第2話 殺し屋、メイド少女をむぎゅむぎゅする昼

 オルガヌム家の朝は遅い。

 

「おはよー」

「もう昼過ぎです!」


 寝癖だらけで、目を擦る。

 視線の先に、テーブルを懸命に拭く唯一の同居人の背中があった。

 しかし外見の幼さが災いして、広いテーブルの中心まで布巾が届かない。その為スカートのお尻部分が見えないように抑えながら乗り出していた。

 白く健康的な太腿が見えて、ノヴムは目を逸らす。


「……別にいーじゃん。何もやる事ないんだから」

「そんなだから、他の貴族達に舐められるんですよ! オルガヌム家の当主って自覚を持ってください! 昨日も朝まで何してたんですか?」

「別に悪い事なんてしてないって」


 座るノヴムに視線を合わせ、上目遣いで睨んでくる。

 しかし眠そうなノヴムに響く様子もない。

 またウトウトし始めた。


 そんな瞼が重くなったノヴムを見て、一方でメイドのプルムは思案し始める。


(でも家のお金は使われて無いし……本当に夜中何をやってるんでしょう……はっ、まさか! 夜は街の平和を守るために、正体を隠してダークヒーローをやっている!?)


 全身黒ずくめの服装で夜を駆けるノヴムを想像していたが、直ぐに思い直す。


「なんて。そんなメンドクサイ事をする人ではないか……魔術が苦手なのは本当だし……ってふわあああああああ!?」


 変な声を上げてしまった。無理も無い。

 むぎゅむぎゅされていたのだから。


 椅子で器用に寝ぼけたノヴムが、プルムを抱き枕にしていた。

 がっしりと細い背中に腕が回され、柔らかいお腹に顔を埋まっている。エプロンに包まれたノヴムのあどけない体で、心地よさそうに眠っている。

 プルムの腹部で、愛おしそうに呼吸する。


「いいにおい……ふにゃふにゃ……」

(擽ったい……は、恥ずかしいよ……でも、なんだか嬉しくもあるというか……)


 寝言を呟く主人の密着に、プルムは紅潮しながらも一時を噛み締める。

 犬のような寝顔。あるいは母を求める子供のような寝顔。

 しかし可愛い寝顔が、どこか疲れているようにも見えた。


「そうですよね。昼は意地悪な貴族ヤツらにいじめられてますもんね……仕方ないですね、よしよし」

 

 後頭部をそっと撫でる。

 プルムは、ノヴムのメイドである。しかし幼馴染でもあり、家族のようでもある。

 今の自分にできるのは、彼の疲れを母親のように受け止める事くらいだ。


 プルムは知らない。

 ノヴムの眠い理由が、“リヴァイアサン”として外道を排除した疲れ故という事を。


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(なんでプルム、あんなに顔を赤くしてるんだろう……)


 寝ぼけてて少し記憶が飛んだ。

 目が覚めた時には、プルムの頬は林檎の様に真っ赤で、眼を合わせようとしても逸らしてばかりだ。

 何かあったのだろうか。


 パンの横では大衆紙が今朝の凶事を示していた。プルムも既に読んだのか、記事の話題に入る。


「知ってますか? 伝説の殺し屋、リヴァイアサンを」

「まあ、人並みには」


 俺が実はリヴァイアサンなんだ。

 なんて事は言わず、興味も活気も無い素振りでパンを貪る。

 片手にした記事には、リヴァイアサンの出現と、変死事件が書かれていた。


「昨夜も“リヴァイアサン”が出たんですよ! ルーカス侯爵が変死してて……しかもロリコンパーティーを開いてたとか。グルになって子供を誘拐してた役人も、一緒に死んでたらしいですよ!」


