醜悪⑪

「やっぱりそうか……。いや、謝んなって。別に責めてねぇよ。あぁ。あぁ。大丈夫だ。それで話を進めておく。分かった。じゃあな」


 俺たちはその後すぐに会社に戻り、石橋にの電話を掛けた。

 確信、とまでは言わないが、石橋の話から察するに俺の邪推は多からず当たっているようだ。

 もちろん、まだ推測の域を出たわけではない。

 だが石橋は石橋で、被害妄想のようなものが働いたのだろう。

 俺がを指摘し、話を進めていくと、石橋は徐々に生気を失っていった。

 話が終わる頃には、何かを察したのか、静かにすすり泣くような声すら聞こえてきた。

 だが、最後の最後にはどこか吹っ切れたように、『お願い』と、はっきりとした声で言ってきた。

 もはや、当初の目的が叶う望みは、限りなく薄いことを悟った上で……。

 得も言われぬやるせなさを振り払いつつ、俺は画面の『通話終了』をタッチする。


「イシバシ……、なんだって?」


「……最後に母親に会ったのは二ヶ月前、だと。今までも大体そのくらいの頻度らしい」


「そ……、じゃあアンタの、当たってるかもね」


 新井はそう言うと、オフィスのテーブルに突っ伏し、力なく項垂れる。

 すると、ご自慢の髪をかき乱しながら、『ンァーッ!』などと言葉にならない叫びをあげる。

 それは石橋の父親に対しての怒りか。

 もしくは、悲しいまでに現実を受け入れている石橋への憤りか。


「……ねぇアンタ、どうするつもり?」


 新井は一頻り叫ぶと、顔をあげて聞いてくる。


「どうするって……。石橋には『お願い』って言われたんだ。このまま鑑定するしかねぇだろ……」


「そうじゃなくてさ……」


 無論、新井が言いたいことは分かる。

 石橋の父親が、にどう関わっているのかは知らないが、神取さんは些か俺を誤解していると思う。

 彼の口からどんな答えが返ってきたところで、きっと俺のスタンスは変わらない。

 結局のところ、俺のような『持たざる者』は、今ある限られた手札で食い繋いでいくしかない。

 私怨はどこまでいっても、私怨でしかないのだ。


 自分でも吐き気がするほど、生産的で合理的な思考だ。

 ただそれは、ある意味での思考停止であり、正常性バイアス。

 立ち止まらないことを正当化するための、空虚なお題目とも言える。

 『諦観』などと偉そうなことを宣ったところで、その実『持つ者』が階層を固定化するための論理に、知らず知らずの内に染まっていただけなのだろう。


 ただ、もし。

 俺の中に、僅かながらにのようなものが残っているのだとしたら……。

 俺は、神取さんが差し伸べてくれた手を握ることが出来るのだろうか。


 何にせよ、まずは目の前の仕事を片付ける必要がある。

 随分と回り道をしたが、石橋 珠羽の鑑定に移るとしよう。


 まずは、石橋にとっての『不幸』とは何かを見極める必要がある。


 石橋の不幸。


 持って生まれた醜悪な容姿。


 それによって始まった、いじめ。


 石橋はさらりと話していたが、さぞ苛烈なものだったろう。


 だが、本質はそこじゃない。


 大企業の幹部である父親や祖父から受けた、理不尽な扱い。


 彼らは法の網を掻い潜ってまで。


 愛人の息子というを用意してまで。


 その存在を隠そうとした。


 まるで、脱税や横領の証拠隠滅を図るかのように。


 存在そのものが疚しいものであるかのように。


 全ては自分たちの社会的立場のために、だ。


 直接的な拒絶の有無は関係ない。


 事実、彼らが躍起になればなるほど、石橋は自分の存在意義を見失っていった。


 母親はそんな石橋に対して、何度も謝った。


 だから、変わる必要があった。


 整形にまで踏み切る必要があった。


 自分のためじゃない。


 忌み子同然に扱われた中でも、唯一、無償の愛を注いでくれた母親のために。


 石橋の中にあった、根本的な想い。


 それは『自分は、人を悲しませることしか出来ない』、だろう。


 そんな、完膚なきまでに叩きのめされ、芽を摘まれた自己肯定感。


 これこそが、石橋 珠羽という人間を象る『不幸』の本質だろう。


 以上のことを踏まえて、査定していく。

 

 まずは衝撃性。

 ポイントは、石橋が既に現状を打破しようと動き出している点だろう。

 それが結果として、根本的な解決には至らずに、今もこうしてに縋らざるを得ない状況だと考えると、最高点でも不思議ではない。

 ただそうは言っても、石橋家は世間一般的に見れば『持つ者』だ。

 俺たちのような一般人とは、そもそもの前提が違う。

 動機や結果云々はともかくとして、実際に整形に踏み切り、なおかつそれ自体には成功した、という事実も大きい。

 もちろん、整形後に残った虚しさは、本人にとってみれば壮絶なものだったろうが、それは飽くまで石橋の主観だ。

 建前とは言え、バランスを取る立場である以上、こと鑑定値については客観的な視点も踏まえて判断するべきだろう。

 よって、8点とする。


 次に長期性。

 これは言うまでもなく、最高点だろう。

 そもそも、石橋の『不幸』は先天的なものが要因だ。

 少なくとも十数年の間、ずっと燻り続けてきた、石橋の人生そのものと言ってもいい代物だ。

 今後、払拭される見込みがなければ、生涯ついて回るだろう。

 

