この恋の倍速再生を止めたい 第4話

 『だんだんは、ありがとうって意味です』

 

 『そうなんですね。方言ですか?』

 

 『はい。島根弁?かな』

 

 『アヤカさんって、島根出身なんですね』

  

 『そうです。松江ってところ』

 『あと、ショウくん敬語じゃなくていいですよ』

 『たぶん、私より年上だし』


 『じゃあ、アヤカさんも敬語じゃなくていいよ』

 『俺は、東京出身。渋谷育ち』


 『都会っ子だ!』


 『まあ、学生の頃遊んでたってだけだけど。実家は江古田』


 『わからんw』


 『だよなw』


 ショウは電車に揺られながら、アヤカとメッセージのやり取りを続けていた。少しずつ、彼女について知っていることが増えていく。彼女が、自分のことを知っていく。それが無性にうれしかった。


 本当は、もっとたくさん聞きたいことがあった。学生なのか、仕事をしているのか、いつから入院しているのか、何の病気なのか、なんで自分を待っていてくれたのか――。


 なんとなく、スマホ上のやりとりで聞くことが憚られた。話の展開によっては暗い方向に転がる可能性もあるだろうし、会ったばかりの相手の個人情報をいろいろ聞き出すことは好ましくないことのように感じられたからだ。コンパで知り合ったわけでもなし、ましてや病院で出会ったアヤカである。スマホのメッセージでの会話は、当たり障りのない話題を提供し合いながら、少しずつ距離を縮めるくらいの用途が適切だろうとショウは考えていた。ただ、その緩慢さに若干のもどかしさを感じないではなかった。


 『体調はどう?大丈夫?』


 やり取りが途切れたのち少し経って、追加でメッセージを送った。が、「既読」マークが付かない。何かあったのだろうかと思ったが、なんのことはない、消灯時間になったのだろう。ショウはスマホをポケットへしまい込み、これからアヤカとはどのような関係性になっていくのかをぼんやりと考えていた。


 -


 朝。枕元に置いたスマホが、連続で鳴動していた。いつもの起床時間より早く目が覚めた。ケトルでコーヒーを作る間、スマホに目を通すと、アヤカからメッセージが届いていた。


 『おはよー』

 『改めて、昨日はありがとうございました』

 『ショウくんが来てくれて、すごくうれしかったです』

 『体調は、すこぶる万全です』


 『おはよ』

 『それは良かったです』


 クマのキャラクターが「OK!!」と言いながら親指を立てているスタンプを送る。文字だけだと無味乾燥な感じがしてしまうが、かといって絵文字を大量に使うと年配の方が書いた文章っぽく見える気がする。スタンプは、ちょうどいい距離感で好意的な感情を示すことができて便利だ。


 『お仕事がんばってください』


 ネコっぽい生き物が「Fight」と書かれた旗を振っているスタンプが送られてきた。ネコっぽい生き物は「応援しちょーけん」と言っている。しちょーけんってどういう意味だろう。文脈から勘案するに、「応援してます」といったニュアンスだろうか。


 朝から少しだけうれしい気分になり、会社へ向かう支度をする。せっかく早く起きたのだから、ダラダラするのは時間がもったいない。たまには早めに出社するのもいいだろう。ショウは、ここしばらくなかった生活の張りやうるおいのようなものが、ほのかに湧き上がってきているのを感じていた。


-


 出社後、ショウは平井と雑談をしていた。

 

 「平井さん、しばらく休暇なんですか?」

 「ああ、今のプロジェクトがいったんストップになったからな。年末は病院行っても先生に会えないこと多いし。3週間くらい休んで、そのまま正月休みに入ろうかと」

 「プロジェクトがストップって、ウチの会社大丈夫ですか?」

 「まあ、うちはCSOだからねー。あくまでメーカーの製品を代理で販売する役割だから、メーカーがストップと言えばストップなのよ。よくあること。オンコロジーとかは動いてるみたいだけど」


 オンコロジーとは、主にがんの原因や治療などの専門分野を担当する部門だ。専門性が高いためCSOでやれる会社は中々なく、ウチの花形になっている。ちなみに、自分と平井さんが属する首都圏営業部4課は、小規模なクリニックと、ごく一部の大病院へ向けた新薬の情報提供がメインだ。


 「まあ、木下も認定試験の勉強だけはしっかりやっといて。落ちたら肩見せまいぞ。あとはまあ、適当に待機しつつ、本格的に動き始めるのは年明けかなあ」

 「はい、わかりました」


 試験は12月の第2日曜日にある。あと約2週間後だ。それまでは勉強に時間を割かなければならないと自戒しつつも、多少は自由な時間が作りやすくなるかもしれないという期待が頭をもたげていた。


-


 いつもより早めに業務を切り上げたショウは、スマホでメッセージを送っていた。


 『いま仕事終わったんだけど、今から病院行っていいですか?』


 ややあって、アヤカからの返信。


 『ぜひ来てください!』


 了承の旨と、ネコっぽい生き物が両手を広げて「カモン!!」と言っているスタンプが送られてきた。お互いが敬語に戻っていることに苦笑しつつ、ショウは着いたら連絡する旨を返信し、赤坂見附方面行きの電車へ乗り込んだ。


 病院の玄関から、到着のメッセージを送る。

 

 『ついた』


 『はやい』

 『203号室です』


 返信はすぐに返ってきた。メッセージをやり取りしつつ、院内へ向かう。今日は面会時間内だし、外じゃなく病室で会おうと話していた。外はやっぱり寒いし。


 受付で、面会の手続きをする。「203号室のアヤカさんへお見舞い」の旨を伝えると、2階へ促された。病室のネームプレートには「203 野津 あやか 様」と記載してある。アヤカの本名を初めて知った。のづ……?のつ……?なんと読むのだろう。ドアをノックし、返事を待ってから入室する。個室があてがわれているようだ。


