帰省(1)
車は渋滞に巻きこまれることなく、軽快に走っている。
おかげで車内の冷房に頼らず、窓を開けたままでいられた。気温は三十度を超えているが、今日は湿度が高くないので、まあまあ快適だ。俺も航汰も窮屈なドライブが苦手で、走行中は窓を全開にしていたいタイプだ。
今の調子なら、一時過ぎには実家に到着できそうだな。
そう見積り、この辺りで早めの昼飯を食べておくことにする。
「なんか食い物買いたいから、コンビニ見つけたら寄って」
と俺が言うと、航汰は待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。
「お昼ごはんですね。それなら私、用意して来ていますよ」
「え、嘘、なんで? どこにあるの?」
「後部座席に」
体を捻り、背もたれの向こうを覗く。小さめのクーラーボックスが置かれていた。
「もちろん、この季節ですから保冷剤も入れてますよ」
俺の質問を見越して、航汰は付け加えた。
「食中毒に注意しなくてはいけませんからね」
航汰のくせに、段取りがいいじゃないか。
俺はちょっと悔しく思いながら、身を乗り出して、クーラーボックスを引き寄せた。蓋を開ける。おにぎりの入ったパックが、二つ並んでいた。
「最近、私の家の近所に、おにぎり専門店がオープンしまして。事前に予約すると好きな具材で握ってくれるというので、お願いしてみました」
航汰はこちらに向かって親指を立ててみせた。それから思い出したようにドリンクホルダーからお茶のペットボトルを取ると、一気に飲み干した。
車を休憩所に入れ、一旦飲み物を買い足しに行く。
「もう面倒臭いから、2リットルのペットボトルで買っちゃえよ」
と俺はからかい半分に言った。
航汰は今日だけで、すでに600ミリのペットボトルを三本空けている。
喉が乾く季節とはいえ、よくそんなに飲めるなあと感心する。
航汰は少し迷った末、
「やっぱり色々な種類のお茶が飲みたいので」
と、麦茶と緑茶とほうじ茶の600ミリボトルを手に取った。
車内に戻ったが、蒸し風呂のような暑さに耐えきれず、二人同時に飛び出した。昼食は、休憩所の隅の東屋でとることにする。うまい具合に日陰になっていて、涼しそうだ。
航汰からおにぎりのパックを受け取る。フィルムに貼られたシールの文字を見て、俺は驚いた。
「あれ? 俺、お前に好きなおにぎりの具、話したことあったっけ?」
おにぎりの種類を表すシールの文字は、赤飯と、梅しそチーズだった。どちらも俺が好きなおにぎりだ。
「いえ、聞いてませんが」
航汰はきょとんとした顔で、ペットボトルのキャップを捻った。一口飲んで、思いついたように目を輝かせる。
「しかし、数々のおにぎりの中から小野塚くんの好物のみを選び出す私のセンス、これはもう称賛に価しますね。安易にツナマヨや鮭などの定番具材を選ばなかった点も、評価していただいていいのですよ?」
その後も何やら饒舌に語り続ける航汰を無視して、俺はおにぎりに齧りついた。汗をかいた体が、塩気を欲していたのだろう。おにぎりはとてつもなくうまかった。赤飯は豆の食感をしっかりと感じられ食べ応えがあり、梅しそチーズのほうは、癖の強い梅しその風味をチーズがまろやかに包みこみ、絶妙な味わいとなっている。
「このおにぎり、すっげぇうまいな」
俺が声を上げると、
「そうでしょう。いつもお昼どきにはお客さんの列ができていますし、評判を聞いて、わざわざ遠方から買いに来られる方もいらっしゃるそうですよ」
関係者でもないくせに、航汰は誇らしげに鼻を穴をふくらませた。
俺たちはおにぎりに夢中になり、しばしの間、無言になった。
食後のお茶を飲んでいると、航汰が改まったトーンで切り出した。
「あの、確認なんですけど」
「何?」
「本当に私まで、小野塚くんの実家にお世話になってよろしいのでしょうか」
「え、今さらその心配? ここまで来て?」
俺はちょっと大げさに目を剥いた。
「ですが、せっかく久しぶりに親子水入らずのときを過ごせるというのに、部外者の私がいては邪魔では?」
「そんなのうちの親、全然気にしないと思うけど」
夏休みがはじまる直前、母親に、近くに住んでいる知り合いを実家に連れて行ってもいいかと確認した。
母親は、
「その人うちに泊まるの? それならお布団二組干しておかないとねえ」
