依頼

「だぁあ! くそッ!」


 パチンコ雑誌を地面に叩きつけ、彼は電車が来るのを待っていた。


「何が信頼度八十五パーセントの激熱リーチだよ! 余裕でハズレてんじゃねーか!」


 落ち着きを取り戻す為に、懐からガムを取り出し口へ入れる。わざわざ新台を打つ為に、隣町まで電車でやってきたが成果は散々。


 現在、財布の中には小銭しか入っていない。午前中に消費者金融から金を借り、パチンコで儲けたらすぐに返そうと思っていたのに。


「何故、隣の台に座らなかったんだ……畜生!」


 深い溜め息をついた後に顔を上げると、線路を越えた向かいのホームに一人の女が見えた。顔色が悪く、どこか落ち着きがない。


『――番線、電車が通ります』


 電車がやってきた瞬間、女性は祈るように手を組んで線路へ身を投げた。


「――チッ!」


 彼は舌打ちと同時に床を蹴る。姿が消えた後で「ドンッ」という音が聞こえた。まさに音速。助走なしで線路を跨ぎ、反対側のホームに着地。そのまま身体を反転させ、流れるような動作で女性の腕を掴み引っ張り上げる。


「ふんっ!」


 女を背後から抱き締める形で脱出すると、すぐに電車が横を通過していく。


「な、なんだ⁉」


「何か大きな音が聞こえなかった?」


 周りが騒ぎ始める。常人では彼の動きを目で追えられない。


「オマエな、自殺をするのは勝手だが人目のない所でヒッソリとしやがれ――って、気絶してやがる」


 何度か頬を叩いてやるが反応はない。彼は再び大きな溜め息を漏らしつつ愚痴をこぼす。


「……本当にツイてねぇ……」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 事務所入口へ到着すると、最近何かと関わる機会の増えた女子高生 如月きさらぎ 未夜みやが両膝を抱える形でうずくまり眠っているのが見えた。


「おい、起きろ。未夜」


 彼が足で軽く蹴飛ばすと、未夜はビクンと大きく痙攣させて飛び起きる。


「――ふあっ? け、犬崎さん⁉」


「ここで何をしてんだ」


 事務所の鍵を開けながら訊ねると、両頬を膨らませながら怒鳴ってきやがった。


「何を言ってるんですか! 今朝、犬崎さんから『借りてた金を全部返してやる。ついでに美味いモンでも食わしてやる』っていうから来たのに留守だし! 携帯を鳴らしても全然出ないし!」


「携帯? お、本当だ。着信に気付かなかったぜ」


「……と、いうか……背中の女性は、何ですか?」


「ん? あぁ、コレは――」


「まさか誘拐⁉ あぁッ、なんて事を……! いつか犯罪に手を汚すとは思っていましたけど!」


「……オマエなぁ」


 誤解されたままでは癪なので、彼は女性をソファーに寝かせた後で、事情を説明する。


「成程、そんな事情が――あっ」


「……ぅう……ん……あ、あれ? 私……」


 話している最中、ようやく女性が目を覚ます。


「大丈夫ですか? 怪我とかしていませんか?」


「……い、いえ……それより、ここは……?」


「ここは犬崎探偵事務所で――」


「そんな事よりも、自殺なんて考えるんじゃねぇ。こっちの寝覚めが悪くなんだろうが」


「じ、自殺……? 私が……?」


「おいおい。自分で線路に飛び込んでおきながら、覚えてないってか」


「線路……? 飛び込み……⁉ あ、あああ!」


 突然、女性は恐怖で身体を震わせ始めた。とりあえず未夜が飲み物を差し出し、落ち着くのを待ってから話を聞く事に。


「……すみません、私、佐島美恵子といいます。音大に通う学生です」


「如月未夜です。あの、佐島さんは何故、自殺などしようと考えたのですか?」


「……おかしな事を言うみたいですが……私、自殺するつもりなかったんです」


「? どういう意味ですか?」


「ある曲を聞いた事が全ての始まりでした……自分の意思に関係なく『自殺をさせられる』――そんな事が起こるようになったのは……」


「自殺を、させられる?」


「面白そうな話だな」


 興味津々で身を乗り出してくる男に、美恵子は「あ、あの……失礼ですが貴方は?」と訊ねた。


「俺か? 俺の名前は犬崎けんざき 快刀かいと――探偵だ。それより話を続けろ」


「は、はい……とある小屋で『暗い日曜日』というレコードを見つけ……私達は発表会で、その楽曲を演奏する事に決めたんです。ですが合宿を終えた翌日、サックス担当の武丸君が突然……自宅で首吊り自殺をしたんです」


