▼最下層:脱出

 ファハンの魔法は残り回数が見えている。魔法の眼鏡で魔力を検知できるから、使おうと思ったら切れていた、などということがないのはせめてもの救いだ。

 さすが迷宮の最下層。俺たちはジェイスの地図の裏面に、新たに地図を作った。ちょっとでも危ないところはバツをつける。ルートのすべてにバツがついたなら、どれかに進んでみることで、危険を最小限にしつつ、脱出路を見つけようとしたのだ。

 明らかに魔法使いの居室と思われる部屋は慎重に迂回する。もっとも、あの営業時間の書かれた「大魔法使いの部屋」の看板が本当にくだんの魔法使いの部屋だと信じるなら、だが。

 可能な限り危険を避けるジェイスの歩き方は、時間はかかるが、有効だった。

 ファハンの予想通り、最下層の造りはそう複雑でもなければ、そう罠や怪物に満ちてもいなかった。

 そしてその扉を見た時、ファハンは俺たちを制止した。

「待て」

「なんだよ」

「不可視の文字だ。扉に文字が書いてある」

「見えないぞ」

「不可視と言っただろう。魔法の眼鏡で見えている」

 ファハンは扉をにらみつけると、ゴクリとつばを飲み込んだ。

「ここだ」

「ここ?」

「勝手口、さ」

 ファハンの指差す扉は、特に何の変哲もない、他の扉と変わらなく見えた。もっと仰々しく罠などかけたりしているのを想像していた俺は、拍子抜けして首を傾げる。

「魔法の文字でそう書いてある。信じるかどうかは別だが、罠なら不可視の文字なんて使わないだろう。さっきの居室とやらは使われていなかった」

「あれは罠か」

「その可能性が高いと判断する理由にはなったな」

 ボグルは扉に耳を当てて中の様子をうかがう。

「音は特に聞こえないなぁ」

「案外、なにもないかも」

 もし迷宮の主の魔法使いが日常的に使っているのだとしたら、ファハンの言う通り案外なにもないかもしれない。普段使いの道にあまり多くの罠を仕掛けても、使いにくいだけだろう。通るたびに外したりかけたりしなければならない。それは希望的観測かもしれないが、そうだったらいいなと心から思う。

「鍵は?」

「かかっていない。外出中で急いででかけたのかも」

「よし……」

 俺は音が立たないように注意して、扉を薄く開ける。中はやはり他の通路と同じように、消えずの松明がかけてあって十分な明るさがあった。

 中の部屋は幅8マス、奥行き12マスといったところ。

 部屋の奥、中央にはさらに幅4マス、奥行き6マス程度の空間があり、そこには酒場で吟遊詩人やダンサーが乗るような一段高いステージがしつらえられている。そのステージの横には金属のプレートが見えた。プレートには特になんの模様もない。

「う……」

俺の上から部屋を除いたファハンが思わずうめいて、俺は下から小突いて黙らせた。

 ファハンがうめいたのも無理もない。

 その部屋の中央には、奇妙な怪物が鎮座していたからだ。

 そいつは巨大な……直径で2マスはあるだろうかという大きさの球体だった。

 表面はごつごつした岩のようで、中央に横一直線に切れ目が入っている。その下にあいているのは……乱杭歯の生えた口のようだ。

 奇天烈なのはその球体の上に、数本……よく見えないが少なくとも十本程度……のくねくねと曲がる蛇の体のような触手じみたものが生えていて、その先端にはそれぞれ目玉のようなものが見えた。そのほとんどの目玉は眠っているようにくたりと横になっていたが、一本だけが周囲を警戒するようにのたうっている。

 俺はそっと扉を締めて、それからぼそぼそと言った。

「何あいつ……」

 ファハンが答える。

「知らなくても無理はない。わたしも見るのは初めてだ。あれは……目玉の王と呼ばれる怪物だ。常に探知の魔法を走らせていて自分の名前を呼ばれるとすぐに気付かれるから、名前を呼ばれることはない。高い知能を持っていて、特に魔法に造詣が深い。……おおかた迷宮の主の協力者で、ここはあいつの部屋ってところだろう」

「くそ。じゃあはずれか」

「いや、違う。部屋の奥の魔法円を見なかったのか」

「魔法円?」

「一段高くなっていたところだ」

「あぁ……そうか、魔法の眼鏡か」

「ここからじゃよく見えなかったが、壁に貼られていたプレートには使用方法が書かれているはずだ。魔法円の起動には、鍵となる複雑な合言葉が必要で、おそらくそれが書いてあるはず」

「起動にはかなり時間がかかるのか?」

「ものによる。しかし瞬間移動の魔法円の合言葉が短かったという話は聞いたことがない」

 つまり、あの目玉の怪物とやらを切り抜けて、奥の魔法円に飛び込んで、魔法の文字を読めるファハンがそれを読み上げる間なんとか持ちこたえる必要があるわけだ。

「その目玉の化け物とやらは強いのか?」

「弱かったら、めったに見ないのに文献に何度も現れるわけがない。強敵だよ」

 ファハンが言うには、目玉の王はその何本ものカタツムリの触覚のような目からさまざまな魔法の怪光線を放ってくるらしい。ただの熱線から、命中すると石になる光線、ファハンがキマイラにぶつけたような、光に分解される光線などもあるという。

