イタリア中世の武器職人が軍司令官と禁断の愛で苦悩する物語
ヘレネ
剣と祈り
プロローグ テンプル騎士団での最期と夢
「こんな愚かな戦いを誰が命じた!地獄に堕ちるが良い!堕ちて永遠の業火に焼かれるが良い!」
俺は兜を脱ぎ捨て、剣を振りかざした。
馬から降りた重装騎兵など、敵に包囲されればひとたまりもない。
混戦となり、形勢不利になった戦場だった。
その瞬間に、俺は迷わず、手綱を強く引いて、馬の頭を方向転換させた。そして、ギョームのいた方向へと馬を向けながら、叫んでいた。
「お前たちはこの戦場から離脱しろ! 俺はギョームを助ける! 指揮はベルナルドが取れ!」
撤退途中であった白地に赤十字の僧衣の集団から、俺の馬は飛び出していた。
「もし、万が一、俺に何かがあった時……お前も一緒に死んでくれるか?」
星空の下で、そう問われた瞬間を思い出す。
「死と隣り合わせの場でしか、俺は生を感じることができない。そして、戦いの中で、俺は理性を失いそうになる。すべてを殺戮し、焼き尽くす、そんな衝動に支配されそうになる。お前がいなければ、俺は何をするかわからない。でも、お前の存在が、俺を人間らしいものに引き戻す。お前は俺の良心だから」
世の全てに対して疲れ、投げやりで、暗い目をしたギョームがそう独白した時、俺はそれを何も言わずにただ受け入れた。
地面からギョームが素早く立ち上がり、剣を構えるのが見えた。
襲いかかるムスリムの兵をそのまま次々叩き切ってゆく。
俺はまっすぐ馬を走らせながら、その途上に立ちはだかる敵を馬で蹴り殺し、剣で薙ぎ払っていた。
敵の中に取り残されたギョームを助けることは、不可能だ、ということはその時点でわかりきっていた。
そして、そこに向かうことが何を意味するのかも。
激高し、興奮状態でその場にたどり着いた俺は、馬から降り、ギョームの後ろに立った。
そして、叫びながら、兜を脱ぎ、剣を振りかざした。
兜を被ったままでは、視界が悪い。そのまま戦うよりも、脱いだ方が、この混戦の中では視界が確保されるから、戦いやすくなる。
肩越しにギョームに目をやると、彼も兜を脱いでいたが、俺と一瞬目が合った。
絶望的な状況であるにも関わらず、ギョームの目は嬉しそうに笑って見えた。
「背中は任せた」
「一蓮托生だ」
投降することは許されなかった。
捕虜になるという選択肢は存在しなかった。
戦場で敵に囲まれ、救援など望めず、退路が断たれるということは死を意味した。
背後を守るものがいる。だから、前から来る敵だけを倒せば良い。
ただひたすら剣を振った。
敵兵の肉を断ち、骨を砕く音が聞こえた。
顔に返り血を受け、服は赤く染まり始めていた。
その敵の海の中で、生き残ることは不可能だった。
無意味な戦いだった。
最初から無理のある作戦だった。
愚かな司令官によって、死地は作られた。
怒りが腸の底からぐつぐつと煮えたぎるように湧き上がり、俺たちを駆り立てていた。
ただの無駄死にはならない。
できる限り敵を道連れにするのだ。
ただ、その想いだけで戦い続けていた。
露出している頭部や、わずかな隙間を狙って敵の槍や剣がかすり、傷つき、そして、鎖帷子をついてくる。
白い僧衣は埃ですでに汚れていたが、それが敵の血だけでなく、自分の血でも赤く濡れ始めていた。
長時間、鎖帷子を着て、大剣を振るうことには限界もある。
それでも、かなり長い間、致命傷を避け続けていた。だが、とうとう俺は重い戦斧の一撃を体に受け、片足をついた。
あばら骨が折れた音と感触があって、息が止まり、激痛が走った。口の中に血の味が広がって、呼吸ができなかった。
意識が遠のきそうな中、そこに続く敵の一撃が振り上げられるのが見えた。
ああ、ここまでか、と思った。
俺の背後で戦っていたギョームがどうなっているのか、最後に確認をしたくて、目を向けた。
俺の視線の先には、狂ったように戦うギョームがいた。彼が戦う姿は常に悪魔のようだった。
しかし、倒れた俺を目にした瞬間、その瞳から戦意が一気に消失した。
その瞳は終わりが来たことを受け入れ、何かを納得し、安堵し、穏やかなものだった。
彼と過ごしてきた中で、その時まで、俺が見ることのなかったものだった。
同時に、彼の首に敵の刃が届こうとするのが、スローモーションのように見えた。
俺は。
守りたいと思ったものを守れなかった。
力だけでは及ばない。
力だけでは、戦いに勝つことはかなわない。
力だけでは、愛するものを守れない。
だから……
呼吸が止まり、涙が顔を伝う感触に目覚める。
窓の外から鳥の鳴き声と、窓の外の道を歩きながら会話する通行人の声が聞こえていた。
苦しくなっていた息を、一気に吸い込む。
「夢…か……」
枕が濡れるまで、涙を流していたはずだったが、目覚めるとともに、夢は遠く彼方へと雲のように掴みどころのないものへと変わってゆく。
何かとても鮮烈なものを体験したはずなのに、それが何であったのかを思い出せない。
それは、子供の頃から時々見る夢だった。
いつも、そんな風に目覚めるが、それがなんであったのか思い出せない。
ただ、どうしようもなく、心の中に穴が空いているような、言いようもない悲しさ、やり場のない気持ちだけが残っているのが常であった。
「ジャンニ! そろそろ起きなさい!」
ドアの外から、母が叫ぶのが聞こえた。
いつもの日常の始まりだった。
俺は、ベッドの中で伸びをして、起き出した。
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