秋月さんの人脈大革命 8
漫画を四冊読み終える。
私も結構オタク趣味がある。そのせいで、一度読み始めると中々止まらない。
ただ、四冊も一気に読むと疲労がガッと襲ってくる。
そして、その疲労をトリガーにフィクションの世界から現実の世界へと帰ってくる。
現実の世界に帰ってくるとふと思ってしまう。
私は一体、輿石の部屋でなにをしているのだろうか、と。
これなら家でぐーたらごろごろしている方が有意義ではないだろうか。
輿石は輿石で目的もなくただ私のこと見つめている。本当になにをしているのだろうか。そんななにも生まないようなことをしていて楽しいのだろうか。
輿石と目が合う。
輿石はこてんと首を傾げる。
私は微笑む。なんとなく。そう、大きな理由は特にないのだけれど、とりあえず笑ってみた。
強引に理由を探すのなら、目が合って、お互いに逸らすことなく見つめあって、気まずさが生じた。になるだろうか。多分そうなる。
「アタシはね、思うんだ」
私の心中に気付いたのか、立ち上がって、ぐぐぐぐと背をのばし、破顔してからそう口を動かす。
きっと私の暇だとか、なにしているんだろうかとか、そういう気持ちを汲み取ってくれたのだろう。だから、会話に移行した。生産性の欠片も存在しないような会話を繰り広げることになるかもしれないけれど、漫画を読んで自分の世界に入り浸るよりは幾分かマシだ。少なくとも、輿石と会話するという行為は輿石が相手じゃないとすることができない。輿石と遊んだ理由には成りうる。
「ほうほう」
あれこれと思索に耽けながら、曖昧な微妙で感度の悪い、心ここにあらずというような返事を挟む。
「校則を変えるにはやっぱり目立つしかねぇーんだなって」
「生徒会に入れば変えられるとか言ってなかったっけ」
そんなことを言って、ごねて、粘って、無理を言っていた。記憶に新しい。挙句の果てには私まで巻き込んでいたし。ほら、生徒会に入った根本的な理由は輿石じゃん。
「なんで考えが戻っているの」
巻き込まれたからこそ、私に尋ねる権利はあると思う。
これじゃあ巻き込まれ損じゃないか。
というか、生徒会に入っただけで目立っていると思うのだけれど。輿石の目立つと、私の中にある目立つでは言葉こそ同じだったとしても、奥深いところで乖離しているのだろう。
生徒会って肩書きを背負うだけで私は嫌だってのに。
「あー、んなことも言ったなあ」
口元に手を当てる輿石は虚空を見つめるようになにもない白い壁を見つめながら、つぶやく。
「当時はそう思ってたんだよ」
「ふーん、当時ねえ」
「そう、当時」
「今は違うと」
「理想と現実ってのはめーっちゃ大きくでっかくかけ離れているもんなんだよ」
輿石はぐわんと大きく円を描く。
スケールのでかい話をし始めたような気がする。気のせいかな。いいや、そんなことないな。
「と言いますと」
「アタシは生徒会で一ヶ月間活動してきて気付いたわけよ」
つかつかとこちらへ歩み寄り、すとんとベッドに座る。
達観したような表情を見せる。
そんな達観するほどなにかしていたっけと考える。
なにかしたっけ。したのかな。少なくとも私はなーんにもしていない。
「生徒会に入ったから校則を変えられるわけじゃないって」
どうやら心理に気付いてしまったらしい。
権利はあっても行使できると限らない。
義務じゃない。あくまでも可能性が芽生えるだけ。強制力は皆無に等しい。
輿石はスタートラインに立つことはできた。
でも、スタートラインに立ったから皆ゴールに辿り着けるわけじゃない。
壁にぶつかって、石に躓いて、傷付いて。そして、志は高く、苦しいものであると理解する。
それに気付いて、走ることを諦めたものは脱落していく。
まあ、その判断は賢明だとも思う。少なくとも脱落した者を笑ったりしようとは思わない。というか思えない。
世の中には根性論を好む人間がいる。こういう人たちはみな、口を揃えてこう言う。
「為せば成る」とか「諦めなければ必ず掴める」とか「努力は裏切らない」とか、そういう心を奮い立たせるような言葉を。
だけれど、私はそうは思わない。
この世の中はそんなに甘く、優しく、そして平等に都合良くできていない。
どれだけ努力を重ね、善行を積んで、神に祈っても、見放される時はとことん見放される。
