第38話 それはいつから

 侵入者に窓から漏れた月光が当たる。それは確かに、王美文ワン・メイウェン付きの金依依ジン・イーイーであった。


 一瞬怯んだ金依依だが、ここは任深持レン・シェンチーの自室。加えて深夜。部屋の中に護衛はいない。金依依が再度凶器を向ける。任深持が不敵に微笑んだ。


「私が何も策を講じていないとでも?」


 寝台の下から何かが飛び出し、金依依に飛びかかった。ユンユーだ。精霊が視えない任深持は、金依依がよろめいたことで事が上手く行ったことを理解する。そして、枕元にある小さな笛を鳴らした。


 細く高い音が辺りに響く。すぐに廊下が足音で騒がしくなった。その間も金依依と精霊の攻防は続き、やがて金依依の姿が薄ぼんやりしてきた。


「本来の姿に戻ろうとしているな?」


 間もなくして、目の前から姿を消した。消えたわけではない。精霊に戻ったことで、任深持が認識出来なくなったのだ。雲と雨が精霊を捕えているだろうが安心は出来ない。念のため盾で己を隠しながら、扉が開くのを待った。


「任深持様!」


 マァ宰相を始め、術師や軍人が入ってきた。術師が揉めている三匹を見とめ、精霊を法術を施した縄で拘束する。その縄に護符を貼った。


「お怪我は御座いませんか」

「ああ、心配ない。予定通りだ」


 馬宰相が声をかけると、落ち着いた返事が返ってきた。想定内とはいえ危険を伴うことだったため、無事な姿を見るまでは安心出来ずにいた。


「お連れしました」


 馬星星マァ・シンシンが王美文と夏晴亮シァ・チンリァンを連れてきた。王美文の顔は色を失くしており、今にも倒れそうだ。


「そこに、金依依がいるのですか……?」

「はい。任深持様のお命を狙ってのことです」

「そんな……!」


 王美文が涙をぽろぽろと零す。


「申し訳御座いません。全ては上司である私の責任で御座います」


 深々頭を下げる彼女に夏晴亮が歩み寄る。


「まさか、金依依が精霊だったとは夢にも思いませんでした」

「彼女はいつから王美文様に付いていたのですか?」

「ずっと昔から。精霊だという様子は一つも見受けられませんでした」


 その言葉に、馬宰相が一歩前に出て言う。


「ご安心を。金依依は精霊ではありません。というより、この者は金依依ではありません」

「なんですって!?」


 驚愕の事実にこの場にいた全員に動揺が走る。いつから金依依は金依依ではなくなったのか。それでは本物の金依依は今いったいどこにいるのか。


「何故、そのようなことが分かるのですか?」


「貴方様の国の術師に伝達の法術で金依依について伺ったのです。四日前に王美文の命で戻ってきて、またすぐに出ていったそうです」


「では、金依依とそこの者が入れ替わっていたということですか……!」


「そうです」


 王美文の国まで、歩きでは四、五日かかる。彼女は馬に乗れないので、歩いていったはずだ。そうなると、初日から入れ替わっていたことになる。


「全然気が付きませんでした……でも、それなら金依依は罪に問われませんか?」


 任深持が正妃の顔を覗き込んで答える。


「問われるのは罪を犯した者のみだ。今日は遅い、ゆっくり休んでいろ。本物の金依依も捜索隊を派遣して保護しよう」


「有難う御座います! 有難う御座います……!」

「夏晴亮、貴方も休んで。詳しいことはまた明日に報告する」

「分かりました。宜しくお願いします」


 正妃と側室たちが退室する。これからに第一皇子と宰相が中心になって取り調べをするのだろう。


 なんとも不思議な事件だった。いつ入れ替わったのか、あの精霊は誰の指示で送られたのか。


 精霊は自らの意思で人間に化けることはまず考えられない。ましてや、後宮に侵入して皇子を狙おうなどと。こんなにも上手く溶け込めたということは、明確な殺意を持って事細かに精霊に指示したということだ。


 初めて身近に起きた殺人未遂事件は、夏晴亮の心に小さな傷を残した。



「さて、これがどこの間者かが問題だが。分かるか?」

「人の形を残していてくれたら拷問の仕様があるのですが」


 精霊の姿では情報を手に入れるのがかなり困難となる。しかし、変化は主人にい命じられなければしない。どうすべきか考えていると、体を調べていた術師が声を上げた。


「馬宰相、こちらに紋が押されております」


 猫の姿をした精霊が唸るが、法術を掛けられた縄で縛られているためどうにもならない。右足のところに紋が見えた。


「これは……」


 馬宰相の表情が曇る。


「何の紋章だ?」


 任深持が後ろから尋ねる。馬宰相には珍しく、言いたくないような、暗い表情を上司に向けた。


「恐らく、ちょう国のものかと存じます」


「超国だと?」


 馬宰相も俄には信じられず、何度も紋章の形を確認する。部下に歴史書を持ってこさせ、そこに描かれているものとも照らし合わせたが、寸分の狂いも無く、超国そのものであった。

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