第52話

 そこからは、あれよあれよと話が進んでいき僕はいつの間にか、警察の人とお話をしていた。


 最後に、女性へと痴漢していた男性へと救いの目を向けてみたが、目が合ったものの直ぐに逸らされてドアが開くなり何処かへと逃げて行ってしまったため、僕は失望の目を向けていた赤坂さんに連れられて駅員の場所へと連行された。


 この時、僕の何かが音を立てて壊れたような音がした。


 「噂はやっぱり本当だったんだ」とか「柊君しゅうくん....いや、柊君《ひいらぎくんを信用していた私がばかだったんだ」なんて言葉も聞こえてきて、段々と精神がすり減っていくのを感じたし、馬鹿な僕でも大事になるのは予想できた。更に家での肩身が狭くなることも、学校での居場所も無くなることも全部わかっていた。


 警察の人や、痴漢されていた女性本人、駅職員、そして赤坂さんへと僕はやっていないと言ったものの、全くと言っていい程信じて貰えず僕はそのまま転がり落ちるように地獄へと身を堕としていた。


 何とか、ニュースに取り上げられるほど大事になることはなかったが、僕の両親と痴漢されていた女性との間で何か取引があったようだ。それでも、噂というものは一瞬で出回り対処なんて出来なくなる。


 家では、父親に「お前なんかどうして生まれたんだろうな」なんて言われたし「迷惑ばかりかけるな」とかも父親には言われた。夜嘉は僕には何も言ってはこなかったものの、じっと僕の事を観察するように見て、見下すような視線を送ってくる。母親である愛華さんは、父親の言いなりで僕のことをいないもののように扱う。


 学校では当たり前のように虐められて、暴行や暴言が当たり前で四宮さんよりもひどい状況がずっと半年ほど続いた。幾ら僕はやっていないと訴えても全く聞き耳を持ってもらえないし痴漢に加えて嘘つき、虚言癖だと罵られる。


 まぁ、詳細に苛めの内容を話しても蒼依先輩や四宮さんにとって良いことは無いだろうから話さずにいよう。


 僕の精神はすり減っていき、体はぼろぼろになっていた気がする。


 心は......心はいつ枯れてしまったのだろうか。大事なものが明確に壊れてしまっていた。きっと元から罅が入っていたのだろう。そこに大きな亀裂が入ってぐしゃぐしゃになっただけ。


 そんなボロボロな状態が半年程続いたあれは、三年の夏休みが終わって少し経った辺りだった気がする。僕が虐められている現場に赤坂さんが焦った様子で止めに入ったことがあった。


 なんでだろうとは思ったものの、彼女が止めに入ったことで逆に僕がさらなる苛めを受けることになった。


 赤坂さんは、泣きそうな様子で不安そうな様子で僕の事を見ていたが、結局何かが変わることも無かった。


 これが以前四宮さんが虐められていた時に僕が助けに入らなかった理由だった。虐めを止めようとすれば、逆にそのいじめが苛烈になる。僕が身をもって経験したものだった。


 そんな苛めが一週間、二週間ほど続いたある日。


 体を引き摺りながら家へと帰ると、家には何故か赤坂さんとあの時、電車で痴漢した犯人であるサラリーマンも。


 どうやら、そのサラリーマンが罪の意識に耐えきれずに警察へと事情を話したようで僕の冤罪が晴れようとしていた。泣きながら、サラリーマンと赤坂さんに謝られたがそのころになると僕はなんの感情も抱かなかった。


 あぁ、そうだったんだ。そんなこともあったんだな。


 そんな平凡な感想が浮かぶだけで怒りも憎しみも、清々しさもこれで苛めから解放されるという安心感さえなく、ただ、そう。そんなこともあったと自分が自分じゃないような感覚になっていた。


 まるで、自分を客観視しているようだった。自分という存在が、この世には生きてはいなくて、柊柊ひいらぎしゅうという人間のつまらないどうしようもない物語を見つめている気分になった。


 赤坂さんから事情を粗方聞いて、それを僕の両親と夜嘉へとした。


 その後、赤坂さんが何をしたのかは知らないが僕の苛めは徐々に減っていった。そして、家では僕の事を腫物のように扱うようになった。


 両親に謝罪され、夜嘉に謝罪され。


 父親は謝罪したもののそれから顔を合わせなくなり、家にも帰ることが少なくなった。母親である愛華さんは今のような状態になった。






「.....色々端折りはしましたが、これが大体の僕と赤坂さんに関する過去です。詳細を聞きたいのなら、赤坂さんから聞いた方が僕はいいと思います」

「そう、か」

「そうだったんですね」


 自分の過去を大分大まかにだが話し終えると二人は深刻そうな顔をして此方を見ていた。


 やはり僕の過去の話なんか聞いても二人にとっては退屈だろうから、話さない方が良かっただろうか。


「聴きたいことは、もうないですか?」

「あ、あぁ。ないよ。ありがとう、柊君。私は柊君の事を少しでも知れて、嬉しいよ」

「そうですか」


 蒼依先輩が歯切れの悪そうな声でそう言った。


 僕に向けるその瞳からは涙が流れそうになっていた。何か蒼依先輩にとって良くないことをしてしまっただろうか。


「大丈夫ですか?」

「い、いや。何でもないんだ」

 

