体術の秘密⑧

「げ、高志……」


 私は圧し掛かられていたからよく見えなかったけれど、久保くんは少し顔を上げると相手が見えたらしい。


「へ? 高志くん?」


 予測もしていない人物の登場に私も頑張って首を回しそっちを見る。

 本当に高志くんがいた。

 ドアを開けて入って来たような音はしなかったし、高志くんが来たのはもう一つ隣のベッドの方。


 もしかしなくても寝ていたもう一人って高志くんだったの?


 高志くんと視線が合うと、彼は勢いよく私から目を逸らした。


 あー……見苦しいもの見せてごめんねー。


 と心の中で思っていると、高志くんは視線を逸らしたままの状態で声を張り上げる。


「保健室はラブホテルじゃないんだぞ!?」


 あ、それ私が言いたかったセリフ。


「しかも人がいるの分かってる状態で『喘ぎ声聞かせれば?』とか頭くさってんのか久保!?」

「うわっ、そんなこと言ったの? 最低ド変態」


 ここぞとばかりにけなしてやったけれど、久保くんは「うっせ」と不満そうに返すだけだった。


「あなたもだ!? 星宮さん!」

「へ? 私も!?」


 とんだとばっちりに素っ頓狂な声を上げてしまう。


「いかがわしい声を出されると迷惑だとついさっき言ったばかりだぞ!?」

「え? いや、うん。それは聞いたけど――」

「今度は声だけじゃなく格好もか? 男誘ってるのか? 痴女なのか!?」

「なっ!?」


 あまりの言葉に怒りが湧いて来る。

 誘ってなんかいないし、痴女呼ばわりされる筋合いもない。

 しっかり反論しようと思ったけれど、それより先に私の上に乗っていた久保くんが意地の悪い笑みを浮かべた。


「へぇ……高志、お前って……」


 そう言いながら彼はベッドから降り、高志くんの方へ近付いて行く。

 自由になった私は素早く起き上がる。

 久保くんはニヤニヤと高志くんの顔を覗き込むと、彼の後ろに回ってその頭を両手でガシリと掴んだ。


「女に興味ねぇって言ってたけどさぁ? お前実はただのムッツリだろ?」

「っ! な、何を……?」

「そうじゃ無いってんならちゃんと見て言えよ」

「お、おい!」


 久保くんは高志くんの頭を掴んだ手に力を入れて無理矢理動かそうとしている。

 グググ、と抵抗もむなしく高志くんの顔がこっちに向けられ、私と目が合った。

 瞬間、高志くんの顔が茹で上がる。


「へ?」


 ふすふすと湯気でも出てきそうなほどの赤さに私の方が驚いてしまう。


 え? 私の格好見てこうなってるってこと?

 いや、普通に夏の薄着って程度の服装だよ?


 濡れていて多少ピッタリしてはいるけど、グレーのタンクトップ姿だ。

 ブラが透けているってこともないはず。

 これで赤くなるなら水着姿は全部アウトってなっちゃうでしょう。


「うっわ、マジでムッツリ」

「なっ! こら離せ久保!」


 抵抗する高志くんに、それをオモチャにする久保くん。


 何かもうどうでも良いから、さっさとどっか行ってくれないかな……。

 流石に本気で寒くなってきた。

 早く着替えたい。


「ふぁ……クシュン」


 思わずくしゃみが出ると、じゃれ合っていた二人の動きも止まる。


「何だ? マジで風邪ひきそうなのか?」


 と久保くんが呆れ顔になる。

 誰のせいだと思っているのか……。


「まあ、別の意味で面白かったし。外で見つくろうか……。本当に風邪ひく前に着替えろよ?」


 そう勝手なことばかり言った久保くんは、高志くんの頭を離し「じゃあな」とあっさりいなくなってしまった。


 だから、誰のせいだと思ってんの!?


 いなくなった彼の背中に怒鳴りつけたいと思ったけれど、口から出たのはまたしてもくしゃみだった。


「クシュッ!」

「……とにかく着替えろ。誰も来ない様に見張ってるから」


 一緒に取り残された高志くんがそう言ってカーテンの向こうに行ってくれたので、私はやっと着替えることが出来た。

 濡れた服を全部脱いで制服に着替えると幾分暖かくなってホッとする。


「ありがとう高志くん。もういいよ」


 カーテンの陰からひょっこり頭を出してお礼を言うと、普段の状態に戻った高志くんは「そうか」と眼鏡の位置を直した。

 そして自分が寝ていたベッドに戻った高志くんはベッドに腰掛けると「はあぁ」と大きくため息を吐きだす。


 そういえば高志くんはここで休んでたんだっけ?

 具合悪いのかな?


