第5話 「チェイスは真相を知る」
クラリスが、カヴァナー家に嫁いできて1年が経ち、6月もそろそろ終わろうかという頃の話だ。ベレスフォード伯爵に、第一子が産まれたと知り、クラリスの父であるエンディコット公爵サイモン・ノースウッドは、祝いの品を贈るよう執事に言付けた。
お礼の手紙が公爵邸に届き、数か月が過ぎた頃、チェイス・カヴァナーとクラリス夫妻の間にできた子供は、愛人であるバイオレットが産んだ子供だという噂が広がった。
ノースウッドは、噂の真相を確かめるために、ベレスフォード伯爵邸を訪れた。
「ベレスフォード伯爵、子供の母親がクラリスではなく、愛人だという噂を耳にしたが、まさか真実なのか?お前はクラリスを利用したのか?」ノースウッドはチェイスを睨め付けた。
「ノースウッド閣下、そんなものは、根も葉もない噂です。子供は確かに、私とクラリスの間にできた子ですよ」チェイスは、もちろん嘘っぱちだと言いたげに、笑ってみせた。
「では、クラリスをここに連れて来い、直接話を聞く」腕を組み、どっかと椅子に腰をおろしたその態度は、娘を大事に思う父そのものだった。
父と娘の仲は悪く、ノースウッドはクラリスに関心を示さないだろうから、面倒なことにならないと思っていたのに、間違いだったのだろうかと、チェイスは懸念を抱いた。
どこから真相が漏れたのか分からないが、不届きにも、カヴァナー家の内情を漏らしたやつをつきとめ、口にできないほどの罰を与えてやれば、今感じている不快な苛立ちが、少しは解消されるかもしれないと、チェイスは考えた。
王族に並ぶ公爵を怒らせれば、伯爵なんて一溜りもない、厄介なことになったと焦ったチェイスは退出し、クラリスを呼びに行くよう、執事のブランドン・シーボルドに伝えた。
「怯えた女だ、少し脅せば従うだろう。連れてくる前に、子供は自分が産んだ子だと言うよう説得しろ」
チェイスに遣わされたブランドンが、クラリスの所へ行き、エンディコット公爵が伯爵邸に来ていて、クラリスを呼んでいると伝えると、クラリスは発狂したように動揺し、レイチェルにしがみついて懇願した。
「嫌よ!レイチェル、行きたくない!お願い私を連れて行かないで。私会いたくない——あの人には会いたくない」
「ご安心ください、クラリス様。連れて行ったりなどいたしません。クラリス様が会いたくないと仰るのなら、我々は全力で阻止します」レイチェルは不服そうな顔で、ブランドンを睨め付け、クラリスの背をゆっくりと撫で下ろし、落ち着かせた。
結婚式以来、目にしていなかったクラリスの、あまりの動揺に驚いたブランドンは、ただならぬ事態を感じ、クラリスを説得することも、連れていくこともせず、本邸へと戻り報告した。
「クラリス様は、エンディコット公爵の来訪をお聞きになり、動揺されたようで、とても話をできる状態ではありません」
「父親に動揺したと?」
「はい、クラリス様は会いたくないと、侍女に泣いて縋っておられました。エンディコット公爵閣下には、クラリス様は体調を崩されていて、面会できないということで、お引き取り願うしかないと存じます」
「はあ、面倒な女だな——別邸に閉じ込めたことへの嫌がらせのつもりか?」チェイスは苛立ち、顔を歪めた。「ノースウッド閣下には後日、妻と共に子供を連れて、こちらから伺うと伝える。お前はクラリスの所へ行き、指示に従わなければ、制裁を加えると脅して来い」
「伯爵様、一度クラリス様と、話をした方が良いと感じました。あれはヒステリーを起こしたのではありません。明らかに恐れていました」
「父親を恐れているのか?」チェイスは呆れて言った。「あれほど貴族の資質に欠けているんだ。叱られると思っていても、不思議ではないか」
「初めてお会いした時は、確かに私もそう感じました。下を向き、のそのそと歩く姿は、貴族の資質に欠けている。しかし、何かが気にかかるのです。別邸の使用人たちが、クラリス様を殊更に気にかけているからかもしれません。侍女はクラリス様を、守っているように見えました」
チェイスは、うんざりしたように大きなため息をついた。「分かった、子供をクラリスの実子とするためにも、話し合いは必要だろうから、後で行く」
