魔法使いの迷宮と二個目の呪文 ~ロビン・スターヴリングの語りしこと~

@hirabenereo

▼便宜上・第一階層:裸の三人

 鼻をつままれてもわからない暗闇、とはよく言ったものだ。

 お天道さまはもちろん、星もない、月もない、真っ暗闇。ツキがないのはいつものことだが。

「むぅ」

 俺は背中の冷たさに身をよじる。体がバキバキ言って、結構長いことこうしていたのだと教えてくれる。床は荒く削られた石で、冷たく、俺の体温を根こそぎ奪っていた。

 なんとか身を起こして、ぶるっとひとつ震えて自分の肩を抱く。やべぇ。裸だ。

 こりゃ相当酔っ払ったかな……。俺はそう思って、夕べの自分の行動を思い出そうとした。

 俺はロビン。スターヴリング村のロビンだ。小僧の頃村を出て、それから剣の才能を認められて傭兵団に採用されてからこっち、帝国のあっちこっちの小競り合いや戦乱に出て日銭を稼いでいた。今では無精ひげの生えたいい大人だ。うん、自分のことは思い出せる。

 昨日まで(もちろん、俺がここで寝ていたのが一晩だけだったらの計算だが)俺は帝国北方の郷士にやとわれて、百姓一揆の鎮圧に出ていた。俺の戦場と関係のないどこかで一揆の首謀者とくだんの郷士の間で話がついたらしく、俺は傭兵団の連中と一杯やって生き残った幸運に感謝して、それからさっさと女も連れずにベッドに入ったんだった。

 その時すでに相当に眠かったが、一杯盛られたのかもしれない。でもいったい誰が? 自慢じゃあないが俺は敵を作らない男だ。敵なんてもんは自分が一番になろうとするからできるのだ。俺はそうは思わない。いつも自分にできる範囲のことをやってきていたのだから、敵など作ろうはずもない……。


「誰だ」

 唐突に声をかけられて、俺は飛び上がって驚いだ。

 見れば暗闇の中に黄色く光る二つの目玉がこちらを見ている。その目の光は獣のようで、周囲のわずかな光を集めているのだとわかった。

 だが少なくとも口がきけるやつだ。

「お前こそ誰だ」

 俺は身を低くして警戒した。こいつが俺をここに連れてきた挙句服まで脱がせたとは思わない。それじゃあ「誰だ」なんて言うはずがないから。俺は闇に目を凝らした。

 エルフだ。いかさま暗闇で目が光るわけだ。吟遊詩人の歌に登場するエルフたちは、暗闇でもものが見えて、魔法に長けた高貴な種族、ということになっている。

 この、百年以上も鉄の剣やら槍やら魔法やらで諸民族諸部族でえんえんと戦争の続いている俺たちの世界をどう思っているのやら。俺には想像することしかできない。

 とはいえその魔法に長けた高貴なるエルフ様が、俺と同じくこの暗闇の中、素っ裸でぽつねんとしている姿は、闇にすかしてもやたら滑稽に感じた。

「やつがれは」

 と、エルフは一人称をやたら古い言い回しで述べた。たぶん胸を張っているのだろうと思う。どうせ真っ裸のくせに。

「やつがれは、名をファハン。ミスランディエレの森の者だ。お前たちの言葉だとくら森だな」

「はぁ」

「はぁとはご挨拶だな……」と、ファハンと名乗るエルフは不満げな空気をのぞかせた。なかなか達者な帝国公用語で、俺の東部なまりのある帝国後よりも綺麗な発音に聞こえるのはさすがだし、俺だってこんな状態じゃなければ吟遊詩人の舌に上るあのエルフと会うことができて、もう少し興奮しただろうとは思う。

「お互い裸じゃなァ……」

 俺が言うと、エルフのファハンは改めて自分の体を触って(ぺたぺたという音が聞こえた)、ため息をついた。

 エルフというものに幻想と恐れを抱いていた俺も、それでなんとなく人間臭く感じて、少し安心する。何喰ってるのか知らないが(伝説では花の蜜を食べて生きていたりするものもある)暗闇で真っ裸で不安になるあたり、まぁそう俺たちと違うこともあるまい。