 蒼依先輩は顔を背けて、制服の袖で涙を拭う素振りをしてからもう一度此方へと顔を向けた。


柊君しゅうくん。ずっと私が傍にいるから」

「私もいます。ずっと柊先輩の隣に」

「…?」


 二人からいきなりそんなことを言われて、手を握られる。


 頭に疑問符が浮かび、何がどうしてそんな言葉が出てくるのか全く分からなかったけれど、きっと僕には分からない深い意味があるのだろうなとそう思った。


 彼女たちに手を握られ、それを振り払うことも出来ずに数分間が経った後にやっと手を放してくれた。


「…この話は絶対に他言しないと誓う」

「私も、誰にも言いません」

「はい。そうしてくれると僕もありがたいです」


 と言ったものの僕の過去なんて聞いたところで誰も得などしないだろうから話す機会も無いだろう。


「…それじゃあ、少し時間もたってしまったけれど、勉強会をしようか」


 蒼依先輩がいつもよりも明るい声でそう言った。


「そ、そうですね。私、お母さんに新しく飲み物貰ってきますね」


 蒼依先輩がそう言って、この話は終わりとなり四宮さんは飲み物をもらいに部屋から出て行った。


 蒼依先輩と何も話さず、だが蒼依先輩は此方の事をじっと見つめて何かを考えている。


 そんな時間を少しだけ過ごし、四宮さんが帰ってきてから勉強会がスタートした。


 基本的に三人とも話すことはなく、自分の勉強を進めていく。これは四宮さんと二人で勉強会をしていた時と同じだ。


 だけれど、やはり蒼依先輩がいることによって僕の分からないところを教えてくれるし、四宮さんも僕よりも遥かに分かりやすい説明を受けてかなり捗っているのではないだろうか。


 三人で黙々と進めると一時間があっという間に過ぎた。


 本当はもっと勉強をする予定だったものの、僕の過去の話をしてしまったがために一時間ほどしか勉強に取り組むことができなかった。


 一階に降りて今日も四宮さんの家で夕飯を頂いてしまった。迷惑だとは思うけれど、幸さんがそんなことは気にしないでといつもの調子で言う。


 幸人さんも途中で帰ってきて、四宮家の人、僕、蒼依先輩の三人で夕食を食べ終え、八時を過ぎたあたりで僕たちは帰ることになった。


 家に着いたのは八時前辺りで、今日も玄関を開けると夜嘉が立っていた。


「ただいま」

「おかえりなさい、兄さん。今日も四宮さんの家にいたのかな?」

「はい」

「あまり、行かない方がいいとは思うよ」


 そう言って夜嘉はその場から立ち去って自分の部屋へと戻っていく。


 夜嘉が言いたかったのは四宮さんの家に行き過ぎて迷惑になっているとそう言ったかったのだろう。確かに最近は行き過ぎて、迷惑になっているだろうから。


 夜嘉が立ち去った後、入れ替わるように愛華さんが来て僕が前と同じようなことを言われるが、ご飯は食べてきてしまったし明日の朝食べることにしようと思う。


 愛華さんには事前によるご飯を頂いてくるという旨のメッセージは送っているのだけれど、今日も作ってしまったようだ。一人分を作らなくてよくなるのだから愛華さん的には楽だと思ったのだけれど。


 僕も自室へと戻り荷物を置いて、お風呂へと入りある程度髪を乾かしてから歯を磨いて、また部屋へと戻った。


 少しだけ勉強の続きをしてから部屋の電気を消してベッドへと入り、今日という日が終わった。



****


 私はもう間違えないんだ。


「僕はやってないよ、信じて優子ちゃん!!」


 未だにあの時の縋るような瞳が思い出される。


 その言葉を信じ切れずに私は柊君ひいらぎ君の事を突き放して、あんな風にしてしまった。ずっと真実を言ってくれていたのは、柊君だったのに。


 今まで私は間違え続けて来た。大事なところになる程私は判断を誤って来た。柊君をあんな風にしてしまう前にも、私は一人の人を見殺しにしてしまったのだから。





 


 


 


 










 


 


 


 

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