4話


「ねぇ起きて、あなた、ご飯よ」


 朝、目が覚めるとそこには見慣れた天井と見目麗しいエルフの姿。


───そうだ、俺、結婚したんだった。


 眠気眼を擦りながら身を起こすと、鼻をつく朝食の香り。テーブルに並ぶのは、豪華とは言えない朝食。主食となるパンに、薄味のスープ、素材の味を生かしたサラダ。


 しかし、幸福感はある。


 エプロン姿のエルフは食卓につく。床に置かれたローテーブル、彼女の向かい側が俺の席だ。


 これだ。この景色が見たかったんだ。


 慎ましく囲む、和やかな食卓。やがて子どもが生まれたら、もっと賑やかになっていくのだろう。そんな生活を守るためなら、嫌いな仕事も頑張れる。寧ろもっと多くの収入を得て、家族を安心させないと。そう思いを強くする。しかし今は、


「うーん……あと五分」

「あなた、良い加減起きないと、スープが冷めてしまうわよ?」


 幸福感に包まれたまま、二度目の夢へと堕落してしまいたい。


 そんな俺に呆れたエルフは立ち上がり、俺の横たわるベッドへと歩み寄って来る。そして、


「───いつまで寝てる!!」

「ぐっはぁ!!」


 怒号と共に、衝撃は腹部に走った。あまりの痛みに目を見開くと、そこには見慣れた天井と見慣れない黒髪のエルフの姿があった。


「さっさと支度しろ」


───そうだ、俺、結婚詐欺に遭ったんだ。


 エルフは風呂上がりなのか、髪が濡れていた。


「仕事だ。十分後に出るぞ」

「ご、ご飯は?」


 あれは夢だったのか。それにしては、あまりにもリアルな質感を持った幻想だった。そんな事を思いながらテーブルを見ると、朝食の残り香と共に空になった器が置かれていた。


「自分の飯くらい、自分で用意しろ」


 最近は夫婦で家事を分担するのがセオリーらしい。


 結婚してなお、互いに自立した個人である事を尊重し合う。エルフはそんな関係を目指しているのかも知れない。


「……ペットじゃあるまいし」


 違った。びっくりする程見下されてた。


 気を取り直して周囲を見渡すと、どうやら俺は床で寝ていた様だ。このエルフ、家主である俺からベッドを奪ったのか。恐ろしい話だ。


「早く着替えろ、置いて行くぞ」


 エルフの冷たい視線、完全に俺の事を見下している。あれ、結婚詐欺に遭った被害者って奴隷になるんだっけ?


「そんなに腹が減ったのなら、ほら」

「あっ」


 言い捨てて、エルフが硬貨を指で弾く。俺は落下したそれ目掛けて這って移動し、拾った。


───やった! これで美味しい朝食を買えるぞ!


「……犬みたいだな」


 違った。奴隷どころか人ですらない。やはりペットだった様だ。


 この日から、俺の地獄は始まった。




☆☆★★★☆★☆




「グゥルルルル……」

「ハウンドね」

「これが……?」


 俺達は森で、それと対峙した。


 俺達は朝からギルドに行き、依頼クエストを受けた。なんて事ない、「薬草採集」の依頼だ。


 なのに何故か、屈強な魔獣と対峙している。


 魔獣とは、その名の通り魔力を持った獣。まぁこの異世界では人も異種族も物も皆魔力を持っているので、前世の地球でいうところの動物と位置付けは変わらない。


 ハウンドは四足歩行の哺乳類型の魔獣。灰色の毛並みは、所々身に走る歴戦の傷により禿げている部分があるが、その他の特徴は前世の犬だな。よく見ると可愛い眼差し。ボール遊びに興じたい。


「うーん、連れ帰ってペットにしたい所だけど、我が家には些か大き過ぎるね」


 ただデカい!


 身長百七十八センチ───前世より五センチも伸びた。やったぜ!───の俺が見上げる程の体躯! 引き締まった筋肉! 凶悪な爪、牙! 滴る涎!


 「お手」って言ったら、間違いなく差し出した手を食いちぎられるだろうと分かる。軽口で冗談を言っている場合ではない。最悪、死ぬ。


「そうね。ペットはあなた一匹で十分だわ」


 その同意には同意しかねる。


「じゃ、じゃあ潔く諦めようか、ギルドはあっちかな?」

「いいえ、仕留めるわ。こんな臨時収入、逃す手はないもの」

「……マジで言ってます?」


 エルフは静かに言うが、言葉には覇気がこもっていた。


 本当にやる気だ。殺気がビンビンに伝わって来る。


「行くわよっ!!」

「グラアアア!!」


───行ったあああ!!

 エルフの手に握られているのは、刃渡り二十センチ程のナイフ。


───正気か!? 無理だろ! それで勝てる訳がない!! 俺は逃げるぞ!!

 が、勝敗はあっさりと決した。


「ふっ!」

「グ、グラゥルルル……」


 ハウンドの前足、その凶悪な爪をするりと躱したエルフは、ガラ空きの腹部にナイフを突き立て、真一文字に切り裂いた。


───すっげえや! 動物愛護団体が見たら白目剥く程の残虐さだ!!

 また新たな傷を、歴戦の証としてその身に刻み付ける。


「はっ!」


 更なるエルフの追撃。腹部を斬られ、横たわったハウンドの首にとどめを刺した。


 歴戦の傷は、これが最後だろう。


「ま、ざっとこんなもんね」


 サラッと言うエルフ。


───こんなもん?? お前の倍程もある魔獣をナイフでぶっ殺した事が、「こんなもん」???


 納得できない。

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