第5話あの女

 ミリアムを引き連れてレクスは公爵邸の廊下を歩く。

 昨日は確認する余裕も無かったが、改めて歩いて、自らの住んでいる建物が豪邸だという事を実感した。 

 地面に敷き詰められた絨毯に汚れも見当たらず、窓ガラスに曇り一つなく磨かれている。

 爽やかな朝の雰囲気の中、レクスは少し遅れて着いてくるミリアムに告げる。


「ミリアムよ?」

「はい? 何でしょうか」

「これから、俺の格好良い所を見せてやる。期待しているんだぞ……?」

「あ、はい。そうですね……」


 朝からこの調子のレクスの発言に最早引いた様子も見せずに答えるミリアム。

 ミリアムは上の空だった。

 彼女の心を占めているのは不安――。

 隣を歩く男のたわごとを。まともに理解する余裕などは無いのだ。




「……おはようございます。レクス様」

 

 廊下を、向かい側から歩いてくるメイドが挨拶する。


「うむ。おはよう」

「……!?」


 長い廊下を進む中、すれ違うメイドの一人、一人にレクスは最高のキメ顔スマイルでの挨拶を返す。

 その様子は、メイドたちを驚かせた。

 今までは、彼に挨拶をしても気にも留められる事は無かった。

 それが、今朝は、彼は何やら満面の笑みを浮かべながら挨拶を返す。


 ――この俺の整った顔ハンサム・フェイスに見惚れているようだな?


 そんなメイド達の様子に、レクスはニヤけづらを浮かべる。

 前世に置いても自己顕示が強い怪盗であった事。

 そして、今世においても自己愛が強かった事が掛け合わさり、今の彼は、非常にアレな性格となっている。


「あ、あの……レクス様……」

「さっきから、なんなのだミリアムよ……」

「あのですね……」


 歯切れの悪いミリアムは先程から視線でレクスに訴えかけていた。


「言いたいことがあるのなら言うのだぞ?」

「なんといいますか……(やめてくださいよ……、どうせ、勝てませんて……)」


 朝から自分の主人とも言えるこの少年の機嫌はすこぶる良い。

 だが、彼がご機嫌な事がミリアムは余計に怖かった。

 昨日もあの女性に敗北を喫した後のレクスの大荒れを思い出すと、今の彼の状態がまるで嵐の前の静けさのように見えてしまう。

 ミリアムはレクスの無謀な挑戦を止めたかった。


 しかし、


「ああ、そうか……、もしかして――?」

「なんですか?」

 

 何かを思いついた様子のレクスをミリアムは見つめる。

 もしかして自分の願いが彼に届いたのかと淡い期待を持つが。


「お前は俺の顔がよく見たいのだな?」

「え――。いや……あの……」

「俺のよーく整った顔を……ふふ? 好きなだけ見るが良い……。俺は心がとても広いのだからな……」

「え、あ……はい」

「ふっ、分かってくれてなによりだ……」

「はい……」


 しかし、ミリアムの切なる願いは遂に目の前の勘違い男ナルシストに届く事は無かった――。






「もうひと押ししたいものだ……。皆の労を労うような……。そうだ、アレをやるか……」


 廊下を歩きながらレクスは考える。

 昨日までの自分のイメージは悪かった。

 そのイメージの回復の為にできる事は、何か――と

 前からメイドが歩いてくる、いつも挨拶をしてくれる見知った顔のメイドだ――。


「やるか……」


 レクスは、意深くタイミングを見計らう。


「おはようございます、レクスさ……」


 ま、と続け会釈しようとするメイドの言葉を待たずに、レクスは素早く距離を詰めると、壁に素早くその手を叩きつける。


 ドンッ――!

 と、一つ鈍い音がした。


 そして、メイドの瞳を見つめてキメ顔で挨拶をする。


「ああ、おはよう……」


 そう、それは所謂――壁ドンだ。


「ま……ひぃッ!!(な、何ッ! 突然……)」


 驚愕に染まるメイドの顔。


 ――決まった。


 壁ドン――。

 それは、鈴木守の世界に置いて、一躍ブームを引き起こした、異性への積極的アプローチ法だ。

 男からすれば理解するのが非常に非常に困難な事だが、巷の女性たちは、容姿の良い男性、即ちイケメンから、壁ドンをされる事にときめいてしまうらしい。

 聞けば、壁ドンカフェなる金銭を払ってまで壁ドンをやってもらいたがる女性も存在するらしい。


 ――そう、つまり容姿の良い男性、すなわちイケメンの俺から壁ドンをされる事は、女性にとっての喜び……。


 異世界の知識を得たレクスはそれをすぐさまに実行に移したのだ。


(な、何やってるの、この人……)


 思わず、上の空だったミリアムも唖然とした表情でレクスを見る。


「どうだ……?」


 レクスは、メイドに問いかける。口元にニヤけづらを浮かべながら。


「あの……、その。はい?」

「俺は、良かったのかと聞いている……」


 レクスはメイドを問い詰める。


「あの、そのはいぃ――ッ!」


 レクスの言葉の圧に恐怖を感じメイドは悲鳴を上げて、逃げ出した。


「やはり、世界は変わっても、女は同じ……ということだな……」


(何言ってるのこの人……)


 何やら納得した様子のレクスに、ミリアムは困惑する。


「おはようご……」


 ドンッ――。


「ああ、おはよう」


 ドンッ――。

 法則性を見つけたレクスは、すぐ様にすれ違うメイド達に壁ドンの三連撃ハットトリックを決めた。

 一人は失神し、一人は逃げ出してしまった。


(本当……何をやってるんですか……ッ!)


