人格間のルール

 俺たちには人格間での共通のルールがある。一つの体を他人と共有しているわけで、これがないと日常生活を送ることさえままならなくなるからだ。


 その1、子供が何よりも最優先。


 何よりも子供を健やかに育てることを優先する。自分たちよりもだ。


 15年前に元夫の浮気で離婚して、ひとりで子供たちを育ててきた。あと数年もすればみんな成人する。大変なことも多かったが、なんとかここまでやってきた。


 子供を健やかに育てることが最優先なのは、どの人格も変わらない。全員一致のルールである。このルールのおかげで、割と俺たちはぶつかることはあっても、仲良くやれている気がする。



 その2、リアルでは多重人格であることをできるだけ隠す。


 そもそも自分が解離性同一性障害だと診断されてからそんなに経っていない。診断されたのは一昨年のことだ。それまで何十年と、自分の体が自分のものではないような、不思議な感覚で生きてきた。


 価値観が毎日変わるし、好き嫌いも変わる。まあ生きていくのが大変だった。継続性や同一性がめちゃくちゃなのだ。それでも多重人格だとは思わなかった。オンとオフが激しいとか、表情や声が変わると指摘されることも多かった。別人みたいだねと言われたことも何度もあった。買った記憶のないものがあったり、好きだった友人と気づいたら絶縁していたこともあった。常に頭の中で誰かの声がしており、フラッシュバックも日常的だった。それでも病気であるとは思わないまま、自分でも何かがおかしいと思いつつも、綱渡りのように生活してきたのだ。


 このエッセイも俺が始めたが、他の人格が出てきたら「勝手なことをして」と言われるかもしれない。そういうちぐはぐな俺たちだが、リアルではできるだけ病気を隠して生きている。

 1人の人間に見られるように演技をしているつもりだ。解離性同一性障害と診断された際も、親や子供には話さなかった。


 このままずっと隠し通せると思っていたが、そうはいかない出来事があった。


 あれは数ヶ月前のこと。俺が車を運転していて、子供が後部座席に座っていた。バイトが終わった子供を迎えに行って、その帰り道だった。子供が前置きもなく、ふと言ったのだ。



「お母さんて、多重人格だよね? 4人くらいいるよね」



 俺は一瞬何を言われたのか分からなかった。完璧に隠していたつもりだったのだ。俺は性別が男で、子供を前にしても若干口の悪さはでるが、母親業もしっかりやってきた。化粧だってするしスカートだってはく。


 多重人格を隠すためなら女の振りなんていくらでもできたし、一人称は子供の前では「私」だし、できるだけ言動も統一してきたつもりだった。



「え? なんて?」


 と聞き返すと、子供は世間話をするような軽さで、


「だからお母さん多重人格だよね」


 と再度言った。


 ハンドルを握る手に力が入った。


「ちょっとその話は帰ってからしよう」


 と答え、家まで帰った。


 そして家族会議が行われた。


 話を聞くと、小さい頃から普通に多重人格だと思っていたらしい。今は男のママだな、とか、今は無邪気なママだな、とか、今は落ち込んでるママだなとか思いつつ、普通に接してきていたらしい。


 そしてこう言われた。


「どれも大好きなママで今まで通りでいいけど、男のママだけはちょっと苦手。治療したらいなくならないの?」



 つまり、俺、子供に嫌われてた。



 さすがにショックだった。確かに俺は女性陣の飴やシイと違って、ちょっと子供に厳しいところがある。だがそれは、将来自立した大人になって欲しいからだ。仕事中に声をかけられて、そっけなく対応したこともある。


 そして、いなくならないの? と聞かれてしまって、今話してるのが当の本人であることを隠したまま、


「治療したらいなくなるかもね」


 と答えた。


 友達いわく、俺が出ると声が自然に低くなって少しぶっきらぼうになるらしい。


 俺はこの一件以降、必死に高い声をだして、女のママにカモフラージュすることにした。愛する子供に嫌われたくはないのだ。


 まあまあショックだったのだが、ひとり親で稼ぐことに必死で、思い返せば子供には嫌われることもしたかもしれない。傷つけたこともあるのかもしれない。


 主治医に相談したら、正直に子供に話をして理解してもらった方が良いと言われた。


 男のママも愛してくれと、未だに子供には言えないままである。

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