第三部 プロローグ

プロローグ 森勇人

 時刻はもう深夜といってもいい頃。

 俺はやっと帰ってこれた学生寮の自室で薬を塗っていた。


「いっつぅ……」


 数時間前まで行われていた抗争で一発左頬に食らってしまった。

 冷やしてるからそこまで腫れないだろうけど、少し口端を切ってしまったかも知れない。


「ちくしょう、あんな奴に殴られるとか……」


 俺を殴ったのは【月帝】でも中堅くらいのやつ。

 でも俺に比べたらケンカは弱かったはずだ。

 乱闘状態だからたまたま当たったってだけ。


 まあ、殴られた後すぐに殴り返して、相手はぶっ倒れたから良いけどな。


 だとしても格下に殴られたってのはやっぱり腹立つ。

 ムカムカしながら思い返していると、ガチャッとバスルームのドアが開く音がした。

 俺の後に入ってた明人が出てきたんだろう。


 それぞれ別の部屋は用意されてるけど、俺達の部屋は他の一般生徒より少し大きめに出来てる。

 だから俺と明人はいつも寝るとき以外はどちらかの部屋で過ごしていた。


 生まれたときからずっと一緒で、そうするのは自然なこと。

 疑問も抱かずいつまでも一緒。

 そう信じて疑わなかった。


 今日、この時までは。



「珍しく長湯だったな? ほら明人、お前も腕何か所かすりむいてただろ? 薬塗っとけよ」


 ソファーの背もたれ越しに振り向いて薬を差し出した。


「……」


 でも、何か考え事をしているのか明人からの反応はない。

 しかもちゃんと髪を拭いてないのか、赤く染めている髪から水滴が結構滴っていた。


「おい、どうしたんだ?」


 明らかにおかしい様子に、俺は立ち上がって明人の方へ行く。

 目の前に立っても反応が無いから、とりあえず肩に掛かっているタオルで髪をわしゃわしゃと拭いてやった。


「……なぁ、勇人……」

「ん? なんだ?」


 タオルと髪の間からポツリと呼ばれて、髪を拭いてやりながら聞き返す。


「……今日の美来、どう思った?」


 ピタッ


 思わず手が止まった。


 今日の美来。

 それはどう考えても数時間前に見た【かぐや姫】の美来のことだろう。

 【かぐや姫】の美来は、想像していた以上に綺麗だった。

 月明りの下たたずむ姿だけでもドキリとするのに、その月を見上げる様はまさに【かぐや姫】を連想させたし……。


 それに、あの力強い心に響く歌声。

 抗争を止めろ、という思いが伝わってきた。

 歌詞がどうとかじゃない。

 単純明快な意志が、その声に乗せられていた。


 みんなそれを感じ取って、美来に魅せられたから自然と動きが止まって……。

 美来の意志に従うように、抗争は治まってしまった。


 その事実にも俺はゾクリと心が震える。

 畏怖に似た気持ちもあったけれど、それ以上にただただ美来に心奪われた。


 元々面白いし可愛いし、気に入っていた美来。

 素顔を知って、【かぐや姫】だと知ってもっと気に入った。


 ……いや、その時からもう気に入ったというより女の子として好きになってた。


 でも、今日の美来を見て……好きという言葉だけじゃ足りないような気持ちになった。

 如月さん達がこの二年ずっと探し求めていた気持ちが分かる。


 本物のかぐや姫みたいに、月に帰ってしまいそうな彼女を何としてでも引き止めたい。

 捕まえて、触れて、その薄い色の目で自分を見つめて欲しい。


 そんな欲が湧きあがる。


「俺はさ……今まで以上に美来が欲しくなったよ……」


 呟くように紡がれた明人の言葉にハッと意識を今に戻す。


 明人もやっぱり俺と同じってことか。

 それを確信して、俺はニッと笑う。


「俺もだよ。だから、本気で俺たちのにしようぜ?」


 俺の言葉に、明人も笑って同意するものだと思ってた。

 でも、返ってきた言葉は――。


「……嫌だ」

「……え?」


 はじめ、なにを言われたのか分からなかった。

 でも、いつも一緒にいたからこそ、その一言に込められた意味にすぐ気づく。


 いつも同じものを見て、同じものを好きになって、それらを共有してきた。


 女を好きになるってことは今までなかったから、今回は今までとはちょっと違うかも知れないけど……。

 でも、つい昨日までは美来は俺らのだって一緒に言っていたはずだ。


 そう、俺“ら”のだって。


「明人? なんだよ、美来を俺たちのにしたくねぇの?」


 ドクドクと心臓が嫌な感じに鳴り響くのを無視して、非難するように聞き返す。

 なにが言いたいのか、分かっていたけれど問わずにはいられなかった。


「……ああ。俺“たち”の、は嫌だ」


 俺とそっくりな目が真っ直ぐ俺を見る。


「俺は、美来を俺“だけ”の美来にしたい」


 強い意志が込められた眼差しに、俺は言葉が出てこなかった。



 俺だけの美来にしたい。



 いつも一緒で、好きなものも同じで……いつもそれらを共有してきた。

 そうしてずっと一緒にいた。


 それが、崩れる。


 半身とも言える存在。

 ずっと、見ている方向も気持ちも同じだと思っていた。


 でも、初めてハッキリ違うと言われる。

 その事実に軽くめまいを覚えた。


 ……でも、同時に理解も出来てしまう。


 美来を欲しいと思う気持ちは、同じだから。

 それを共有できるか出来ないかの違い。

 共有出来ないと思うほど、明人は美来に本気なんだってことだ。


 ……俺は?


 睨むような明人の眼差しを受けながら、自問する。

 本気で美来を欲しいと思ったのは同じ。

 でも、俺は明人と共有しようと思ってた。共有できると思った。


 その違いが何なのか、答えが分からなくてただ戸惑う。


「勇人……俺は、お前にも美来を渡したくないって思ってる」


 そうハッキリ宣言する明人に、俺は最後まで何も言えなかった。

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