醜悪⑤

「で、でもさー! なんか意外だったよね! イシバシにそんな事情があったなんてさ!」


 確かに、新井の言う通りだ。

 石橋の様子を見る限り、彼ら家族の問題は相当に根深い。

 あの場ではああ言ったものの、本来一番解放されるべきは石橋本人だろう。

 恐らく、母親自身も同じことを感じているに違いない。

 

 親が親なら子も子、といったところか。

 迷いのない目で、『父親たちから引き剥がしたい』と言った石橋からは、何ら算段のようなものは感じなかった。

 彼のは紛れもなく、本心だろう。

 であれば、石橋こそ根っからの『善人』、ということなのかもしれない。

 そんな自分の存在自体を蛇足とでも言うかのような息子に対して、父親たちは何を思っているのだろうか。


 石橋が帰った後、俺たちを待ち受けていたのは、『気不味い空間』だった。

 あのガサツさに定評のある新井ですら、この手持ち無沙汰な時間に耐えかね、場を取り持つように会話を提供する始末だ。

 新井の涙ぐましいまでの配慮には感謝しかないが、その気不味さの正体である彼女は、心ココにあらずといった様子でソファーに座り込み、口を噤んでいる。


「……そうだな。あそこまでゴリゴリにコンプレックス抱えてるとは思わなかったな。てっきり、使い捨てカイロの如く女を取っ替え引っ替えしてるクソ野郎だと思い込んでたわ」

「アンタはそういうとこ、少し直しなよ……」

「…………」


 ちらりと彼女に視線を移すが、俺たちの話に食いつく様子はない。

 

「……まぁ要検討案件とは言え、鑑定は進めておくべきだよな」

「だ、だね! じゃないと候補者も分かんないし」

「んじゃ……、早いトコ始めますか」


 すると、田沼さんは俺に向けて鋭い眼光を浴びせてくる。


「……荻原さん。予め言っておきますが、先にのポイントとエリアを抑えた上で、それに合わせて鑑定値を操作する、といった行為もご法度です。飽くまで、『鑑定』が先です。先ほども申しましたが、な仕事である以上、基本理念とプロセスをきちんと踏んで下さい」


「……センシティブって自覚はあるんすね」


「話を逸らさないで下さい」


「今日はヤケに突っ掛かりますね……。あなたが何を警戒してるのかは知りませんが、石橋のために警察のご厄介になるなんて真っ平ですから。心配には及びませんよ」


は察しますが、自暴自棄にならないで下さい。あなただって本来は……、いえ。まぁ、いいでしょう。今は何も申しません。そ・れ・で! 荻原さんはどのようにお考えで?」


 彼女はそう言うと、元の人を小馬鹿にしたような笑顔に戻る。

 つい寸刻前までの殺伐とした空気など、初めからなかったかのようだ。


「……焦点になるのは、石橋のあの自己肯定感の低さ、ですかね? 『自分がどうなりたいか』、とかじゃないんです。アイツの判断基準は」


「まぁ確かに、そんな感じしたかも。お母さんだよね? 別にマザコンってワケじゃないんだけどさ。お母さんに対しての罪悪感がエグいよね?」


「新井の言う通り、母親への罪悪感もあるでしょう。でも何かもっとこう……、『立つ鳥跡を濁さず』じゃないですけど、自分が居た痕跡を綺麗さっぱり消そうとしているようにすら感じましたね。それくらいの危うさが、アイツにはあります」


