醜悪③

「……やっぱり幻滅しますか? ただ俺としてはっていうか……。それで大学入学を期に思い切って……、って感じなんです」


 それから石橋は、まるで懺悔するかのように語り始める。


 きっかけは、小学校最後の大型行事である、林間学校の班決めだった。

 石橋の学校では、1学年4クラスの中から、それぞれ男女一人ずつをランダムで選出して、計8人の班をつくる決まりになっていた。

 バランスを考慮してなのか、が出ることを見越してなのかは定かではないが、学校の伝統的なしきたりとして、児童たちもでそれを受け入れていたと言う。

 石橋もその一人だった。

 

 しかし、ある日。

 清掃の時間に、石橋はを見つけてしまう。

 それはノートの切れ端にクラスの女子が書いたであろう、一枚のメモだった。

 石橋はそれに何気なく目を落とし、その内容に愕然とする。




 『林間ペアランキング』




「マジかよ……。小学生怖すぎだろ」


「だね……。へ!? てことは……」


 何かを察した新井に、石橋は静かに微笑みながら黙って頷く。


「話の流れで分かっちゃうか。……まぁ、案の定って感じかな」


 ランキング1位の欄には、石橋の名前と得票数らしき数字の他、『純粋に顔がキモい』『顔が生理的にムリ』等々、選定理由と思しき文言も併せて書かれていた。

 恐らく、クラスの女子の一部の間で共有されていたのだろう。 

 小学生というのは残酷な生き物だ。

 『内輪ノリ』という大前提があれば、ほとんど死刑宣告に等しい言葉でも、何の気なしに使えてしまうのだから。


 それからだった。

 石橋が自分の容姿について、はっきりとコンプレックスを持つようになったのは。

 結局、石橋はそこで何をするでもなかった。

 そして、何事もなかったかのように林間学校を終え、中学へと進むことになる。


 心機一転と思いたいところだが、それだけ大きなしこりを残したままでは、何が変わるわけでもない。

 それは周りも同じだった。

 むしろ、なまじボキャブラリーや遣り口の幅が広がったせいで、彼への扱いもより露骨でになっていく。

 ただでさえ、多感な時期だ。

 多少なりともを覚える分、その悪意が伝播するスピードも凄まじい。

 石橋が孤立していくのは、自然の流れだった。


「……何つぅか、大変だったな」

「まぁ……、言っちゃなんだけど確かに世の中そういうトコあるかもね。特に最近は。ルッキズムってーの? 女子の中でも、見た目でナメられたら終わりなんよ!」


 新井は腕を組みながら、さも分かったような口を利く。

 確かに新井が見た目に気を遣っているのは分かるが……。


「いやまぁ。それは分かるけどよ……。お前の言う見た目と、石橋の言ってるのとはまた違うだろ」

「へ? そっかなー」

「いや。突き詰めると、そういうことだよ。見た目って、第一関門なんだ。結局……」


 石橋はそう言って、顔を伏せる。


「荻原くん。人は見た目じゃないって言うけど、それはなんだよ。何だかんだ言って、ある程度の基準を満たしていることが大前提になってるからね。そこでハネられると、大げさに言って人間扱いされない。そして迫害される……」


「つってもな……。こう言っちゃ何だが、今のお前からいくらそう言われても、あんましピンと来ねぇんだよな。悪ぃけど。別に興味本位ってわけじゃねぇよ。コッチはお前を鑑定する以上、は知っておく必要があるんだが……」


 俺が暗に催促すると、石橋はおもむろにスマートフォンをいじり出す。


「……高校生の頃ので、いいかな?」


 石橋はそう言って、手持ちの端末を差し出してくる。


「お、おう。何か悪いな……」


 掘り起こしたくもない過去を掘り起こさせたことを謝罪しつつ、俺は石橋からスマートフォンを受け取った。


 俺は画面に目を落とした瞬間、催促した身でありながら、呆気にとられてしまう。

 

 丸々と良く肥えた輪郭。重く腫れぼったい両瞼。

 低く無骨で、人一倍自己主張の強い、絵に書いたような団子鼻。

 そしては、追い打ちをかけるかのように口元から右頬にかけて広がる赤アザだ。

 これは恐らく、暴力などが原因ではなく、先天性のものだろう。

 単純性血管腫たんじゅんせいけっかんしゅ、だったか?