「えっと、大丈夫?」


 悪化していないか少し心配になって聞いてみると、「大丈夫に見えるか?」と睨まれてしまった。

 つまり大丈夫じゃない、と。


「じゃあ、横になっていた方が良いんじゃあ」


 と言って近付くと、手のひらを向けられストップと止められる。


「いや、星宮さんは俺に近付かないでくれ」

「え?」

「今近付かれると色々と思い出してしまうから」


 と言うと、高志くんは聞いてもいないのに一人でぶつぶつ話し出した。


「星宮さんの声なんかヤバイから。授業中も思い出して授業どころじゃなかったし、仕方なく保健室で休んでいたらこんなことになるし……」

「……」

「大体なんで肌着の格好でいるんだ。やっぱり痴女なのか? 男誘ってるのか?」

「ちょっと待った!」


 黙って聞いていたらまた失礼なことを口走しる高志くん。

 流石に今回は反論させてもらう。


「さっきも言ったけど濡れちゃったから着替えに来ただけだって! 痴女とか男誘ってるとか不名誉なこと言わないで頂戴!」


 ズカズカと近付いて彼の目の前に立った。

 近付くなと言われたけれど、こういうのはハッキリ言っておかないと。


「いや、だから近付くなって――」

「だから不名誉なこと言わないでって――あ?」


 ベッドを挟んでいたからはじめ見えなかったのと、近付いたときは足元に注意していなかったのとで気付けなかった。

 気付いたときには足元にあったスツールに足を引っかけてしまう。


「うわっとっと!」

「お、おい?」


 転んだり倒れてしまったりということは無かったけれど、高志くんに掴まってしまう状態にはなってしまった。

 高志くんもとっさに支えようとしてくれたみたいで、腰を掴んでくれている。


「あ、ごめんね。ありがとう」

「っっっ!!?」


 お礼を言ったけれど、高志くんはさっきと同じくらい顔を真っ赤にさせてしまった。


「……やっぱり本当にムッツリ?」


 思わずそう言ってしまうと。


「とにかく離れてくれ……あと、貴女こそ不名誉なこと言わないでくれ」


 と返されてしまった。

 ごもっともだったので素直に「ごめん」と言って離れる。


「でも女の子とくっついたり、薄着見ただけでそんなになっちゃうとか、今までどうしてたの?」


 不思議に思って聞いてみると、意外な答えが返ってきた。


「……今まではこんなこと無かった」

「え?」

「こんな風になるのは星宮さんだけだ。何故かね」

「えーっと、それって……?」


 意外過ぎて理解が追いつかなかったけれど、その言葉を単純に考えると好きとかそういうものになるんだろうか?

 でも高志くんの視線や態度にはそんな感情は微塵みじんも感じられない。

 だから尚更戸惑った。


「理由は分からないが……まあ可愛らしい人だとは思っているからじゃないかな、とは思っている」


 あくまで分析するような言い方にスルーしそうになったけれど、今可愛らしい人だとか言った?

 え? 誰が誰をそう思ってるって?


 全く可愛いとか思っていなさそうな顔で言われても信じられるわけがなかった。

 でも、続いた言葉でちょっと納得がいく。


「昼ごはんを食べているときとか、有栖川先輩とのやり取りとか見ていたらそう思った」

「……ああ」


 そういえば、前の学校の頃もよく言われていた気がする。

 ご飯食べているときの私はうさぎやハムスターみたいで可愛い、とかって。


 あれか。

 愛玩動物的な可愛いか。


 それでどうして顔を赤くしたりするのかは良く分からなかったけれど、高志くん本人もよく分かっていないみたいだった。

 それなのに私が分かるわけがないよね。

 なので、私はその辺りを考えることを放棄ほうきした。


「それはそうと、何で星宮さんはあんなに濡れてたんだ?」

「……」


 幾分落ち着いてきた高志くんの質問に、私は黙り込んだ。

 別に秘密にする必要はない。

 でも、ここで高志くんに話したらいじめを止めるよう動かれるだろう。

 もしかしたらそれでいじめは止まるかも知れないけれど、火種はくすぶったままになる。

 何かきっかけがあるとまた炎上しかねない。

 しっかり叩き潰して消火しておかないと。


 というわけで、ここはやっぱり邪魔されないよう無言を貫くしかないだろう。

 せっかくここまでやってきたんだ。

 しかもあと少しってところなんだから。


「……ちょっと不幸な事故があってね」


 笑顔で言って明言は避ける。


「不幸な事故? それは――」

「大したことじゃないよ。じゃあ、私は授業に戻るね」

「え? おい!?」


 追及される前に私は保健室を出る。

 不審には思われたかも知れないけれど、ハッキリとは言わなかったから何か対処しようとはしてこないだろう。


 高志くんが何か動こうとする前に決着がつくと良いな。

 そう思った。



 そして、しばらく歩いてからふと気付く。


「あ、下着のこと先生に書置きしておけば良かった」


 そのことで後で少し叱られてしまったのだった。

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