呆然としているアヤカに向かって、言った。
「勘違いさせるようなことして、ごめん。はっきりしてなくて、ごめん。ちゃんと、言いたい、です。言いたいことが、あります」
「僕は、君が、好きです」
「まだ出会って少ししか経ってないけど、好きになってます。こんなこというと浮ついてるとか思われるかもしれないけど、これからも一緒にいたいです。もっと時間をかけて、お互いのことを知っていきたい、そのために」
「僕と、付き合ってください。恋人として」
アヤカは、変わらず呆然としていた。その表情が、みるみるうちにくしゃくしゃになって、涙があふれてきた。そのあと、無理に作り笑いをするものだから、もっとぐしゃぐしゃの顔になって、それでも笑っていた。
「ありがとう……ありがとう……っ。私も、ショウくんが、好き、です……」
いつの間にか、2人とも泣いていた。泣きながら、抱き合っていた。くっついた身体は、とても暖かった。
「そういえば、夢のもう半分って何? 俺にできることあるかな?」
「それもいま、叶ったんです。だから、ありがとう……」
寒さも、周りのカップルの好奇の視線も、気にならなかった。クリスマスツリーの青い光が、いつまでも2人を照らしていた。
(つづく)
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