「ここはどこだ」と、俺。

「知らん」

「エルフの魔法でも?」

「やつがれが連れてきたわけじゃなし。やつがれはそもそも昨日まで帝国の魔法学校にいたのだ」

「帝国の魔法学校」

 聞いたことがある。

 帝都中央にある大規模な魔法の学校で、かなり昔、恐ろしい異世界の脅威に対抗するために、ある偉大なエルフが人間に協力して学校を建てたという。そのエルフは、人間とエルフ、ドワーフといった世界のすべての種族が力を合わせる必要があるとかなんとか言って、すべての種族に門戸を開放するよう要求したらしい。

 以来、そこは文明の灯として輝き続けているのだという。

 とはいえそれは、俺が百姓一揆の鎮圧にあたっていた北部の辺境からは遠い遠い南のほうだ。旅慣れたつもりだったが、帝都なんて行ったこともない。

「すごいな」と、言うと、ファハンは自慢するような、それ以上話したくないような声色で、「お前は?」とこちらに水を向けた。

「北部の……ノレドリア男爵領」

「知らん」

「だろうな」

 するとこのエルフも、わけもわからずここにいるということらしい。

 俺は手探りで壁を探した。壁は床と同じようなざらざらした石造りで、ひんやりしている。天井は見えないが、それがここが穴の底だからなのか、闇が深いだけなのかはわからない。

「何か明かりはないか?」

 俺が聞くと、ファハンは不機嫌に「ない」と言い返した。

「そもそも杖がない。杖なしで使える魔法は限られている。知らんのか」

「知らんよ。俺が知ってる魔法は、村にやってくる吟遊詩人が歌うやつで、山を砕いたり星を降らせたりするやつだ。悪い魔法使いが山の中に迷宮を作ってそこに姫君を閉じ込めたりするやつ」

「ふん」と、ファハンは鼻を鳴らす。「それはおとぎ話だ」そんなことわかってらァ。

 壁を触りながら一周するが、どこにも出口は見当たらなかった。

 そこはおおよそ3マス(1マスは約1.5メートル)四方の正方形の部屋……部屋と言っていいのかもわからないが……で、天井は暗闇でよくわからない。少なくとも手が届く範囲には天井はない。井戸の底、といった風情だ。

「参ったな」

 夢でないとしたらこれは絶望的だ。俺は、人の心を試すために死ぬしかないようなゲームを繰り返す邪悪な冬の妖精王の歌を思い出して、身震いした。勘弁してくれ。

 一方のファハンは特に何をするでもなく、突っ立っている。最初は壁にもたれていたが、壁が冷たかったのか今は壁から少し離れて、闇の中で光る目が、部屋の中央の床を凝視していた。

「何かあるのか?」

 俺が不審に思って目を凝らすと、まるでファハンに計られたように、「何か」は上から降ってきた。


 ◇◆◇


 がしゃん、という軽い音がして、部屋の中央を見ようと顔を突き出していた俺の顔に、何かの破片が当たる。

「いて」と、俺が言うより早く、部屋の中央から「ふぎゃあ」と間の抜けた声が聞こえた。誰かいるのか?

 にわかに騒がしくなった井戸の底で、かしゃかしゃという音が聞こえる。

 俺は顔に当たった破片をつまんでよく目を凝らした。骨だ。白骨になった骨だろう。さっき俺の顔に当たったのは、骨の破片だったのだ。すると今、俺の手の中にあるのは大腿骨あたりか。

 骨を振り払いながら、部屋の中央でもそもそと動く姿がある。

「おい、何者だ」

 とファハンが震える声で鋭く言う。するとファハンの目には何か生きていて返答に応えそうな奴が見えているのだろう。落ちてきた骨じゃないなら、最初からうずくまっていたのだ。

「ぼ、おれは」と、声がする。太く低い、たくましい男の声だ。俺は目を細めて闇を見透かそうとした。

「ん?」

 闇の中、かしゃかしゃと動く別のものが見える。白いから比較的よく見えるそれは、どうやらさっき落ちてきた骨のようだ。俺の手の中の長い骨がぴくぴく動いていて、たいそう気持ち悪い。暗くてよく見えていなくてよかった。