「……!」


 未夜は自分の首筋を撫でつつ、生唾を飲み込む。


「私達は、ひどくショックを受けました。発表会も辞退を考えていたんですが」


「やめなかったのか?」


「はい。同じメンバーの雨木君が、武丸君の分も精一杯演奏をしようって……私達は発表会で演奏を行いました。そこには有名な音楽関係者の方達もご覧になっていて……その内の一人が、私達の演奏をとても気に入ってくれて……本当に嬉しかったんです。武丸君の分まで頑張ってきた成果だって」


 美恵子は、頬に涙を滑らせた。


「発表を終えた次の日でした。私達の演奏を褒めてくれた音楽関係者さんが自殺したと聞いたのは……自室でガス自殺をしていたようで……更に、ある遺書を残していた事も聞きました」


「遺書?」


「自分の葬式で『暗い日曜日』を流して欲しいと、書かれていたみたいなんです」


「…………」


「そこで私達は武丸君達の死が『暗い日曜日』に関わっていると気付いたんです。最初は皆、あり得ないと鼻で笑っていたのですが」


「再び自殺者が現れた、と」


 犬崎の言葉に、美恵子は「はい」と頷く。


「合宿を終えて二週間ほど経ちますが、その間に自殺者は十人以上出ています……」


「そ、そんなに⁉」


「私達、怖くなって……いつか自分達も自殺『させられてしまう』のではないかって……」


 美恵子は鞄から手帳を取り出すと、間に挟んでいた写真を一枚取り出す。


「これが、合宿に行った時の写真です」


 犬崎が手に取り眺めているのを未夜が隣で覗きこむ。右からガレット、美恵子、雨木、武丸の順番で並んでいた。


「画質が悪いな」


「すみません、インスタントカメラで撮影しましたから多少、ピンボケが」


「犬崎さん、どうですか……?」


 犬崎は写真を美恵子に返しながら解説を始める。


「暗い日曜日は、1933年にハンガリーで発表された有名な自殺ソングだ。


歌詞の内容は、暗い日曜日に女性が亡くなった恋人を想い嘆くというもので、最後は自殺を決意するという一節で終わるのだが……


問題は、その曲を聴いて自殺した人間が数百人も現れたという事。当時の政府も、放送禁止を指定するまでだったと聞く」


「やはり呪われているという事ですか……?」


「自殺との因果関係は明確には証明されていないし、本作が原因とされる自殺の記録も無い。今となっては、ただの都市伝説に成り下がっているがな。現にネット上では公開されているし、有名歌手がカバーしているバージョンもある。ただ……」


「なんですか?」


「現存している暗い日曜日は、全て複製なんだ。当時、ナチス・ドイツによる軍事侵攻の危機にあった政府はオリジナルである楽曲を全て破壊したと言われている」


「? つまり、どういう事ですか?」


「見つけたレコードは、かなり古い物だったんだろう? もし、その暗い日曜日が初版当時の物であり原版でしか分からない呪いがレコードに込められているのだとしたら……」


「た、大変じゃないですか! このままだと……」


「ああ、ますます自殺者は増えていくかもな」


「――あ、あのっ! ここは先程、探偵事務所と仰っていましたよね? こんな事をお願いするのは筋違いだと分かっているのですが……!」


「事件の謎を解き明かしてほしい、そう言いたいのか?」


 美恵子は涙を落としながら、深く頷く。


「犬崎さん、私からもお願いします……このままだと、佐島さんの身にも危険が……」


 未夜からも頼まれ、犬崎はガムを口に入れながら一言「……安くねぇぞ」とだけ答える。


「す、すぐにはお支払い出来なくても……必ず!」


 音大生に通わせるという事は、少なからず親が金も持っているだろうと犬崎は考えた。何より久々に舞い込んできた依頼、明日の食事にもありつけない状態の彼には最初から断る理由など無いが……。


「……しょうがねぇな、その依頼、受けてやるよ」


「本当ですか⁉」


「困ってる奴を見過ごす事は出来ない……だろ?」


「ん? ええ……はい」


 何故か気持ち悪い犬崎の態度に、未夜は微妙な反応で返す。


「とりあえず写真の奴等から話を聞く。問題のレコードも直接見てみないとな」


「レコードは雨木君が持っていて、今なら大学にいると思います」


「よし。すぐに向かうぞ」


支度を整えて事務所を出ていく際、犬崎は不敵な笑みを浮かべながら呟く。


「おもしろくなってきやがった……」

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