第19話 「罪悪と憤怒」

 クラリスは涙を流す瞳を大きく見開き、身を引き裂かれるような悲鳴をあげて飛び起きた。



 冬のウィンフィールドは両親が亡くなって以来で、雪に彩られた湖を眺め、思い出に浸り哀惜を感じていたチェイスは、明日はクラリスに何を見せてやろうかと考えていた。


 しかし、突然屋敷中に響き渡った悲鳴に驚き、クラリスの寝室へ向かって走った。


 クラリスの荷物の荷解きをしていたレイチェルが先に来てクラリスを宥めていた。セオドアは不安そうにクラリスの足元で丸まっている。


「クラリス!どうしたんだ、何があった⁉︎」

 がたがたと震え、レイチェルにしがみついているクラリスを、どうしてやればいいのか分からず、チェイスの手は空中を虚しく彷徨った。


「怖い夢を見ただけです。最近はあまり無かったので油断しておりました。環境が変わったため少し不安定になっているのでしょう。心配はいりません」レイチェルは落ち着き払って言った。


「そうか……それじゃあ、キッチンへ行って温かいお茶を淹れてもらってこよう」


「よろしくお願いします」


 クラリスの悲鳴は、庭師のジェイクにも聞こえていたようで、チェイスが来る前に既にハーブティーが準備されていた。


 使用人たちの表情はかげり、憂色を浮かべていたが、あれほどクラリスに過保護な彼らが——チェイスが初めて別邸を訪れ、クラリスを怖がらせた時、彼らは立ちはだかろうと、身を挺してクラリスの盾となった。そのことを罰しようとしたが、事情を知ったチェイスは全員を不問に付した——一目散に駆け出すでもなく、自分の仕事をこなしている様子からも、以前はよくあったことなのだろうとチェイスは理解した。


 ハーブティーを受け取り、クラリスの寝室に戻ろうとしたチェイスに、ダグラスはキッチンに入ってきて声をかけた。「こうなったときの奥様は、男性を嫌がりますので、トリッシュがお持ちします」


「そうなのか、では任せた」チェイスは女中のトリッシュにハーブティーを渡した。


「伯爵様、お伝えしたいことがございます。少しお時間よろしいでしょうか」ダグラスがチェイスに訊いた。


「構わない、執務室で聞こう」


 チェイスとダグラスはチェイスの執務室に向かった。


 ダグラスはチェイスと自分用に、茶を淹れ向かい合って座り、しばしの沈黙の後で何かを決心したかのように話始めた。


「今から話すことは、私の憶測に過ぎないことを心に留めておいて下さい——奥様の主治医は性的な被害は無かったようだと仰いましたが、悪夢を見たあとはしばらくの間、私でも話しかけられないほどに男性を恐れます」


「性被害があったと?だが、Dr.ファニングは魔道具を使って身体検査をしている。間違えるとは思えない」


「ええ、ですから奥様は処女だということなのでしょう。ですが、だからと言って性被害を受けていないとは言い切れません。口にするのもおぞましいことですが、尻を犯す者もいると聞きます」


「そんな、まさか……」チェイスは愕然とし、怒りに震えた。「クラリスは何か言ったか?」


「いいえ、何も。しかし、虐待をしていたのは侍女だったと聞いています。ならば男を恐れる理由はないと思うのです。エンディコット公爵は、グレッグが姉を慕う様子が異常だったと仰っていたのですよね。アビゲイル様の生き写しのようなクラリス様にグレッグが執着したとしても、おかしくないのではないでしょうか」


「侍女たちは全員処刑された。グレッグは子爵だったこともあって処刑を免れたが、終身刑を受けて今は監獄にいる。奴に聞けば分かるかもしれないが、期待はできないだろうな。精神を病んでいて言ってることが支離滅裂なんだ」チェイスはクラリスの心の傷の深さを案じ胸を痛めた。「クラリスは性被害を受けたと理解しているだろうか」


「何とも言えません。男女の交わりについては何も知らないようです。ただ背中の傷については話して下さったのに、悪夢については頑なに口を閉ざしています。話して下さらないのは、本能的に何かを感じとっているからなのではないかという疑念を抱くのです」


「このことを知っているのは?」


「私だけです。年若いレイチェルには話すべきではないと思い言いませんでした。それに、これは憶測に過ぎませんから、Dr.ファニングにも相談していません」


「Dr.ファニングには私から聞いてみる——グレッグをこの手で殺してやりたい」チェイスは怒りに震え、奥歯を噛み締めた。


 チェイスとダグラスはそのあと長く沈黙した。

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