この世界は思い描いた通りに物事を進められない。そうやってできている。
「もっと大きくならなきゃならん。今のアタシには地位も力も足りないってわけよ。だから、目立つ必要があるってわけ」
「だから金髪にしたと」
目的はわかった。うん、理解もできる。
でも、方向性が間違っているような気もする。まあ、このムズムズした感覚は今に始まったことではないのだけれど。
じゃあ、具体的にどういう風に間違っているのか。
そう問われると答えることはできない。
あくまで感覚的に、間違っているよなーと思うだけに過ぎないから。
「そう」
こくりと頷く。
頷いて、後ろから私の肩に手を置く。
ん、これ手じゃない。顎かな。多分顎だな。耳元にすーすーと一定の間隔で息が当たっている。そわそわして、くすぐったい。
「でも、さらに思うわけよ」
耳元で囁くように言葉を続ける。
なぜか私は緊張する。机上にある余った水を呷る。
平静さを取り繕う。
輿石の言葉を待つ。ドキドキしながら待つ。
「もっとアタシには目立つなにかが必要なんじゃないかって」
そう言うと、輿石は「んっ」と妖艶な声を出しながら私の隣に移動する。一歩、多くても二歩くらいしか移動していないはずなのに、その間の時間はとても長く感じた。
肩が触れる。袖口が擦れる。髪の毛の先っぽが首元を突き刺す。隣に気配を感じる。
私は輿石を見ない。見つめるようなことはしない。ちろりと軽く目線を向けるようなこともしない。
意味もなく本棚を見つめるだけ。本棚を見つめているという意識すらさほど私の中にはない。一つの景色として見ているだけに過ぎない。
別に本棚である必要は一寸たりともないのだ。
「目立つなにか……ねえ」
私はぽつりとつぶやく。
じゃあ、それは具体的になんなのだろうかと考える。
輿石が求めている、目立つという行為に花を添えてくれるものは一体なにか。
考えたところで私がその答えに辿り着けないことは重々承知だ。そんなことは誰に言われなくてもわかっている。
けれど、考えてしまう。あまりにも手持ち無沙汰で、思考を巡らせる時間が腐るほど存在しているから嫌でも考えてしまう。
そもそも輿石にとっての目立つとはなんなのか。
前提条件として、そこを理解し、共感し、受け入れることから始めなければならない。
前途多難とでも言えば良いだろうか。
数秒、数分で出すことのできる答えではない。
「なにを求めているんだか」
沈黙を埋めるように私は心の中の声を意図的に漏らす。
こうやって私の中にある疑問をつぶやくことで、輿石は答えてくれるのではないだろうかっていう打算的思慮もある。
むしろこっちの方が本命まである。沈黙を埋めるためとか、思考を整理するためとかそんなのは全部言い訳で。
「とりあえず一つは絶対にやりたいことがある」
輿石はそう言い切った。
私はそこでやっと輿石の表情を見る。
凛々しさに包まれ、カッコいいという素直で安直な感想を思わず抱いてしまう。
まるでなにか一つ覚悟を決めたような。そんな表情だ。
「なるほど」
なにか私が言えるような雰囲気ではなかった。というか、この雰囲気を壊してはいけないなと本能的に思ったのだ。
だから、私は淡泊な反応だけをする。
「ちょっと待ってろ」
そう言うと、立ち上がる。
小物入れの元まっで向かって、しゃがみ、戸を引く。そうして、ガチャゴソと中を漁る。
しばらくすると、手のひらサイズの何かを掴んでこちらへ戻ってくる。
あまりにもギッチリガッチリと掴んでいるせいで、何を持ってきたのかはわからない。
うーん、なにかな、と凝視する。
輿石は照れくさそうに笑う。
そして握っているものをそっと解放する。解き放たれたそれはピアッサーだった。
多分ピアッサー。概ねピアッサー。推定ピアッサー。
本物は見たことがないので、確信は一切ない。
けれど、たしかこんなんだったよなあ、という記憶はある。
「ピアスを開けたい」
「そっか」
なんだそんなことかと思ってしまう。もっとスケールの大きいことかと構えてしまっていた。
確かにピアスは校則違反なのだろうけれども。
既に金髪のイメージが染みついている輿石がいまさらピアスを開けるというのはインパクトにかけるよなあ、というのが正直なところだ。
