第50話 いざ、出発

 二日経って、進軍の日がやってきた。朝から後宮は大忙しで宮女全員が駆け回っている。


「こら、急いでいても走らないように」

「申し訳ありません!」


 女官が見回りをしてあちこち指示を出す。宮女たちは慌てて姿勢を正し歩き出す。ただし、いつもより早足だ。それには女官も言わなかった。


「ふう、今日ばかりは仕方がないわね。全く、我らが側妃ときたら」


 任深持レン・シェンチー夏晴亮シァ・チンリァンは早朝から準備をし、すでに大門に集まっていた。


 いざという時前線に立つ任深持は、立派な鎧を身に着けている。一方、夏晴亮は普段より動きやすい軽装にしたため、妃と言われなければ分からない。その近くには任子風もいた。


任子風レン・ズーフォン様、先日はお世話になりました」


「い、いえ、こちらこそ貴重な機会を頂き有難う御座いました。とても勉強になりました」


 恭しく拱手され、夏晴亮はさらに深く拱手した。


「お顔をお上げください。貴方様は今、第一皇子の代理として上に立つ者です」

「そうですね、失礼しました」


「いえ、立派なお姿です。こうしてよく見ると、任深持様と雰囲気が似ていらっしゃいますね」

「本当ですか。なかなか言ってもらえないので嬉しいです」


 ほんわかしていると、夏晴亮の真後ろに任深持がじとりと立った。


「我が妃よ。私を放って弟と談笑か」

「あはは、少し交流していただけです。先日はあっさり許してくださったのに」


 任深持の嫉妬に、任子風が目を真ん丸にさせて驚いた。


「兄上がこんな風に気持ちを前に出されるなんて」

「これは私の唯一だ。手を出すなよ」

「滅相も御座いません!」


「兄が弟を脅してどうするのですか」

「すまない」


 夏晴亮が肘を突いて訴えると、任深持は素直に謝った。弟はまたしても驚かされることになった。


「ちょっとちょっと、正妃が通りますよ」

王美文ワン・メイウェン様」


 正妃に挨拶をすると、両手を取られた。


「阿亮。今からでも止めない?」


 上目遣いとうるうるさせた瞳で迫るが、夏晴亮も負けじと眉を下げた控えめな笑みを浮かべて対抗した。


「いくら王美文様でも、それはさすがに難しい注文です」

「そうよね。でも、男ばかりに妃が一人きり。心細いでしょう。これを私だと思って思い出してね」


 王美文が匂い袋を持たせた。夏晴亮が鼻先に近づける。


「良い匂いです。有難う御座います」

「私は貴方の家族も同然。元気に戻っていらしてね。貴方がいないと後宮の華が無くなってつまらないわ」

「はい」


 その後ろで金依依が真顔で見つめていた。恐らくあれは心配しているのだろう。


「きっと、全員無事に戻って参ります」

「きっとよ」


 そこへ、馬牙風マァ・ヤーフォンが姿を見せた。任深持より後に来るとは珍しい。その手には大量の護符が握られていた。


「夏晴亮様、こちらを身に着けておいてください」

「有難う御座います」


 馬宰相から護符を手渡される。これを持っていると、一定の間身を守ってくれ、外からの衝撃もある程度耐えられるらしい。衝撃が大きければ一度で護符は破れてしまうが、あると無いのでは雲泥の差だ。


 護符は全員に配られた。朱大将を先頭に、等間隔に一人ずつ術師を挟み、任深持と夏な晴亮は真ん中に配置された。二人の側には馬宰相が付いた。


「それにしても、貴方が馬に乗れるとは驚いた」

「意外ですか?」


 任深持は自分の後ろか、術師の後ろに乗ってもらうつもりだったが、夏晴亮がひょいと慣れた調子で乗ったので、そこにいた皆が目を見張った。


「以前、荷運びの仕事を手伝った時に教わったんです。このくらいは出来ないといけないと言われて」

「逞しいな。素晴らしい」

「恐縮です」


 褒められて嬉しくなった。馬に乗れなかったら、それだけで今回の内容的に迷惑がかかる。小さなことでも役に立ってよかった。一人で生き抜くのはお腹が空いて寒くて大変だったが、こうして後々繋がることもある。それでも、あの生活には戻りたくないが。


「雨はいるか?」

「はい、ここに。阿雨」


 主が呼ぶと、雨が姿を現した。馬の周りをくるくる回ってみせる。


「雨、主人をしっかり守るように」

『わんッ』


 視えていないながら命令すると、雨は尻尾を振って一鳴きした。


「自信満々に答えています」

「それは頼もしい。期待しているぞ」


 朱卓凡ヂュ・ヂュオファンが全軍の前に出た。


「大門が開く。各々進軍の姿勢に」

「はッ」


 これで穏やかな会話も終いだ。王美文が任深持に声をかけた。


「お気をつけて」

「ああ」


「……馬牙風も怪我の無いように祈っております」

「有難う御座います」


 王美文を始め、宮女たちが見送る。馬星星は今にも泣き崩れそうだ。


「亮亮。絶対絶対、帰ってきて」

「はい。いってきます」


 手を振ると、ぶんぶん振り返された。なんだか、夏晴亮も瞳が熱くなってきた。馬星星がまた笑顔になるよう、早く帰ろうと決意する。

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