 動静脈の間にある毛細血管が異常に増えて集まったことで、赤く見えるようになる血管奇形の一種だと、何処かで聞いたことがある。

 いずれも、チャームポイントなどといった気休めで誤魔化せる域を超えている。

 石橋が如何に難儀な人生を送ってきたかを想像するに、あまりあるものだった。


 変な言い方になるが、相当なであったことは想像に難くない。

 どうやら石橋は、冗談や酔狂でココへやって来たのではないようだ。


「なるほど……。お話から察するに、容姿を理由に石橋さんを迫害してきた連中に対して一矢報いたい、と」


「は、はい。そんな感じ、です」


 石橋が同意すると、田沼さんはスゥーと長めに息を吐く。

 これからが始まるであろう恐怖感に、俺たちは色めき立つ。


「石橋さん。ダウト!」

 

 田沼さんはオフィスいっぱいに響く声で言い放つと、得意げに石橋を指差す。


「え、えっと……」


 差された指を見つめながら、石橋は口をパクパクとさせる。


「そもそもおかしいんですよ、動機として。石橋さん。あなた、先ほど整形した、とおっしゃいましたね? あまり繋がりがないように思えますが」


「いや、あの。そもそも動機なんて、究極何でもいいんじゃ……。プライバシーの部分でもあるし……。整形云々なんて、モロにそうでしょ? 俺たちの役目は飽くまで」


「荻原さん。それは違います。動機は、その方のを裏付ける背景となるもの。正確な査定を行う上で、その点を洗い出すに越したことはありませんよ!」


 田沼さんはしたり顔で、俺の反論を遮る。


「さて、石橋さん。聞かせていただけますか? あなたのを」


 彼女の問いかけに石橋はしばらく黙り込むが、その後観念するかのように語り始める。


「……ごめんなさい。実はまだちょっと迷ってるんです。本当に依頼していいものかどうか」

「そりゃまぁ……、懸命だな」

「いやっ! そういうんじゃなくてさ! 問題じゃないから……」

「……どういうことだよ?」


 俺が聞くと、石橋は少し考えた後、話し始める。


「あ、あのさ……。相州そうしゅう銀行ってあるだろ?」

「なんだよ、急に。相銀そうぎんっつったら、神奈川の地銀だろ?」

「うん……。実はさ。ウチの爺ちゃん、そこの頭取なんだ」

「へ!? マジ!? 相銀って、地銀の中でもめっちゃ大手だよね!? イシバシからは、そんなオーラ感じなかったわー」

「はは。そうかもね。でもそれも当然だよ。だって爺ちゃんも親父も、俺のこと隠そうとしてるからさ……」


 ガサツに言い放つ新井に対して、石橋はどこか物悲しい様相で応える。

 どうやら事態は俺たちが思っている以上に、拗れていたようだ。


 話は約20年前に遡る。

 当時、相州の取締役だった石橋の祖父は、引退を表明していた現職の後釜として、頭取レースの最前線に居たらしい。

 経営陣の中で1、2を争うほどの求心力を誇っていたそうだが、複数人が名乗りを上げている中、目に見える成果を欲していた。


 そこで目をつけたのが、北信共立ほくしんきょうりつ銀行だった。

 当時、北信共立は数十年来の不景気の煽りを受け、複数のが発生していた。

 多数の不良債権を抱え、経営に行き詰まりかけていた彼らに対して、石橋の祖父は経営統合を提案する。


 しかし、北信共立側はすぐには首を縦に振らなかった。

 というのも、当時の頭取が事実上の経営権を奪われることを嫌い、飽くまで自力での立て直しにこだわっていたからだ。


 そこで石橋の祖父は、頭取との直接交渉を申し出る。

 交渉はその後も難航したようだが、彼の執念ともいえるほどの熱意に、頭取は遂に折れる。