輿石が神妙な面持ちをしていたので、もっと凄いことをしでかすのではという期待のような、不安のようなものが私の中に渦巻いていたのだけれど。実際はそんなことなかった。
もしもピアスを開けたいと豊瀬先輩が言い出しているのであれば、インパクト十分、目立ちに目立ちまくるだろうし、私は全力で止めるよう説得すると思う。気でも狂ったのかと心配さえしてしまうだろう。
でも、輿石は輿石だ。心配はしないし、止めておいた方が良いんじゃないとさえ言う気もおきない。
「良いんじゃないかな。どんなピアスするつもりなのかしらないけれど、輿石なら似合うと思うよ。ピアス」
むしろこうやって肯定してしまう。
だって、してそうだし。ピアスの穴を開けていなかった方が意外だ。
「最初は地味なやつだな。ほら、変に派手なかっけーやつつけると、開けた傷口を痛めて面倒なことになっからよ」
「そういうものなのね」
「そうそう」
ピアスに興味なんて示したことすらなかったので、知らなかった。
でもそうだよね。
ピアスって皆しているから当たり前みたいな感じになっていたけれど、やっていることは人体に穴を開けているだけだもんね。
傷口が治癒するまではごりごりに派手なもの付けられないよね。
「で、はい」
詳しく説明することなく、輿石はピアッサーを手渡す。
押し付けられて、とりあえず受け取る。受け取ったは良いが困惑する。
なにこれ。押し付けられたけれど。
「なにこれ」
「ピアッサーだよ」
「それはわかるよ」
ピアッサーすら知らない無知な人間だと思われたのだろうか。まあ、ピアッサー程度なら知らない人間もいるか。
だとしても、会話の流れを汲みとれないと思われたのは解せない。
今の流れ的にピアッサーを例え知らなくとも、ピアス関連のなにかであるというのは考えればわかること。それすらわからないんだろうなあ、と思われたのはやっぱり解せない。
「なんで私にピアッサーを渡すの。私これどうすれば良いの。輿石が使うんでしょ」
私もピアスの穴を開けろってことなのかな。
ええ、嫌だよ。痛そうだし。そもそも私にピアスは早い。高校卒業してからで十分間に合うと思う。
「あ、そのな……」
しどろもどろな受け答え。
目線もあっちこっちに泳いでいる。
「うん?」
違和感のある反応に私はこてんと首を傾げる。
「して欲しいんだけど」
「え、なにを」
「だから……」
「だから?」
「これをさ、その……」
「これを?」
「いや、そのな。あ、違うから」
「いや。そもそもなにがよ」
輿石がなにかポツリと溢すように口にするのだが、それはあまりにも要領を掴めないというか抽象的で具体性の欠片もないようなものであり、彼女がなにか言うたびに私がオウムのように返事をする。そんなことを繰り返す。途中で、私は一体なにをしているのだろうかと思ったが、それでも繰り返す。
「違う。そう、違うんだよ」
「だからなにが」
「これはさ、決してアタシが思っているわけじゃないってわけなんだけど」
「う、うん。わかったから。で、なに」
「ピアッサーをさ、自分でやっとな。なんか噂に聞いたところ……」
「ほいほい。噂に聞いたところ?」
輿石はそこまで喋ってから黙ってしまう。
まるで、電波が混みあっているときの電話みたいだ。
「おーい。聞こえてるよー」
私は輿石の顔の前で手のひらをフリフリする。
輿石は首をブンブンと激しく横に振る。そんな激しくしなくても……ってくらい激しくて、ポニーテールも激しく揺れている。
「だー。これもダメだな」
「ふーん」
「もういいや」
諦めたように耳を引っ張る。正確には耳たぶだ。
そうして私の太ももに頭を乗っける。
突拍子のない行動に私は困惑の上に困惑を重ねる。
意味がわからない。なぜ突然私の太ももに寝そべったのだろうか。これはあれか。あれだな。膝枕ってやつだな。
「なんで膝枕なの」
当の本人は頬を紅潮させる。恥ずかしそうだ。恥ずかしいのならしなきゃ良いのに。意識していなかったのに、こちらまで一緒に恥ずかしくなる。
「……」
輿石はなにかを言った。
口を動かした。頬が、顎関節が動いた。多分なにかを言っていた。でも聞こえない。そんなことあるってくらいなにも聞こえなかった。
私は鈍感系主人公なのかな。