 そして、特異性。

 確かに、容姿にコンプレックスを持つ人間など、世の中に五万と居る。

 だが石橋の場合、事情が少し異なる。

 大企業の御曹司として生まれてしまったが故に、一方的に求められた『完全性』。

 石橋は、それに応えることが出来なかった。

 より正確に言うならば、それに応える機会すら与えられなかった。

 言ってみれば、母親の容姿を理由に、生まれる前から戦力外通告を食らった様なものだ。

 その感覚を、世間一般的に共有できるかと言えば難しい。

 以上を鑑みて、7点としておこう。


 続いて、波及性。

 真っ先に考えられるのは、銀行への影響だ。

 組織の内々では暗黙の了解だったとしても、万が一このことが表沙汰になれば、相銀の信用問題に繋がる可能性も否定できない。

 石橋自身もそのことを承知で依頼をしてきた。

 続いて考えられるのは、母親への影響だ。

 これは少し扱いが難しい。

 仮に、だ。

 俺の推察通りだとすれば、石橋にとって、紛れもなくだと言えるだろう。

 もちろん、俺の想定でしかない。

 だが、可能性として排除し切れない以上、考慮に入れるべきだ。

 9点が妥当か。

 

 最後に、再起不能性。

 焦点は、石橋が母親に依存しているか、だと思う。

 石橋の行動原理には、少なからず母親がいる。

 その点は、フリ姉のケースと似ていると言えなくもない。

 だが、フリ姉は弱々しいながらも『里津華を解放したい』という、確かな意志を持っていたからだ。

 一方で、石橋の場合は少し違う。

 どちらかというと、強迫観念に近い気がする。

 言ってみれば、『want』ではなく、『must』である。

 もっと露骨に言えば、『自分を差し置いて母親が不幸になるのは、世の本意ではない』とすら聞こえる、卑屈な物言いだった。

 とは言え、だ。

 石橋はそれを自覚しているし、後ろめたくも思っている。

 だからこそ、一度は俺たちに嘘を吐いたのだろう。

 潜在意識では、前に進みたがっているのだとすれば、もっとニュートラルに見るべきだ。

 6点としよう。

 



 まとめると、


 衝撃性 ………… 8点

 長期性 ………… 10点

 特異性 ………… 7点

 波及性 ………… 9点

 再起不能性 ………… 6点


 合計 ………… 40点 

 

 これが、俺が出した結論だ。

 

 新井に鑑定結果を伝えると、『そ……』と呟いた切り何も言わなかった。

 彼女の懸念は、大凡想像できる。


「……まぁざっとこんなところだ。お前はどう思う?」

「へっ!? アタシ? うんっ! イイ感じ……、じゃないかな!? 何かオギワラ、もうすっかりだね!」

「それ……、褒めてんのか?」

「褒めてる褒めてる! 怪しい仕事とか言いつつ、あっという間に順応しちゃってさ! なんてーの? まだ学生なのに既に社会人、みたいな?」

「何だよ、それ……。そんじゃ、これで石橋に伝えるからな」


「ま、待って!」


 俺がスマホを耳に当てかけると、新井は声をあげる。


「あ、あのさ。こんなこと、言っちゃなんだけどさ。伝えてどうすんのかなって……。だってもうイシバシが最初に言ってたことってさ……」


 確かに新井の言う通り、石橋の父親が候補に含まれているか否かに関わらず、当初の希望を果たせる見込みは、限りなくゼロに近い。


「……まぁそうだな。でも、これが俺たちの仕事だからな」


「それが却って、イシバシを苦しませたら? もしかしたらさ……。これ以上、知らない方が良いコトもあるのかなって、ちょっと思っちゃったんだよね……」


 新井の言うことは正しい。それでいて、優しい。

 ただ分かっていても、浮かんできてしまう。

 絶望の中、SOSすらあげられずに、一人静かに打ちひしがれる石橋の姿が脳裏にちらつき、浮足立ってしまうのだ。

 

「らしくねぇな……。俺のこと試してんのか、ヒヨってるだけなのか分からんが、どの道俺の知ってる新井じゃねぇ」


「はぁ?」


 新井は眉間に皺を寄せ、心外とでも言いたいような顔をする。


「……お前、何か勘違いしてねぇか? 『伝えて終わり』なんて誰が言った?」


「へ? だって……」


「『ベスト』がダメなら、『ベター』を提案するまでだろ。分かってんのか? これは客商売だ。何を言われるでもなく、多少の融通を利かせてやんのが、一端のってもんだろ」


 俺が言うと新井は目を丸くし、沈黙する。


「……何か言えよ」


「ふふ。何かアンタらしいね。アタシ、アンタのそういうとこ結構好きだよ」


 億面もなく、真っ直ぐな瞳で宣う新井を直視出来ず、俺は目を逸らしてしまう。


「……そりゃどーも」


 俺が呟くと、新井は満足そうに笑った。


「つーかさ! アンタ、社会人でも何でもないじゃん! そうやって上から目線で、『自分は一歩先言ってますよ』アピールってーの? ウザッ! やっぱアンタのそういうとこ嫌いかも!」

「手のひら返すなら、せめてもう少し間を置いてくれませんかね……。もうどっちでもいいから、お前はの田沼さんに連絡しておいてくれ」

「はーい! まぁアンタがイシバシのことどうするか、楽しみにしてるよ!」


 そう言って、新井は不敵な笑みを溢した。

 

 恐らく、だ。

 今回については、『不幸の再分配』にはならないだろう。

 本来の趣旨とも外れるし、むしろ石橋にとって新たな『不幸』の種が生まれる可能性すらある。

 だが俺はそれでも、信じてみたいと思ってしまった。

 勝者の論理に象られた現実に反駁するバイタリティーのようなものが、石橋の中に僅かでも備わっている可能性を。

 余計なお世話と言われればそれまでだ。

 ただそれでも、石橋が真の意味で解放される一助にでもなればいいと思いつつ、俺はスマホに手を掛けた。

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