第二十五話 葬斂

 新宿中央公園での襲撃から帰還したヴェロニカは、今朝ホテルから移動した郊外の廃墟に再び足を踏み入れた。


 かつては教会だったその建物は住宅街から離れた林の奥に棄てられ、ポスターや看板が跡形もなく撤去されたコンクリートの壁には羊歯や雑草が絡みついている。木々の隙間から覗く斜陽の光が崩れた天井から漏れ、中のヴェロニカを日差しから逃がさまいと降り注ぐ。コンクリートと石でできた内装に光が溢れ、その光を背景に止まっているかと思ってしまうほどゆっくり宙に漂う埃を見ると、教会としての利用者が絶え、存在価値を失った骸となった現在の方が、よほど教会らしい場所になっているのではないか。

 ヴェロニカはそんなことを考えながら肩に担いだ対物ライフルが入ったケースを地面に置き、冷たい石の床に倒れた柱に腰を掛ける。


 蔦の垂れた天井の大きな穴から射しこんだ夕日の茜が、銀髪に物憂げな光をメッキのように纏わせているのが美しい。ここには日陰になっている場所もあるが、そこに座り直すことはしない。瞳に取り込む光量を絞るため、普段から顰めている目を一層細めながらケースを開けてライフルを分解し、部品一つひとつに傷が無いか丹念に調べた。

「クソ、戻ったぞ…………そこ、どう考えても眩しいだろ。あっちに行かねェのか?」

 玄関の方向から姿を現したイゾルデが、日陰の方を見ながら言う。彼女が背負っているのは、ヴェロニカが今さっきまで担いでいたような、自分の背丈と同じくらいの大きさの黒い鞄。

「ここで良い」

 分解したライフルのバレルを覗いたまま、ヴェロニカが呟く。

「日陰だと銃の点検が出来ないからか?」

「別に。ここの天井から見える空が綺麗だからだよ」

「あっそ……とにかく無事で良かったわ。まあ、お前が簡単に負けるとは思っていねェが。てか、『おかえり』の一言でも言ったらどうだ?」

 ヴェロニカは何も答えない。今自分を圧し潰しそうなこの不安に抗うことに必死で、平静を装うだけで精一杯だったからだ。


 イゾルデが黒い大きな鞄をそっと地面に下ろす。ヴェロニカが近くで見ると、鞄というより、幾重にも重ねられたビニール製の袋に、黒いテープが雑に張り巡らされてあるだけの物だと分かった。

 地面の汚れを手で払い、それを折り曲げながら丁寧に横たえる動作は、普段のイゾルデの気性の荒さには到底似合わない。その違和感から導き出した結論は、ヴェロニカの心の底にあった一縷の望みを絶ち切った。

「やはり、それ。俊樹か?」

「ああ。辛うじて死体は回収できた。頭から上はどっかに消えた。足も焼けてる。きっと電圧の負荷をかけすぎたんだろーよ」


 撤退の指示をイゾルデに受けてから、通信が全く無い時点で察しはついていた。それでも、それでも「連絡、忘れてたんだよ」とむすっとした表情で戻って来る姿を想像してしまった。


 ヴェロニカが袋に歩み寄り、震える手でビニール越しに頭があるべき位置を触る。そこに感触は無く、萎んだ風船のような上部分は、硬い肉の塊に満たされた下の部分と対照を為している。

「イゾルデ」

 廃墟中をかき混ぜるようにゆっくりと流れる空気に消え入りそうな声で、ヴェロニカは呟いた。

「これから私は…………私達は、何をすればいい。何をしたって俊樹が帰ってこないのは知っている。だが問題はここから私達自身が何を成し遂げ、この世界にどう復讐するかだ」

「そうだよなァ、ヴェロ。いずれこうなるだろうってことは三人共覚悟してた。だからこの先アタシ等が死んで堕ちる先の地獄で待ってる俊樹に、どんな土産話をするか…………それだけを考えンだ」


 イゾルデはスマートフォンの画面をつけ、ヴェロニカに投げ渡す。

 そこに表示されていたのは、「冥事対策機構 アカデミー」と書かれたウェブサイトだった。

「フランツェスカ・フリートハイトに怯えて逃げ回るのはもう終わりだ。今日は偶々あの女が聞き出した予定より早く帰ってきて、時間切れになった。だがもうあの女の不在を狙うのはナシ……こんな状況の後じゃどうせ無理だからな。アタシのを起動して正面から捻り潰す。こっちは派手に暴れさせてもらう。ヴェロはその間に羽宮希海を確保しろ」

「フランツェスカと闘うことになるぞ。本当に良いのか?」

「ああ。言っておくが、アタシは刺し違えればそれでいいとか、死ぬつもりは全くねェぞ? あくまで羽宮希海が最優先……冥対の連中はいずれ奪還に来るだろう。ヴェロはその前に元の計画通り、羽宮希海の厄災で門のへ行くんだ」

「分かってるよ、ただ…………」

「ただ?」

「資格の有りそうなのを一人見つけた。羽宮希海を護衛していた奴だ。もしかすると、計画を有利に進める駒になるかも知れない…………私達に必要なピースは、羽宮希海だけではないかも知れないぞ」

「あの資料を読むに、そういう奴は殆ど居ないらしい。それに、そいつの事は知らんが冥対にはもっと強いのが何人か居る。本部以外にもな…………だからあまり期待すンな、この先が不安なのは分かるが」

 そう言うとイゾルデは、地下駐車場の砂埃に汚れたダウンジャケットと黒の肌着を脱いだ。


 光の下に露わになった上半身は、女性らしい曲線を描きながらも薄っすらと筋肉が窺える。じんわりと汗で湿った白い胸元には、三匹の猟犬が描かれたタトゥーが一面に彫られており、右の肋骨から腰骨にかけて刻まれた赤は、至出上に斬られた傷である。

「アタシはさすがに疲れた。汗まみれで最悪だぜ。ここに風呂はねェし街にも顔出せねェから、さっさとケリつけてロシアに帰ンぞ」

 

 ヴェロニカはその言葉を聞きながら組んでいるライフルに最後のパーツ────サイトを装着し、組み立てを完成させた。

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