そんくらい綺麗に聞こえなかった。
「なんでしょうか。輿石さん。なーんにも聞こえなかったんだけれど。だからも一回言ってくれる?」
「だから……」
輿石はそこまで口にして、また口を閉じる。
「怖いんだよ」
唸るように叫んで、私のふくらはぎをむにぃと摘まむ。というか捻る。
「ほら笑えよ。怖いんだよ。ピアス開けんのが怖いんだよ。ぜってぇにいてえぇもん。自分でやるのは無理だわ。マジで」
ムスッとした表情を浮かべながらこちらを見つめる。
「怖いんだ」
意外だった。恐怖とかないのかと。特攻服とか持っているし、金髪だし、入学式で大暴れするし。誇張無しで怖いものなしなタイプの人間かと。
可愛らしいところもあるじゃん……っていうのがいの一番出てきた感想であった。
「なら、やらなくても良いんじゃないかな。わざわざ怖い思いしてピアスの穴を開ける必要性ってないような気がするけれど」
とも思う。
「いいや、必要なことだね」
「そんな即答するほどなんだ」
「ピアスはファッションの象徴だろ」
「そうかな」
シャツとか、パンツとか、コートとか。もっと象徴的なものってあると思うのだけれど。
ピアスが一番に食い込んでくるのは明らかにおかしい。
「そうだろ。むしろ他になにがあるってんだ」
冗談を言っているようには思えない。それほどに透き通った瞳を見せてくれる。純情な瞳だ。
なによりも、自分は間違っていない。そう信じてやまないような表情が、本気であることを教えてくれる。
わー、本気なのか。そうか……うん、そうか。
あー、でも、良く考えてみよう。輿石は目立つために金髪にしよう、とか思っちゃうような子だ。
明らかに普通とはズレている。普通からズレているのなら、ピアスをファッションの象徴とか考えていてもおかしくないのかも。
「とにかく……な」
またこてんと頭を動かす。
そして、耳たぶをグイっと引っ張りながら右耳を見せつけてくる。もちろん、見せつけてくるような意図は一切ないのだろうけれど。なんか見せつけてくる。
「早くやってくれ」
ピアッサーを渡されて、怖いと言われて、頭を太ももに乗っけられている。その上で震えるような声でそう言われたら流石に何を求めているかはわかる。
でも、こんな怖がっているような子にして良いのかな……という私の中の良心が語りかけてくる。でしゃばるが正解かも。
「開けろってことだよね」
「それしかないっしょ」
逆切れされてしまった。焦らしすぎたかもしれない。
「逆にこの状況でなにがあるの。それでなにか一発芸しろみたいな無茶ぶりするとでも思った? アタシもそんな畜生じゃあない」
そして正論をぶつけられる。あと饒舌になった。
「でも本当に良いんだよね。やっちゃうよ。痛いよ」
「痛いのはわかってんの。わかってるけどさ、これしかアタシにはないんだって」
私のパンツをくいっと握る。
本当に怖いのが伝わる。ここまで怖がっている姿を見ていると、そんな怖がることなのかなと冷静になる。
痛いんだろうけれど、針の太い注射くらいの痛みではないだろうか。
そんな今から斬首刑にされます……みたいな反応は間違っているような気がしてならない。
いや、私はピアスの穴を開けたことはないし、経験者にどれくらい痛いのって聞いたこともないから実際どうなのかは知ったことじゃないのだけれど。
「そこまで言うならやるよ」
冷静になった私はもうさっさとやってしまおうと決意する。
「ほら、こい」
「行くよ――」
「おしッ」
「って言ったらやるからね」
輿石は気合の入れた声を出すが空ぶってしまう。意図してフェイントをかけたつもりはないのだけれど。結果的にそうなってしまって申し訳ないなという気持ちになる。
「おい」
輿石はぷるぷると震えながら怒る。
「まだピアッサー開封すらしてないし」
怖すぎて周り見えてないんだよ。一回深呼吸した方が良いよ……という言葉が出かかったがすんのところで止まる。
さっさと開封する。
「じゃあ、今度こそ行くよ」
「お、おう。良しこい」
私はトリガーを引く。
かちっんという音が静かな部屋の中で響く。
こうして、輿石の耳たぶは傷物になったのだった。
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