チェイスはクラリスの体調が整い次第、改めてエンディコット公爵邸を、家族揃って訪ねることを約束し、ノースウッドを追い返した。
それから、別邸を訪ねたチェイスは、クラリスを連れてくるよう、別邸の執事であるダグラスに命令した。「クラリスを連れて来い」
「奥様は先程まで取り乱され、今はお休みになられています」
「子供のことで話がある。叩き起こせ」
「
「もういい!使えん執事め!お前は今日を以て解雇だ。荷物をまとめて出ていけ!」元々苛ついていたチェイスは、ついに怒りが爆発し、クラリスに会わせようとしないダグラスを叱りつけ、クラリスの寝室へ、足音荒く向かった。
止めようとするダグラスや、他の使用人たちの声を無視して、チェイスはクラリスの部屋の扉を荒々しく開けた。
その音に驚いたクラリスは、悲鳴をあげた。
獣の鳴き声のように響く悲鳴に、チェイスは眉間を寄せた。まるで断末魔の叫びだ。
ダグラスはクラリスに駆け寄った。「クラリス様、ダグラスです。扉が大きな音を立てましたが、怖がる必要はありません。私たちがついていますからね、クラリス様を傷つける者は、ここにはおりません」
レイチェルはクラリスを抱きしめ、子供をあやすように揺すった。「物語を読みましょうか、『雪の女王』はどうですか?お好きでしょう?」
チェイスは恐怖に目を見開き、口の端からシューシューと息を漏らしている、今にも発狂しそうな女を見た。これが、あのクラリスか?結婚式では常に下を向いていて、目を会わせようともしなかった、愚図でのろまな女と同一人物なのか?
小動物のように、臆病で目障りな女——違う、彼女は臆病だから怯えているのではない、天敵に睨まれ、命を危ぶまれているから怯えているのだ。
そして今、彼女の敵はチェイスだ。チェイスは音を立てないよう扉を閉めた。
「ブランドン、これはどういうことだ?」
「クラリス様は、幼少期に虐待されていたようだという報告を受けてはいますが——ここまでとは、予想外でした」ブランドンも、クラリスのあまりの様相に、動揺を隠しきれなかった。
「別邸の執事と侍女から話を聞く、ここが落ち着いたら、執務室まで来るようにと伝えてくれ」チェイスは本邸へ戻ることにした。
ダグラスとレイチェルは呼び出され、本邸の執務室を訪ねた。今は疲れ果てて眠っているクラリスが、自分たちが戻る前に、目を覚ましてしまい、取り乱したらどうしようかと心配した。
「先程のクラリスは、どういうことなんだ?なぜあんなにも取り乱していた?父親が訪ねてきただけだろう」
「奥様はエンディコット公爵邸で、酷く痛めつけられていたようで、知らない人を恐れています」ダグラスが答えた。
「クラリス様の体には、鞭で打たれた無数の消えない傷跡があります。私はクラリス様の侍女として、命をお守りする責務があると、心に留めております。クラリス様を、エンディコット公爵に、引き渡したくはありません」レイチェルは怒りに震えながら言った。
「エンディコット公爵が、娘を虐待していたと言うのか?」
「どうして傷つけられたのか、その理由を、お話くださったことがあります。難産だったそうで、クラリス様を産む途中で、お母上様はお亡くなりになられたそうです。医師は仕方なく、息絶えたお母上様の腹を裂いて、クラリス様を取り上げたのだそうです。エンディコット邸では、公爵夫人を殺した悪魔の子と呼ばれていたそうです。虐待は父であるエンディコット公爵が、使用人に指示して行っていたと、仰っていました」
「娘が妻を殺した……その報復というわけか……愚かなことだ」
難産はよくあることだし、出産で命を落とす母親も少なからずいる。それなのに、娘に罪を負わせるとは、エンディコット公爵は評判に違わず、冷血な人間なのだなと、チェイスは思った。
そんな気の毒な女性を、臆病な間抜けだと罵り、産まれてくる子供の母親に、ちょうどいいからと、連れて来てすぐ、別邸に閉じ込め、気にもかけなかったチェイスも、彼女にとっては冷血な人間だ。
今までの仕打ちを謝り、償いをしなければならないが、どうしたら許してもらえるのだろうかと、チェイスは頭を抱えた。
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