 それだけでも厄介なのに、今、おそらく問題となるのは中央の巨大な目だ。

 今は閉じていた一直線の線、それは瞼で、その奥には目玉の王の名にふさわしい巨大な目が隠されている。

 その目は魔法を停止させる光線を常に出していて、目玉の王に見られている間、その範囲は一切の魔法が働かないというのだ。

「俺たちが首尾よく魔法円まで走れたとしても、あいつに見られている限り俺たちは脱出できない、ってことか」

「そうだな。魔法の眼鏡も働かないし、不可視の文字も現れないから呪文を読むこともできない」

「あいつを二人で囲んだらどう?」

「そうすれば確かに、どちらか一方しか見ることはできないが……」

 俺は首を振った。

「それじゃあ二人のうちどちらかが囮になってここに残る羽目になる」

 それはできない。

 俺はもう、不本意な決断はしたくない。ここを出るならこの三人で、だ。

 俺たちは持ち物を調べて使えるものを探した。

 だが、強力な武器はどれも魔法がかかっている。やつに睨まれると働かない。魔法がかかっていないのは、それこそコインとかボグルの着ているボロ布とか、俺の担いでいるギターくらいだ。

「コインはどうだろう。どんどん袋が睨まれたら魔法が停止するんだよな? いっぱいにコインが詰まっているはずだからそれが飛び出して目眩ましになったりしないかな」

「いや」ファハンは首を振る。「魔法が停止された魔法の品物は、魔法が解けるわけじゃないんだ。効果が止まるだけだから、睨まれている間、それは何も入っていないただの袋になる。ものすごく重くなるかもしれないが……。視線がはずれたらまた取り出せるようになる」

「視線が外れたら働くのか?」

「そうなるな」

「睨まれている間、お前の杖も働かないのか? 光も消える?」

「あぁ。魔法で作られたものは、その効果を停止する。目がそらされればまた効果を発揮するが」

 なるほど。

 俺は腕を組んで考える。すべてが上手く行けば……すべてが上手く行けば、俺たちは一人も欠けずにこの迷宮を脱出できる。

 ファハンの杖が、鍵だ。


 ◇◆◇


 目玉の王は、ふわりと地上半マス位の高さに浮き上がると、かっと中央の目を見開いた。

 俺たちはまずできるだけそっと扉を開き、そして部屋に躍り込んだ。戦端を開いたのはファハンだ。ファハンはとにかく素早く呪文を唱えるため、扉を開ける前に音階の調律をして、すぐに魔法が発動できるよう呪文を唱えていた。

「ミームエイン、ペーイチェー、レーエインイ、チューザンメ……!」

 呪文は完成したが、特に何も起こった様子はない。

 目を見開いた目玉の王がこちらを睨む。

 壁にかかっていた消えずの松明のいくつかがふっと消え、俺の履いている身軽の靴が効果を失って、ぐっと体が重くなるのを感じた。黒革の胸当ても効果を失ったらしく、恐怖感が胸にこみ上げる。ついでに案の定、持ち上げることができないほど重くなったどんどん袋をその場に落とした。

「ぬおぉおお!」

 ボグルが雄叫びを上げてハンマーを持ち上げようとするが、こちらも魔法の停止されたハンマーはピクリとも動かない。丸太のように重いその本来の密度なのだろう。ボグルの切り替えは早かった。すぐにハンマーに見切りをつけて、がちゃがちゃとうるさく鳴る鎖帷子の肩から目玉の王に突進する。

 俺はファハンと目配せをして、目玉の王を挟むように位置を取った。目玉の王の中央の目の視線から離れて、身軽の靴が効果を取り戻す。その靴のおかげだろう。目玉の王の上に生えている目の一つから光線が俺の方に伸びてきて、俺はすんでのところでそれをかわした。外れた光線が壁に当たると、壁がまばゆい光に包まれ……ちょうど直径1マスくらいの大穴が開く。それも爆発などではない。えぐれたように消え去っている。分解光線だ。

 ファハンに聞いていたがこいつは自分の中央の目で見ている範囲に、頭の上にある怪光線を撃つことができない。なぜなら、その怪光線もまた魔法だからだ。

 俺は剣を抜いて、ボグルと90度になるように怪物に切りかかった。こっちに注意を引く必要がある。

 少なくとも、ファハンに中央の目を向けさせる訳にはいかない。

 しかしさすが高い知能の怪物だ。

 横に走っているファハンを見逃さない。

 最も注意すべきは魔法の使い手だということを、こいつは知っているのだ。そして多分、ファハンの手の中にある偉大な魔法の杖のことも知っている。もっとも、その魔法エネルギーはもうすっからかんであることは知るまいが。

 ファハンのほうを向こうとする目玉の化け物をボグルががっしと掴む。目玉の王はそのでかい口でボグルに噛みつき、ボグルはなんとかその口を両手で抑えた。ボグルの兜が外れて、目玉の王の口の中に転がり、やつは視界から外れて魔法が働き始めたその兜をペッと吐き出した。