 そして、で統合を受け入れた。


「なるほどな。……んで、その条件ってのは?」

「娘をお宅の息子さんに、だってさ」


 石橋はそう言って、フッと乾いた笑みを浮かべた。

 思わぬ答えに、俺は自然と力が抜ける。


「政略結婚てヤツだ! そんなん実際にあるんだね〜」

「でもそうなると、救済する側ではありますが、ある意味で譲歩したカタチになりますね」

「ですね……。まぁそこは色々と思うところはあったみたいですけど、背に腹は代えられないっていうか……。よっぽど、なりたかったんでしょうね、頭取に。はは」

 

 田沼さんの指摘に、石橋はどこか呆れるように笑う。


「……んで。話の流れから何となく予想出来るが、その娘ってのは」


 俺がそう言うと、石橋はコクリと頷く。


「うん。俺の母親だよ」


 北信共立の頭取には、一人娘が居た。

 それが他でもない、石橋の母親だ。

 心優しい性格だったが、容姿に恵まれなかったことも祟り、婚期を逃したまま、気付けば30を過ぎていた。

 本人も結婚を希望していることもあり、親として心を痛めていた矢先の話だったらしい。

 石橋の祖父は、その条件を受け入れ、無事に経営統合へと漕ぎつける。

 経営難とは言え、地元の有力企業との伝手を多くもつ地銀を取り込んだと社内での評判は上がり、一躍頭取レースの一番手に躍り出る。


 そして、肝心なのはここからだ。

 この経営統合を決定打に、見事に頭取の座を射止めた石橋の祖父の次の狙いは、『世襲』だった。

 当時、まだ30代だった石橋の父親に取締役を禅譲し、事実上の頭取候補として任命する。

 だが、この行動は相当な反発を招き、経営陣の間に深い対立の根を残してしまう。

 石橋の祖父は、性急な判断の穴を埋めるため、主要なライバル候補の一人を、石橋の父親と同格の取締役に引き上げる。

 これによって一時的に混乱は沈静化するが、結果的に頭取レースの気運が、早くも醸成されてしまう。


 焦点は二人の内、どちらが次期頭取になるかに移った。

 双方まだ若く、実績面ではほぼ互角。

 経営陣の関心は、二人のに集まっていった。


「人物像って……。具体的になんだよ?」

「そりゃあ、だよ。メガバンクにも匹敵する、国内最大手の地銀のトップだからね。それなりの人物が求められるのは当然だよ。学歴はどうか、とか。人間関係はどうか、とか。、とかさ……」


 俺はそれを聞いた瞬間、石橋の言わんとすることが理解できた。

 なるほど……。これは相当な拗れ具合だ。


「……そこでお前や母親が槍玉にあげられた、と」


 俺がそう言うと、石橋は黙って首を縦に振った。


「でもイシバシたちの何がそんなに問題なの?」


 新井は話を飲み込めていないのか、首を傾げる。


「ほら。ウチの母親があんまり見た目が良くないって話、したろ? 主にそういうことだよ。だから、万が一の時に備えて、を用意したんだ」

「か、代わり? ……どういうこと?」


 新井は、頭の上にクエスチョンマークを何個も浮かべるかの勢いで、石橋に問いかける。

 彼女がこうなるのも無理はないだろう。

 俺たち下々の人間にとってみれば、彼らがそこまで躍起になる理由など理解できるはずもない。

 

「……ってことだろ? まぁ要するに、そんな立派な銀行の頭取様ともあろう方のパートナーや子どものビジュアルがだと、格好つかねぇってことだろ。知らんけど。だから何だ? ……愛人的なアレか?」


 俺が聞くと、石橋は投げやりに笑って、小さく頷いた。




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