と言っただけで、他は特に何も突っこんでこなかった。
さすがにちょっと、心配になる反応だった。
近所の知り合いが、どうして帰省について来るのか。そもそも、どういった知り合いなのか。
普通の親なら、詳しく知りたがるものなんじゃないか。
別に、子どもに無関心というわけではないのだろう。うちの親は昔から、変なところでおおらかなのだ。でなければ、長く不登校を続けてきた息子に、ひとり暮らしをさせる決断などできないだろう。二人が俺に望むことはシンプルで、元気に生きてくれさえいれば、他はどうでもいいらしい。
そんな親だから、俺はどんなわがままも甘えも許されて育った。
「だいたいさあ、一緒にうちの実家に行きたいと駄々こねたのは、誰だよ」
俺は航汰を睨みつけた。
「たかが一か月俺と離れるだけで、この世の終わりみたいな顔しちゃってさ」
夏休みは実家に戻ると告げたとき、航汰は目に見えて消沈していた。
「それでは肝試しは? 心霊スポット巡りは? 夏の遊園地でお化け屋敷は? 稲川淳二の怪談ナイトは? 今年は面白そうなホラー映画だってたくさん上映されるというのに!」
「うん、全部航汰ひとりで行けよ」
「そんなあ、あんまりじゃないですか。私がどれだけこの夏を楽しみにしていたか、小野塚くんもご存知でしょう?」
「知らない」
「ええ? 知っていてくださいよお」
そんなやりとりを続け、いい加減疲れてきた俺は血迷って、「じゃあ航汰も一緒に、俺の実家で過ごせばいいじゃん」と口走ってしまった。
航汰は大喜びで、俺に同行することを決めた。
「ごめん、今のやっぱりなしで」と取り消そうにも、手遅れだった。航汰は幼児のように「嫌です、絶対行く絶対行く」と喚き、俺が渋々折れるかたちで、決着したのだった。
まさか夏休みまで航汰と過ごすはめになるとは。
なんだかもう、俺とこいつには切っても切れない縁があるとしか思えない。
「とにかくさ、俺ははなからお前に気遣いなんて期待してないわけ。だからお前もいつも通りにしてろよ」
話は終わりとばかりに、俺は立ち上がった。
「……わかりました」
神妙な顔で頷いてから、航汰は言った。
「あと一つ、いいですか?」
それから俺の返事を待たず、ひと息に問いかけた。
「小野塚くんのご両親はどの程度把握されているのでしょうか? 小野塚くんが霊の姿を見えること」
「うちの親は、全部知ってるよ。そんで、全部受け入れてくれてる」
俺が初めて、誰もいない方向を指差して「あそこにいる人、何してるんだろう?」と尋ねたときも、回送バスを見て「お客さんいっぱい乗ってるねえ」と驚いたときも、祖父母の家で、亡くなったはずの祖父の弟とさっきまで一緒に遊んでいたと言ったときも、両親の態度は変わらなかった。気味悪がったり、頭ごなしに叱りつけたりすることもなく、当然のように息子の発言を信じ、受け止めた。「この子はまた嘘ばっかりついて」と怒る祖父母から、俺を守ってくれた。
だから俺は両親の前で、自分を取り繕わずに過ごしてこられた。
それでも、不登校になった直接的な原因については、打ち明けられずにいる。二人は今も、閉所恐怖症が影響して、息子は学校生活を送れなくなったと思っているはずだ。
閉所恐怖症が原因でいじめに遭っていて、不登校になったのだとは、口が裂けても伝えられない。息子なんだから、親には遠慮なく心配や迷惑をかけていいというのが俺の考えだが、両親を悲しませることだけは絶対に避けたいのだった。
「そうですか。それではご両親の前で心霊関係の話題を避けなくてもよろしいのですね」
航汰がほっとしたように言う。
そんなことを気にして、今の質問したのかよ。
やはりシリアスに見えても、航汰は航汰だ。考えていることは変わらない。
さっきまでの改まった空気は霧散していた。
航汰は顔いっぱいに興奮の色を浮かべると、
「いい機会ですので、ご両親も交えて、百物語とかやってみます?」
と前のめりになって尋ねてくる。
「四人ですから、ひとり二十五話ずつ語れば百物語になりますよ」
「いや、やらないから」
軽くあしらって、俺は食べたゴミをまとめると、一足先に車のほうへと歩き出した。
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