秋月さんの初体験 9
あ、知っていたんだ。というかなぜ知っているのだろう。ああ、生徒会に加入したときに個人情報とか纏まっている書類を書いたからか。
とはいえ覚えているのは怖いのだけれど。まあ、気にするだけ無駄か。
それはそれとして、だ。あそこになにかあるかなあと考える。駅の近くにはコンビニがあって、地元のスーパーがあって、雑貨ビルがあって、スポーツジムがあって、ちょっと歩くと市役所があって……あれ、遊ぶようなところなくない、ないよね。
「なにするんですか。あんなところなんにもないと思いますけれど」
「うーん。そうかしら。遊べるところあるじゃない」
「そうなんですか」
「そうよ」
豊瀬先輩は自信満々に答える。そこまではっきりと答えられると、そうかもなあと深い思考を放棄してしまう。
「地元のことって案外知らないものよね」
「そうですね。自分の住んでいるところなんて興味もないですし」
「隣の芝生は青く見えるって言葉は本当にその通りだなあと思うわ」
私たちは最寄り駅まで、歩き出し、そのまま電車に揺られた。
いつもの帰り道。いつもの電車。いつもの景色。それなのに隣には豊瀬先輩がいる。とても不思議な気分になった。新鮮だ。
最寄り駅に到着する。
「んー、疲れたわね」
と言いながら、ぐぐぐと背を伸ばす。
「お疲れ様です」
「秋月さんはいつもこの距離行き来しているのかしら」
「はい。そうです」
「すごいわね……本当にすごいね」
感心されてしまった。私的にはいつものことなのでさほど気にしていない、というか慣れてしまったのだけれど。
「そうでもないですよ。それよりもここからどうするんですか」
改めてあたりを見渡してみる。本当になにもない。虚しくなるくらいになにも無い。
ロータリーには一台しかタクシーは停車していないし、交番には警察官がいないし、公衆トイレの横にある喫煙所から煙草の臭いが漂ってくるし。
我が地元ながら終わっているなあと思う。寂れているとかそういう次元を超えてしまっている。ここから落ちる一方だろう。もう東京の名前を捨ててしまえとさえ思う。埼玉が近いんだから尚更。ここに住んでいて東京都民を名乗るのは恥ずかしい。
「とりあえず最初はね、ここに行きたいのよ」
と言ってスマホを見せてくれる。ふむふむ……メロンパン屋か。なるほど。知らない。
そんなところあったんだという感じだ。
「じゃあ行きましょうか」
豊瀬先輩はつかつかと歩き始める。
「知っているんですか。どこにあるのか」
「わからないけれど、私にはこれがあるから大丈夫よ」
と言いながらスマホの地図アプリを見せてくる。
案内してとか言われなくて良かったあ、と安堵しながら豊瀬先輩に置いてかれないように着いていく。あれ、あれれ。私の家へと徐々に近づいているな。
はたしてあそこにメロンパンの美味しいパン屋などあっただろうか。ふむ。記憶にないな。
十分ほど歩くと、目的地に到着する。
細い路地の脇にある小さなお店。こんなところにパン屋なんてあったんだ。知らなかった……。しかも、結構人の出入りが激しいし。もしかして有名店なんですかね。
「ここのメロンパン美味しいらしいのよ」
「そうなんですね。知りませんでした」
「えー、家近いのに勿体ない。一度は食べなきゃ損よ」
と言いながら店内に入る。
「せっかくならご家族にも買いましょうか」
妙な提案をしてくる。わざわざそんなことまでしなくても。
「大丈夫ですよ。一人っ子ですし、両親は海外赴任で家いないので」
「そう……え、そうなのね」
吃驚した様子。あれ、言ったことなかったっけと過去の記憶を探る。うーん、言ってないな。
「それじゃあ私たちの分だけで大丈夫ね」
「そうですね」
メロンパンを二つ注文する。店員さんは同じ箱に入れてくれる。エコだね、エコ。
お店を出ると、豊瀬先輩はすらすらとスマホを操作する。次に目的地を設定しているのだろう。
「次はどこに行くんですか」
「んー、秘密」
「またそれですか」
苦笑してしまう。
「またって……そうね」
豊瀬先輩は歩きだす。
「秋月さんにとって馴染みのある場所よ」
ふふ、と豊瀬先輩は振り返って笑みを見せる。ぽかんとしている私を置いてそのまま歩き出したのだった。
いくら歩いても巡ってくるのは見慣れた景色だ。四方八方知っている景色が広がっている。
あの大きなマンションも、あの禿げている山も全部知っている。そんな中に豊瀬先輩の横顔があるというのは不思議な感覚だ。
徐々に私の家へと近付いてくる。流石の私でも察しがつく。
「豊瀬先輩。ウチ来るつもりじゃないですよね」
「うーん、どうかなあ」
「絶対そうですよね」
「今から行くところは秋月さんの馴染みのある場所よ」
「絶対にウチじゃないですか」
噛み合っているような、噛み合っていないような微妙な反応でお茶を濁される。
「ウチ汚いですよ。誰か連れてくるだなんて考えてもいなかったので。そもそもウチ来てなにするんですか。なーんにもないですよ」
「大丈夫よ。私はそういうの気にしないもの」
「やっぱりウチに来るんですね」
「アハハ。秋月さんったら面白いわね。なんのことかしら」
「いやいや、もう誤魔化せないですよ」
押し問答を繰り広げ、結局私の家の前までやって来てしまう。
安心感漂う建物だ。ホッとするはずなのに、緊張の糸は張ったままである。
「答えは秋月さんの家でした」
私の家の前で豊瀬先輩はそう口にする。
「ですね。言われなくてもわかります」
「秋月さんの家楽しみだなあ」
芝居がかった口調でチラチラと私のことを見る。
「本当にウチなんですか。冗談抜きで汚いですし、なにもないですよ」
「大丈夫よ。押し掛けているのはこちらだもの。そういうのは気にしないわ」
「あー、わかりました。文句言わないでくださいね」
「もちろん」
こうして私は豊瀬先輩を家に招いたのだった。
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