醜悪⑩

「そうか。やっぱりされてたか。キミがそういう仕事をしてるって言うから、もしかしたらとは思ったんだけど……」

「マジ、あの親父ムカつくぅーーー! イシバシのことなんだと思ってんだしっ!」


 どうやら石橋の母親には、俺たちの知らない裏がある。

 それは分かった。

 だが逆に言えば、それだけだ。

 他、戦果と言えば、最後っ屁とばかりに石橋の父親に皮肉を浴びせたことくらいか。

 むしろ現状、次から次へと疑問は蓄積していっている。

 石橋の父親が俺や神取さんを知っていた理由、俺たちの動きが漏れていた経路、石橋の父親が俺たちをマークするそもそもの訳など、大事なことは暗礁に乗り上げたままだ。

 

 そんなにも近い状態で、俺たちは神取さんの事務所へ帰還した。

 神取さんは、『先回りしていた』などと意味ありげな事を言うが、そもそも今日の自体、自分が嗾けたものだと自覚しているのかは定かではない。

 新井は新井で、つい数刻前までのことを蒸し返して地団駄を踏み、俺とは違う方向性の憤りをぶつけている。


「……で、そんなをされてまで、石橋の父親と会う意味があったんですかね? まさか依頼に託けて社会科見学をさせたワケじゃないですよね?」


 俺がそう聞くと、神取さんはフゥと深く息を吐いた。


「……そうだね。まぁ端的に言って、おとり捜査みたいなもんだよ。キミたちには悪いけど、人柱になってもらったんだ」


「はぁ。そうですか……。薄々、そんなこったろーとは思ってましたが」


「何も言わずに、利用したことは悪いと思ってる。ごめんね。でもおかげでモヤモヤしていたことがスッキリしたよ! あちらは恐らくだ!」


「こちらはずっとモヤモヤしたまんま、なんですがね……。それで、結局何なんすか?」


 俺がそう聞くと、神取さんの顔つきは神妙になる。


「……予め断っておくよ。もし、これがに関することだと言ったら、どうする?」


 神取さんがそう言った瞬間、俺は胸の奥底で邪推していたことが、再び頭を過ぎった。

 そんなどこか『嗅ぎ取った感』が、抜け出ていたのだろう。

 彼はその顔の神妙度合いを上げる。

 

「どうして、予め断る必要があるんですかね……」


「……分かるだろ?」


 そう言いながら、彼が向けてくるその強い眼差しは、俺を『逃さない』とでも言うかのようだった。 


「……やめて下さいよ。そうやって分かった風に言うの」


「ごめん……。でもそうだろ? 俺でさえ割り切れていないんだ。近親者のキミが納得している訳がないって考えるのは自然だろ? キミは優しいから、そうやって平気そうに振る舞うけどさ」


 優しい、など買い被りにも程がある。

 ……何のことはない。 

 単純に悟っただけだ。

 所詮、世の中は札束マウント。

 弱者は弱者のまま、金や地位に歪められた正当性の中で生きるしかない。

 大人しくそうしていれば、きっとこれ以上害を被ることはない。

 そのための『諦観』のはずだった。


 だがそうは言っても、心の奥底で何かが疼くのだ。

 復讐、とも違うが心のどこかで無意識的に求めている。

 を追求する機会を。

 そんな俺が踏み出すきっかけを、神取さんは探ってくれているのだろう。


 

「あのー」



 するとその時。

 新井がそろりと小さく手を挙げた。


「結局のところ、オギワラのお母さんって、何があったのかなって思って……。話聞いてると、何かに巻き込まれた感じ、なのかな?」


 新井にしては珍しく萎縮した様子で、問いかけてくる。

 

「そうか……。キミはまだ聞いていないのかな?」


「は、はい。べ、別に興味なかったとかじゃなくて! 単純にオギワラの気持ちも分かるっていうか……。ほら! アタシは話したじゃん? 家のこと。でもアタシも限られた人にしか言ってないし……。きっと怖いんだよね? 話した後のこととか、さ!」


 新井にそう言われ、一瞬彼女になら話しても構わないという思いが頭を過ぎった。

 彼女とは間違いなく同僚であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 そもそも話したところで、変わるような関係性もないのだ。

 

 ただ、それでも……。

 頭のどこかで、それを拒絶しようとする。

 それだけ、俺が今の今まで浴びてきたヘイトのようなものは、この貧弱な身体に深く刻み込まれているという証拠なのだろう。


「キミは、訓くんのことを信頼してくれているんだね」


 新井の話に、神取さんは嬉しそうに顔を綻ばせて言う。


「は、はい。そうですね……。信頼してます」


「へぁっ!?」


 不意打ちを食らい、俺は気色の悪い声をあげてしまう。


「あれ? 訓くん、どうしたのかな?」


 確信犯的な笑顔で神取さんは聞いてくる。


「い、いえ。別に……」


「最初はイケ好かないヤツかと思ってたけど、アタシなんかよりもずっと世の中のこと見てるし、苦労もしてる……。アタシの家のことを話した時も、すぐに受け入れてくれたし」


 恥ずかし気もなくそう言い切る新井を前に、俺の方がソワソワとしてしまう。

 そんな俺の顔を横目で見るなり、神取さんは『おやおや』などと呟きながら、やたらと粘着質な笑みを浴びせてくる。


「そっか! じゃあ、それはいつか訓くんの口から聞かせてあげて欲しいな。でも安心したよ。味方は多い方がいいからね」


「味方って……、何のですかね?」


「さぁ。何かな? 繰り返すようだけど、石橋 実鷹について今は詳しいことは言わないよ。キミの判断の邪魔になるだろうからね。まずは、目の前の依頼を片付けてからだ! それで訓くんの気持ちに決着がついた時、改めて聞かせて欲しい。もう一度、気があるかを」


 彼はそう言って、いつもの爽やかな笑みを浮かべた。


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