「で、でもさ! イシバシ言ってたじゃん! 『幸せになれるならそれに越したことはない』って」


「アレは話の流れで、俺が言わせたようなもんだよ。結局、アイツの行動原理は、自分が迷惑を掛けたと母親が中心だ」


 俺がそう言うと、田沼さんは指を顎に当て、悩むような素振りを見せる。


「ふーむ……。それでしたら、今回も荻原さんに全面的にお任せすることに致しましょう! 期待していますよ!」

「ホントにどこから湧いて出てくるんですかね、その信頼は……」

「では、後のことは宜しくお願い致します!」


 すると、田沼さんは勢いよく起立し、足早にオフィスの出口へ向かおうとする。


「は? えっ、ちょ!? どこ行くんすか!?」


「へ? 警察ですが」


 さも当然かのように言い放つ彼女に対して、俺も新井も咄嗟に返す言葉を失う。


「チサさん。また、ですか……」

「初犯でない以上、実刑は免れないだろうな……」

「だ、大丈夫ですよ! 人間、いつからだってやり直せますよ! 知らないけど!」

「まぁ、ちゃんと要請に応じて出頭するだけ、大きな進歩だろ」

「お二人とも。何か大きな勘違いをされているようですね。あと何故かとても他人事染みて聞こえるのは気のせいでしょうか」


 田沼さんはそう言って、不敵に微笑む。


「先ほども言った通り、荻原さんには、こと業務においては全幅の信頼を置いています。ですので、今回については二手に分かれましょう。何事も効率重視です!」


「二手にって……。具体的に何するんすか?」


「うーん、そうですね……。情報収集、とでも言いますか? 私の方は、少しをさせていただきます」


「先回り、ですか……。何についての情報かは知りませんけど、そこまでするほどのこと何ですか?」


「はい。そこまでのこと、です」


 彼女は微笑みながらも、淡々と言い切った。

 これ以上は踏み込ませない、とでも言うかのような圧を感じ、俺はそれきり何も聞けなかった。


「……分かりましたよ」


「ふふ。ご理解いただき、助かります。もちろん、一方的にお任せした分、日給にも上乗せしますので」


「まぁそれはいいんですけど……。言うて、まだなんですから、何かあっても知りませんよ」


「えぇ、もちろん。現場責任者は、飽くまで代表である私ですので、その辺りはご心配なく。新井さんにもこのまま残っていただきますので、後はどうぞごゆるりと、二人のの時間をお過ごし下さい」


「……そういう、しょーもないこと言ってる暇があるなら、とっとと終わらせて戻って来て欲しいですけどね」


「はい。では」


 彼女は手を振り、そそくさとオフィスを後にした。


「行っちゃったね……。何かホントに人だね!」

「さぁ……、どうだろうな」


 俺は新井の言葉に、素直に頷くことが出来なかった。

 彼女の意図は分からない。

 ただ、どことなく。

 彼女を『自由人』の一言で、片付けてしまうにはどうしても抵抗がある。

 むしろ、何かに囚われている。

 今となっては、そう感じずにはいられなかった。

 

「てか、どうするん? 鑑定はするんだよね?」

「そりゃ当然な。とりあえず査定はした上で、候補者の中に石橋の親父達がいるか確かめねぇとな。まぁ今回は確認するだけだから、すぐ終わるだろ」

「だね! じゃあとっとと終わらせちゃお! !」

「その呼び方はマジでやめろ……」


 新井がクスクスと楽しげに笑った、その時だった。

 突如、オフィス内にガタガタと鈍い音が鳴り響く。


「ん? コレ、アンタの? 取んないの?」


 新井は、テーブルの上で小刻みに震える俺のスマホを指差した。


「あ? あぁ……」


 俺は言われるがまま、スマホの画面に目を落とした。

 差出人に表示された『神取』という文字を見て、何故か嫌な胸騒ぎが抑えられなかった。

 俺は深呼吸しつつ、『応答』にタッチする。


「は、はい。荻原です」


「あ、訓くん? 今って大丈夫かな?」


「……なんでしょうか」


「あのさ。のことなんだけどさ……」


 胸のざわつきは、見当違いではなかった。

 俺はこの時、ただただ一方的に耳に流れ込んでくる情報を処理することに必死だった。


「はい、はい……。いえ。今からそちらに向かいます。では。はぁ……」

「何? どったのどったの?」


 電話を切るなり溜息を吐いた俺に、新井は興味津々といった様子で聞いてくる。

 何故か、心底楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「里津華が……、逮捕された」

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