 俺は、こいつこの形で食ったものどこに行くんだろう、などと考えながら、そのゴツゴツした体に斬りつける。

 魔法を帯びた刃は外皮をやすやすと切り裂き、紫色の血が吹き出した。

 その時、六感が働いたのか。

 怪物の頭の上の触覚の一つが赤く輝いて、俺は反射的にそれを切り飛ばした。危ない。切れて落ちた眼枝はボグルの後ろにぼとりと落ちる。

「いいぞ!」

 ファハンが叫んで、一気に部屋の奥に駆け出した。

 俺たちの作戦はこうだ。まず俺たちが目玉の王を引き付けている間に、ファハンが魔法の眼鏡で奥の魔法円の発動呪文を読み取る。

 準備ができたら三人で一気に魔法円に飛び込んで、ファハンは呪文を唱える。

 それでおさらば。

 ファハンの準備ができたらしい。俺とボグルは目で合図し、それから一気に奥に向けて駆け出した。

 ボグルが背中を一回噛みつかれて、その乱杭歯で魔法の働いていない鎖帷子がずたずたに引き裂かれるが、屈強なドワーフはそれにめげず、後ろを振り返らずに走った。

 背後で爆発音がする。

 さっき俺が切り飛ばした触覚だ。

 目玉の王の魔法停止の範囲に落ちていたのが、奴がこっちを向いたことでその範囲から外れ、停止していた怪光線をあらぬ方に発射したのだ。

 怪光線の当たった壁が赤熱し、どろりと溶ける。なにがただの熱線だ。当たったら即死じゃないか。

 幸い怪物は、ふわふわと浮いているとはいえ、そんなに動きは素早くはない。

 俺たちは魔法円に駆け込んだ。

 だが、おそらくこれは怪物の余裕でもあったのだろう。

 なにせ俺たちがいくら逃げようとしても、こいつが睨んでいる限り魔法円は働かず、まごついている俺たちをその牙で引き裂けばいいだけだ。

 多分やつは笑ったんだと思う。

 俺たちをこのどん詰まりから逃がすつもりはないのだ。

 複数の目がこちらをにらみ、蔑むように笑っていた。

 笑ってられるのも今のうちさ。

「ロビン!」

「おう!」

 少し遅れて駆け込んできたボグルを魔法円に引っ張り込んで、ファハンは俺に杖を投げてよこす。手に入れたときと逆だな、と俺は思った。


「やつがれにはこの杖がある。この杖はいざとなればへし折ることで爆発的な魔力を放出できる。魔法逸らしの障壁を張ることもできる」

 この杖を手に入れて有頂天になっていたファハンはそう自慢していた。

 俺は剣を投げ捨てて杖を受け取ると、それを両手に持って、中程を膝に当てた。

 ぐっと力を入れると、思ったより簡単に杖はへし折れる。

 もちろん今は何も起こらない。

 目玉はせせら笑う。「何をやっても無駄だ」とでも言うように。

「そりゃあそうだけどな」

 俺はへし折れた杖を……目玉の王の背後めがけて力いっぱい投げた。

 相当に賢いんだろう。魔法への知識もあるに違いない。ファハンが知っているようなことを、こいつが知らないとは思えない。

 この杖が折れたときにものすごい爆発を起こすことも知っているだろう。

 目玉の怪物は慌ててその視線を放物線を描いて飛んでいくファハンの折れた杖に移した。

 そうだ。そうしていなければあの杖が爆発する。そうなったらただじゃあ済まないんだろう。その口でくわえるわけにも行くまい。口に入れちまったら視線がはずれて爆発しちまうからな。もっともあの杖にはもうそこまでの大爆発を起こすほど魔力は残っていないのだが、そんなことはあいつにはわからないはずだ。まさか貴重な魔法の杖を、そんなにじゃかすか使うバカがいるとは考えないだろうから。

 目玉の怪物の視線がこちらから離れた。足元の魔法円が魔力の輝きを取り戻し、うすぼんやりと光るのが俺にも見えた。

「急げ!」

「わかってる!」

 ファハンが呪文を唱えだす。相変わらずいい声だ。地上に戻ったらまた三人で歌うのもいいな。

「光線が!」

 ボグルが悲鳴を上げる。

 目玉の怪物の頭の上の触覚が一斉にこちらを向いた。

 逃さない、というわけだろう。カラフルな色の光線が、俺たちに向かってばらばらと解き放たれる。

「心配いらん。対策済みだ!」

 その光線のすべてが、俺達のいる魔法円の手前でぱっと弾けて消えた。

 最初にファハンが杖から使ったのは、魔法逸らしの障壁だったのだ。それをあらかじめ魔法円の手前にかけておいたというわけだ。おかげで杖の魔法はすっからかん。

「ラーザンメカフ・ターザンメ・フェーエイン・イェーター!」

 目玉がこちらを睨む中、ファハンの呪文とともに魔法円が輝きに満たされ……俺は白い光の中で意識を失った。

 これで四回目だ。もうたくさん!

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