秋月さんの初体験 8
制服にスクールバッグ。多分男子高校生。コスプレとは考えにくいからそうだと思う。
「そ、そうですがなにか?」
スマホを片付ける。なにか迷惑かけてしまったのだろうか、もしかしてここのベンチって縄張りみたいのがあったのかな、とか逡巡する。
「ボク、そこの男子校に通ってるんだけど。良かったらさ、今からお茶でもしない」
「お、お茶ですか」
わかった。これはあれだ。ナンパってやつだ。果たして私なんかをナンパしてなにをしたいのだろうか。自信満々にすべきではないと思うのだけれど、顔は中、スタイルも中、とてもナンパするような相手ではないと思う。
身体目当てなのかな。時々耳にすることがある。女には身体しか求めていないと。
であるのなら、私に声をかける理由もあるというものだ。
とはいえ、この純潔な身体を見ず知らずのような男に捧げるつもりは毛頭ない。
しっかりと彼の顔をみる。うわ……緑色の髪の毛に、でろんと垂れたピアス。好青年のような声音をしておいて、顔はただの不良かぶれだった。
「きっと楽しい思いをさせるよ。後悔はさせないからさ」
さあ、と手を差し出される。
痛々しいなあ、とその男を見つめる。すでにキミから楽しくない思い出を提供されているのですが。心の中で馬鹿にする。
「ふふ、そっか。そうだね。恥ずかしいよね」
私の表情を見て、そんなことを口にする。軽蔑に似たような目線を送っていたのに、それにすら気付かないのか。なんというかスゴイ男だなあと感心する。
鈍感さだけはピカイチだ。そんなものピカイチでも何にも役立たないけれど。
どうやって断るかなあと考える。ああ言えばこう言う、こう言えばああ言うという感じで際限ない水の掛け合いが始まりそうだなあと思う。
考え込んでいると、つかつかとトイレ方面から足音が聞こえる。そちらに目線を向けると輿石が鬼の形相で歩いてきていた。男のことを睨み続けている。
今までの豊瀬先輩への当たりって演技だったんだなあと思うくらい迫力がある。私の方が恐縮してしまう。
「アタシの彼女になにか用か、ああん」
ドスの効いた声。今までに聞いたことのない声だ。鼓膜が震える。
「彼女……彼女?」
男は困惑気味に私と輿石の間を目線だけで往復する。言ったり来たりを繰り返している。
「はあ……なんでも良いけどアタシの彼女に近寄らないで。気持ち悪い。なにもないならさっさと失せろ」
グイっと睨む。
「ひいっ」
獣にでも出会ったかのような表情を浮かべている。
「ぶっ殺されたいのか、消されたいのか、痛い目に合いたいのか。どれか選べ。あんま舐めんじゃねぇよ」
ガンを飛ばし、金色の髪の毛を靡かせる。ぽきぽきと指の関節を鳴らしている。
「き、きのせいでしたー」
男は怖気づいて、そのまま退くように立ち去る。
気のせいでしたってやり取りとしておかしいような気もするけれど。まあ、なんでも良いか。
「秋月怪我とかしてないよね。触られてないよね」
心配そうに輿石は私の顔を覗きながら、隣に座る。
今、私はどんな顔をしているのだろうか。わからない。けれど、頬が火照っている感覚だけはある。鼓動は今までにないくらいけたたましい音をあげる。
私はスッと顔を逸らす。輿石に見られたくない。今の顔を見られたくない。
「秋月?」
心配そうに声をかける。
私は深呼吸をする。平静を装うためにゆっくりと。
「大丈夫だよ」
私は立ち上がって、くるっと輿石に顔を見せる。
微笑みながら手を差し出す。
「帰えろっか」
おどけたような声色で声をかける。輿石はうんと頷いて私の手を取る。
さっきの私の心情。バレていなければ良いな。そんなことを密かに考えながら、歩き出したのだった。
学校が今日も終わる。さっきの世界史の授業ほとんど眠っていたので疲労感はさほどない。むしろ元気。ピンピンしている。
「おす。秋月帰……ねえーんだったな」
明るかった表情は一瞬にして暗くなる。
「豊瀬先輩に誘われているからね。あ、明日返すから世界史のノート貸して欲しいんだけれど。お願いしても良いかな」
「世界史のノートねえ。あ、ああ……寝てたもんなあ。うりうり悪いやつめ」
つんつんと私の頬を突っついてくる。
「ほいよ」
がさごそと荷物を漁って、ノートを貸してくれる。やはり持つべきは友だなあ。
今から友達千人作っちゃおうかな。無理か。
「ありがとう」
「おう。じゃあな」
輿石はヒラヒラと手を振って教室を後にした。
私も教室を出て、そそくさと昇降口へと向かう。昇降口の廊下でキョロキョロと周囲を確認する。
うむ、豊瀬先輩はいないな。先に居て待っているかなと思ったのだけれど、そんなことはなかったようだ。期待していなくて良かった。勝手にがっかりするところだったから。
靴を履いて、昇降口を出る。真正面にベンチが設置されている。
ここで立って待っていても仕方ないし、というか邪魔になるし。座って待っていよう。
そうだ。暇だし、輿石のノート写せるところは今のうちに写してしまおう。
「うわ……カラフルだ」
シャーペンだけじゃ明らかに足りない。しょうがない。昨日買った三色ボールペンを使おう。
私はするするとノートを写し始めた。
「お待たせ」
そう声をかけて私の隣に座る人影。顔を見上げると、豊瀬先輩が隣に座っていた。
「すみません。気付かなくて」
謝罪しながらバタバタと片付ける。来たらすぐに出発できるように軽くノートを写すつもりがガッツリやりすぎて、周囲への注意が散漫していた。
「可愛いボールペンじゃない」
豊瀬先輩は私の持つボールペンを指差す。
「可愛いですよね。えへへ」
照れながら片付けを進める。我ながらあの土壇場で良いものを選んだなあと思う。
他者から褒められるとその思いはより一層強まる。
「すみません。お待たせしました」
荷物を纏めてから立ち上がる。
「大丈夫よ。待っていないもの」
豊瀬先輩も釣られるように立ち上がった。
「で、今日はどうするんですか」
前回色々考えてくれていたし、今日もなにか考えがあるのだろうなあと思って私はなにも考えていない。決して手を抜いたわけじゃない。なんか考えるのめんどくせえなあと思ったわけでもない。本当だよ。
「今日も大丈夫よ。やりたいこと決めてるから」
「そうなんですね」
流石私の先輩。弊校の生徒会長。と、心の中で煽ててみる。
「まずはこの駅に行こうかなと思います」
ふふんと胸を張りながら、スマホを見せてくる。
私からしてみれば、この豊瀬先輩も見慣れたものだが、ただの生徒からは物珍しいようで通り過ぎる人たちは珍しいものをみるような目を向けてくる。
結構しっかりとした目線ばかりだったので、豊瀬先輩も気付いたのだろう。わざとらしく、コホンと咳払いを一度挟む。
「行こうと思うわ」
と、取り繕う。いやいや遅いですよ。
「というか、そこ私の家の最寄り駅ですけれど」
「そうね。知っているわ」
「……」
私はじとーっと豊瀬先輩を見つめた。
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