「げっ!」とファハン。こいつはよく見えているのだろう。後ずさりする足音が聞こえる。

 かたかたいう骨の山は、しかし大腿骨が俺の手の中にあるせいか立ち上がることができないのか、さっきの声の主に掴みかかったように見えた。

「おれはボグル。北部アギルット山の誇り高いドワーフ族で……うわぁっ!!」

 北部なまりのある自己紹介をしようとした声の主は悲鳴を上げる。いかん。

「おい! ファハン! 魔法かなんかないのか!」

「ない! さっきも言っただろう。杖なしで使える魔法なんて、せいぜい着火魔法くらい……」

 俺はファハンの目の光のほうに走ってぴくぴくいう動く骸骨の大腿骨をおしつけた。

「うわ……気持ち悪……」

「これは火が付くだろ?」

「なるほど」

 ファハンは合点がいったようで、俺の差し出す大腿骨に向けて呪文を唱える。あくまで握ろうとはしない。

「ヘーアー・ラーイ……ヘーアー・ラーイ……」

 ファハンが何度か呟くようにして正しい音を探るように呪文を唱える。これは俺には魔法は無理だな。

「ラーイ……!」

 その間も自称ボグルとかいう誇り高いドワーフ族とやらの悲鳴が聞こえていたが、ようやく唱えられた呪文が完成したらしく、ファハンの指先に火花が走る。

 暗闇で、その火花はまぶしく瞬いて見えた。

 瞬きに照らされて、ファハンの顔が初めて見える。つるりとした髭のない顔は、鼻が高く、切れ長の目。異質なエルフの顔だ。なるほどエルフとはこういうものか、と、俺は感慨を持ってそれを眺めた。エルフは表情に乏しいと聞く(エルフの姫君が表情を表すシーンは、エルフものの物語では大げさな音楽とともに歌われる山場となる)が、ファハンはいかにも余裕がなさそうに冷や汗をかいていた。まぁ実際はそんなもんか。

「た、たすけてぇ!」

 と、これは自称誇り高いドワーフ氏。

 見れば骨にのしかかられてそれを必死に蹴飛ばしている。暗闇でようやく見えたそいつは、かたかたと動く人間の骨格。

 こいつは俺も見たことがある。動く骸骨だ。

 恨みや未練を残した死者が死にきれず、自分の骨を動かして歩き回ることがある。また、強い魔法使いであれば魔法で死者の魂をしばりつけて使役することもできるって聞く。俺は戦場跡でもの拾いをしていた時に出くわしたことがある。その時は仲間もいたから武器で戦ってばらばらに砕いてやっつけた。そうするまで、そいつは動き続けて、なんなら生身の兵士よりもよっぽど手ごわかった記憶がある。

 今は武器は、ない。

「骨! 骨よこせ!」

 ファハンが言って、俺は骨を突き出した。やっとこ呪文が完成したのか、ファハンは指先にぱちぱちと言う火花を骨に移そうと近づける。これ、ぼっと燃えるわけじゃないのか。小さな火花が大腿骨の先に落ちて、俺とファハンは顔を寄せて火種を手で守りながら、ふうふうと空気を送り込んだ。

「たすけてぇ!」

 黙って待ってろ誇り高いドワーフ!

 ふーふーふー……。

 ようやく火種が骨に燃え移って、おそらく中に残った脂に燃え移ったのだろう、ぼっ、と、蝋燭程度の炎が現れる。小さい炎だが、まるで救世主のように感じた。ファハンは魔法を使って疲れたのか、一歩後ずさって壁に身を預けて小さく咳き込んだ。

「うわわ……」

 ドワーフのボグルが転がるように俺の足元に逃げる。動く骸骨が身をよじって苦しんで、それで隙ができたようだ。何で、と思ったが、今自分の太ももの骨が燃えているのだから無理もあるまい。

 目さえ利けば俺だっていっぱしの剣士だ。たとえ裸であっても、敵に相対したときの抜け目のなさは、街で途方に暮れていた俺を拾ってくれた傭兵団長のお墨付き。この抜け目のなさで今まで食いっぱぐれず生き残ってきたようなものだから、俺は這いずったままで身をよじる骸骨に踊りかかって、首のあたりを踏みつける。足の裏に骨の破片が刺さるが、俺は痛みを押し殺した。首の骨が砕けて、頭蓋骨がころりとボグルのほうに転がった。

「それを壊しちまえ!」

 ボグルはかたかたと顎を鳴らす頭蓋骨を掴み上げて、力いっぱい石の床にたたきつける。がぁん、と音を立てて、頭蓋骨が砕け散った。

 こうなれば簡単だ。

 動く骸骨は周囲を知覚できなくなったようで(目玉もないのに一応は目の場所で周囲を見ていたらしい)、俺とボグルは残った骨を踏み砕いて、また蹴飛ばして回った。

「はぁ」

 握っていた大腿骨が動かなくなって、動く骸骨がただの骸骨になったあたりで、俺たちはようやくへたり込んで、腰を落ち着けたのだった。

 やれやれ!

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