 プルムは知らない。

 目の前で眠そうに昼ご飯を食べる主人が、その“リヴァイアサン”であることを。


「“リヴァイアサン”の行動は是とは出来ないですが、でもおかげで子供は救われたのを見ると……“リヴァイアサン”を応援したくもなります」

「そんな態度は駄目だよ」


 眠そうなぽんこつ貴族から一転。妹に接するかの如く、諭すような目線を向ける。


「俺たちは法に則る事で、国家から安全を保障された身だ。それを国民と呼ぶ。だから、法を無視して人を殺害するダークヒーローはいちゃいけないのさ」

「……」

「その為に俺たちは、リヴァイアサンが動く余地の無い、腐敗無き秩序を目指さなきゃいけない」

「すみません。不謹慎でした」

「仕方ないよ。そう言いたくなる世の中だもん」

「でもそれなら、ノヴム様はもう少し貴族としての自覚を持つべきです。昼間から欠伸して!」

「まだ起きたばかりなんだよ。もうちょっと寝てたかったのに」

「そんなんで嫁探しはどうするんですか!? ノヴム様もう18歳なんですよ?」

「いや、別に……俺、嫁取る気なんてないし」

「ふぁっ!? このオルガヌム家はどうするんですかっ!? 断絶しますよ!?」

「それは……確かにそうなんだけどね」


 目を逸らすノヴム。それを見て、プルムは考えていた。


(幾らノヴム様とはいえ、自身の家が無くなる事を良しとは思わない筈……)


 前に回り込んでも視線を中々合わさないノヴムを見て、遂に結論に達する。


(!?)


 声には出さなくても、お花畑な狂喜乱舞っぷりは、ノヴムも「大丈夫?」と声を掛けるレベルだった。

 しかしそれすら聞こえず、嬉しさと感動で乙女の視線を返すばかりである。


(そんなぁ! まさかノヴム様がそんな風に考えてたなんてっ! 確かに今私は16歳! 結婚は可能っ! てことは、私ノヴム様のお嫁さんになるの!? そういえば昔から、なんか私に気があるよう感じはあったなぁ)

「あの、プルム? なんで社交ダンスを踊り始めた?」


 残念なことに、プルムは浮かれやすかった。

 しかも、表に出やすい。隠し事ができないタイプである。


(いや落ち着きなさいプルム、私は亜族のしがないメイド! 幾ら何でもノヴム様と結婚してはオルガヌム家の品位に傷がっ! でも、ノヴム様の昔から変わらない安心のぐーたらぶりと来たら、放っておけない……ずっと世話してあげたい……しかし一番の問題点はハーフエルフである事よりもっ!)


 突然プルムの舞が止まる。現実を直視したように止まる。

 白いエプロンに包まれていた、平坦な胸を見下ろしていた。

 加えてやっと10歳になった少女のような、140cmの体を悔しく思う。


「16歳は成長期。貧乳じゃなくて膨らみかけ。成長の余白でいっぱい」

「大丈夫? 今日休む?」


 遂にぶつぶつと呟き始めた。ノヴムは心から心配した。

 ぐっ、とプルムは拳を作る。ノヴムは重ねて心から心配した。

 最近働きすぎではないだろうか。休暇を取らせたい。


「大丈夫です! ノヴム様、私はまだまだ成長期です!」

「何が?」

「ほら、ノヴム様に相応しくなる為に……大きい方がいいというか!?」


 何に相応しくなる為に成長するのだろう、とノヴムは首を傾げた。

 メイドとして相応しくなるために、という意味だろうか。


「十分、今の君で相応しいんじゃないかな。この屋敷で埃見た事ないくらいには」

「いえ、そのような励ましは必要ございません。私はこれから、ビッグになります! この家に相応しくなるために!」

「ビッグ? 体小さいの気にして……あっ」


 と、決意を小さな胸に宿すプルムへ、突如ノヴムは飛びついた。

 全身余すところなく再び抱き着かれたプルムは、真赤になりながら叫ぶ。

 今度は抱き枕じゃなくて、恋人同士の抱擁に感じた。


「ちょっと待って下さい、私達まだそういうのは早いですっ! せめておっぱい大きくなってから」


 その時だった。

 バリン、と。

 静寂と一緒に、硝子が弾けた。

 隕石の如く飛来した魔術を、ノヴムはプルムと一緒に倒れながら避ける。

 強力な魔術ではあったものの、硝子を割る事を目的とした魔術だったのか、それ以上の被害は屋敷には出なかった。


「な、何が!?」

「やれやれ。まだ昼間なのに、面倒な上流貴族が来ちゃったか」


 庭に出ると、格式ばった軍服を纏った同年代の青年と、その取り巻きが我が物顔で佇んでいた。

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