 再び、あんぐりと口を開けたミリアム。


「ああ、ミリアムよ……今のは壁ドンと言ってだな……? 女は俺のようなイケメンにあれをされるとときめいてしまうらしいのだ……。たまには皆を労わなければならんと思ってな?」

「はい……?」


 困惑した様子のミリアム。


「何だ、お前もやって欲しいのか……?」

「い、いえ……。大丈夫です……ッ!(意味がわからないよッ!)」

「遠慮することはないぞ……?」

「いえ……、大丈夫ですよ……ッ!」


 そんな、会話をしながら廊下を進むと、レクスは父ハロルドと、弟のアランに会った。

 ハロルドは、齢40を過ぎるが、精悍な顔つきをした美丈夫、服の上からでもわかる鍛え抜かれた体は、仕立ての良い服を下から押し上げていた。

 レクスの暮らすエルロード王国、有数の武門の当主ともあり、国内屈指の実力者でもある。


 そして、その隣のアランは、一つ年下の腹違いの弟だ。

 少し気の弱そうな中性的な顔立ちをしている。

 シナリオ通りなら、ハロルド公爵亡き後、サセックス家は追放され死亡した長男である、レクスの代わりにアランが継ぐことになる。


「おはよう、レクス」

「ああ、おはよう、父上」

「ところでレクスよ、昨日は…―」

 

 ハロルドは昨日自分の息子が、大敗を喫した事を知っていた。

 彼はレクスを溺愛していた。

 だが、同時にその傲慢さにも危機感を抱いていた。

 だからこそ、息子に愛ゆえに敗北を知ることにより学ぶこともあるのだと、伝えたかった。


 その為に少し痛い目を見せようと、ある女性に指南役を頼んだのだった。


 だが、そんな父の思惑と裏腹に、息子は当たり散らしていたというではないか。

 そのことをハロルドはとても心配していたのだった。


「……ああ、その事なら問題はない。俺は変わった。あの女にはある意味感謝しなくてはならない」

「……ッ! お、おお。遂に……。遂に……。分かってくれたのか。そうか、遂に分かってくれたのか」


 感極まった様子のハロルド。


「もちろんだとも、父よ、失敗や誤りは時に人を成長させる事もある。人は誤りや失敗を乗り越えてこそ成長する。そうではないか?」

「……おお、なんと……。あのレクスが……。レクスが……」


 目頭を押さえ、ハンカチでその目を覆うハロルド。


「大げさだな父上よ……。そう、過去の失敗は乗り越えなければならない、だから、俺はこれからあの女に礼をしに行かなければならん……ッ!」

「……そうだとも、そうだとも……」


 泣きながら、同意するハロルドであるが、後半の意味は良く理解できなかった。

 そんな二人の様子をアランは無言で見つめている風を装いながらも、チラチラとミリアムの顔を見ていた。


 【ブレイヴ・ヒストリア】の世界に置いて、アラン・サセックスはレクスの専属のメイドである、ミリアムに想いを寄せていた。


 レクス亡き後、公爵家を継ぎエンディングのシーンでは、子供抱いたミリアムと寄り添っている姿が確認できるが、ミリアムが抱いている子供の瞳の色は、金目ではなく、ターコイズブルーの碧眼なのは、【ブレイヴ・ヒストリア】の闇として語られている。


「ではな、父上、アラン。俺は借りを返しに行かなければならんのでな……」

「そうか……、頑張れよ……レクス」


 号泣し始めたハロルドは、自分の息子の言っている意味を理解せずにそう返す。


「うん……。そ、それじゃあね。ミリアムさんも……」


 さりげなく、ミリアムにも挨拶をするアラン。


「あ、はい。失礼します」


 そういって、アランにお辞儀をするミリアムであったが、彼女の頭の中にはアランの姿は無く、ただこれから起こるであろう、凄惨な結末の事しか頭に無かった。


 

 



「おお、朝早くからやっているな……」


 邸宅を出て、少し埃臭い訓練場に着くと、サセックス家の正規兵と傭兵たちが合同訓練を実施していた。

 レクスとミリアムは土埃の臭いを感じながら、訓練場に入る。


 装備の統一された、サセックス家の正規兵に対して、傭兵達の装備はバラバラだ。

 蛮族のような鎧を纏っているもの、スリムな甲冑のようなものを纏っているもの、上半身裸で剣を交わらせるものまでいる。

 物々しい雰囲気の中で、兵達が訓練をしている。


「……レクス様。今日も来たよ……」

「昨日は酷かったな……」

「どの面下げて、この場に来たんだあのガキはよ……」

「団長にあそこまでボコられて良くここに来れたよな……。あそこまで醜態晒しておいて……」

「サセックス家の天才サマは面の皮の厚さも、超一流ってこったぁ、ははははッ」


 ヒソヒソと喋る声や、わざと聞こえるような大きな声でしゃべる声が聞こえる。


「やるぞ。まず、ここからだ……」


 辺りを見回すと、兵達を上座から俯瞰的に見える位置で腕組みをしていた、目的の人物を見つけた。


 ――いた、あの女だ。


 レクスは、その女性に向かって近づく。

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