後宮毒見師伝~正妃はお断りします~

第一章

第1話 お腹が空いたので宮女になります

「お腹が空いた……」


 夏晴亮シァ・チンリァンが腹を擦りながら王都を歩く。もう何日も食べ物を食べておらず、雨水と道に生えている雑草でどうにか生きながらえている。


 思わず地面に倒れ込むが、粗末な身なりを見て誰も夏晴亮を助けない。どうしたものか。このままでは飢え死にしてしまう。ふと彼女の鼻を擽るものがあった。


「良い匂いがする!」


 体を勢いよく起こし、そのまま走り出す。その速度はどんどん早くなり、馬車を追い抜かしていった。


 道行く人を避けながらたどり着いた市場の前で、夏晴亮は目を輝かせた。市場には沢山の出店が並んでおり、どこからも美味しそうな匂いが漂っている。夏晴亮は口から洩れそうになる水を拭った。


――全部食べてみたいけど、お金が無いなぁ。


 袖から取り出した布袋の中身を確認する。饅頭一つ買えるお金も残されていない。諦めて踵を返すと、人だかりが出来ていることに気が付いた。そこには立て看板があり、宮廷からの知らせが書かれている。


「宮女募集……健康であれば未経験でも構わない……」


――やろう!


 宮女が何をするのか分からない。けれども、家もご飯も無い今よりまともな生活になるならば、少しくらい理不尽なことがあったって構わない。夏晴亮は意気揚々と歩き出した。



「宮女募集の看板を見てきた? ダメダメ、そんな汚らしい恰好じゃ」

「でも、健康であれば未経験でも平気って」

「最低限の清潔さは必要だろ。顔を見ていいな!」

「おいおいそれは可哀想だ。なんなら俺が洗ってやろう」


 二人いる門番のうちの一人が桶に水を汲んでやってくる。もう一人が大げさに笑った。


「そりゃいい! 嬢ちゃん、洗ってやるよ。そりゃッ」

「うぷッッ」


 思い切り水を顔にかけられ、夏晴亮が尻もちをつく。それを大笑いする二人の顔が固まった。顔の泥が落ち、長い前髪が後ろに流れ、夏晴亮の顔の造形が露になる。門番たちが慌て出した。


「こ、こいつ、いや、この子」

「早く通してしまおうッ。あ、あの、悪かったな。泥を落としたくてちょっと意地悪してしまったんだ。宮女の面接はあっちだ。ほれ、これで水を落とせ」

「有難う御座います」


 優しくなった門番を疑問に思うが、深く考えず布で水を拭きながら面接の場へと付いていく。髪の毛と上着がまだ濡れているが、これ以上はどうにもならないので気にしないことにした。


「次、入りなさい」

「失礼します」


 中には恐ろしい外見の男と中年の女が椅子に座っていた。その前に夏晴亮が立つ。


「貴方で最後ね。ところで何故服が濡れているの?」

「門のところで水を掛けられました。でも、拭くための布をくださったので良い方です」

「そう。まあ、いいでしょう。貴方の名前はなんですか?」


 身なりを確認した女が紙に書きながら質問する。


「夏晴亮、十八歳です。趣味は食べること、健康そのものです。宜しくお願いします」

「なるほど……うん? なるほど?」


 顔を上げた女が勢いよく立ち上がり、夏晴亮の顔面を両手で強く包んだ。


「その顔面は本物ですか……?」


 女に驚かれ、夏晴亮は首を傾げた。


「はあ……生まれてこの方、この顔以外になったことはないですけど」

「つまり、仮面ではないと」

「さすがに仮面ではないです」

「採ッッッ用!!!」


 女が書類に判を叩きつける。全く思考が追い付いていないが、合格したことだけは理解した。夏晴亮が手を叩いて喜んだ。


「夏晴亮、まずは」

「はいッ」


 真面目な表情になった女を前に、何を言われるのか不安気な顔で構える。女が二回手を叩いた。


「そのぼろ雑巾をどうにかしなさい! 皆さん、湯あみと着替えを」


 その言葉に、後ろから宮女が三人音もなく現れた。


「承知しました!」

「まあまあ随分な恰好ね。綺麗にし甲斐があるわぁ」

「見てこの子。お肌がぷるんぷるん」

「わわ、あわわわわ」


 情けない悲鳴とともに、夏晴亮は三人によって連れていかれた。


「あの、どちらに」

「湯あみ処よ。とにかく綺麗にしないと」


 無理矢理歩かされながら、どんどん変わる景色を眺める。どこもかしこも清潔で、夏晴亮は眉を下げた。


「すみません、汚くて」


 そっと宮女から離れようとすると、余計に強く掴まれた。


「気にしないの。私も気にしない。だから、早く綺麗になりましょ」

「……有難う御座います」


 夏晴亮は三人の姉により、半刻もの間もみくちゃにされた。

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