 「こんばんは」

 「あ……いらっしゃい。来てくれてありがとう。こっち座って」

 

 アヤカに丸椅子を勧められ、座る。なんだか緊張している。入院患者の病室という慣れない空間のせいなのか、アヤカと二人きりだからなのか、もしくはその両方か。普段は医局しか行かないため、病室に入る機会は多くはない。ベッドに座ったまま、上半身だけを布団から出したアヤカと向き合う。


 「今日も会いにきてくれて、ありがとうございます」

 「別にいいよ。俺も、その、来たかったし」

 「うれしいです……ほんとうに」


 アヤカは、穏やかに微笑んでいる。本当に嬉しそうだ。


 「ショウくんは、病院向けの営業?のお仕事でしたっけ?」

 「そうそう、MR。ここみたいにデカイ病院じゃなくて、個人の開業医さんとか、もう少し小さめの病院が多いけど」

 「すごい、立派なお仕事ですね」

 「あ、ありがとう……」


 なんだか、面と向かって言われると照れくさい。それも、自分が好意を向けている女性から。面映ゆい、なんて思わず映画か何かで聞きかじった普段使わない言葉が想起されるくらい、舞い上がってしまっている。この勢いなら、ちょっと聞きづらいことも聞けるかもしれない。


 「その……言いづらかったら良いんだけど、アヤカさんは学生さん?」

 「はい、そうです。3回生です。休学中ですけど」


 3回生ってのは、3年生ってことだろう。確か、関西の大学と、一部の関東の大学は、「回生」という言い方をする。ってことは、ダブりがなければ2歳年下か。


 「そうなんだ、大変だね。体調は、悪くないんだ?」

 「はい、すこぶる元気です!」

 「その……病気は結構、軽い感じ? 退院とかは……?」

 「うーん……あんまり軽くはないんですけど、いまは小康状態っていうのかな?落ち着いてるみたい。点滴して、経過を見ながらですけど、退院もできるかもって先生が言ってました」


 とりあえず、ホッとした。改めて、まじまじとアヤカを見る。やっぱり美人だ。そしてかわいい。ただ、長い黒髪は目を惹くが、女性に対して失礼とは思いつつも、少し白髪が多いような気がする。肌もちょっと乾燥しているような……。まあ入院生活が続けば、ケアができないこともあるよな。ってやば、無遠慮に見つめ過ぎた。無言の間を打ち切って、アヤカが言った。


 「あの、良かったら、退院したらデートしてくれませんか?」


 「!」


 今まで、これほど積極的な女性に会ったことはない。まだ会って3回目だというのに、もうデートの誘いがあるとは。しかも、女性の側から。


 いや、でもよく考えてみよう。そもそも男性からデートの誘いをしなければならないというのも、実にステレオタイプな考え方ではないか?社会が作り上げた「理想的な男性像」というやつだ。それにデートだって、何も特別なことをするわけではない。男女で遊びにいって、ご飯を食べたり、映画をみたり、ショッピングしたりすることを「デート」と称することもあるだろう。そもそも、「仲良くなったからデートをする」のではなく、「仲良くなるためにデートをする」のではないか?


 ショウは、自身の恋愛経験の少なさから、デートという言葉に異様に反応してしまい、一瞬でここまで思考を廻らせた自分に内心で苦笑していた。なんのかんのと色々と言いたててはいるが、結局のところ、ものすごくうれしいのだから。


 アヤカが、返事を待っている。落ち着いてはいるが、ちょっと不安そうかも。目は見開いて、口はへの字にぎゅっとむすんで、頬はちょっと赤く、身体はぴんと張りつめたまま、ふるふるとわずかに震えているような気がする。


 好きな女の子に、こんな恥をかかせるようなことをしてはいけない。「男らしく」びしっと、返事をしなければ。これだけは、ステレオタイプな男性像でありたい。


 「うん、行こう。どこか行きたいところある?」

 「わ……ありがとう……うれしいです……」


 感極まった様子で、アヤカが目元を入院着の袖で押さえている。涙が出るほどうれしかったのか。それとも断られなくてほっとしたという安堵か。はたまた返事が遅くて心配させてしまったのか。ショウは、泣いたアヤカをみて、場繋ぎのように謝ってしまった。


 「あ、ご、ごめん……なんか、ごめん。なんか、マズかった?」

 「ちがう……違います……うれしくて……」


少し経って、落ち着いてからアヤカは言った。


「もうすぐクリスマスだから、イルミネーションを見に行きたいです」


「あー、そうだね。良いかもね。その頃なら試験も終わってるし」


「え、試験って?」


「MRの認定試験ってのがあって、それが12月の2周目にあるんだ」


「じゃあ、デートなんかしてる場合じゃ、ないんじゃないですか?」


アヤカは、また不安そうな顔になる。が、「アヤカ自身がデートに行きたい気持ち」と同じくらい、「こちらの都合を気遣う気持ち」も感じた。だから、強がりではなく、本当の気持ちで答えた。


「別にちょっとくらいは大丈夫だよ。大丈夫だから、行こう。イルミネーション」


「うん……ありがとう……いきたいです。ショウくんと、イルミネーション見に、行きたい」


「イルミネーションも色々あるよなー。都内は特に。横浜の方とかもキレイらしいけど。なんかリクエストあるかな?」


「私、「青の洞窟」に行ってみたいです」


(つづく)

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