劣等④

 見よう見まね。

 いや……。正しくはですらない。

 田沼さんは、なのかは知らないが、採点の項目だけ話したきり、基準となるべき過去の事例については教えてくれなかった。

 もはや、俺の独断と偏見で査定する他ない。

 恐らくだが、俺が叩き台の評価を下し、後から田沼さんが修正していく、という流れになるのだろう。


 その上でまず考えなければならないのは、不幸として抽出するか、だ。

 そもそものスタート地点、元凶から考えるべきだろう。

 彼女が違和感を感じ始めたのは、小学生の頃。

 分かりやすいところで、真っ先に浮かぶのが『中学受験の失敗』だ。

 母親からの期待を一心に受けていたものの、雲行きは次第に怪しくなり、最後の最後には『不合格』というカタチで止めを刺される。

 そこから母親の変化が始まったわけだ。

 

 更にその原因を、深堀していく。

 境界知能であることが、を『中学受験の失敗』の原因と仮定するならば、話はスムーズではある。

 しかし、だ。

 果たして、それ自体が彼女の不幸の本質なのだろうか。

 彼女にとっての不幸。

 境界知能をもって生まれたこと?

 気付いてくれる人間が、近くに一人もいなかったこと?

 それを努力不足や能力不足の一言で片付けられてしまう、社会の無理解?

 いや……。

 それも大きな要因なのは間違いないが、根本的には違う……、気もする。

 第一、境界知能云々は、完全に俺の憶測でしかない。

 彼女自身が認識していない問題を、不幸と結論付けるのは早計だ。

 それは明らかに、彼女のに反する。


 ……これも俺の推測だ。

 母親はフリ姉が抱えている問題に、どこかの段階で気付いていたのだと思う。

 だが、それを追及することはなかった。

 その理由としては、妹の里津華の存在がある。

 彼女とは、3つ離れているわけだ。

 つまりフリ姉が6年生の時、彼女は3年生、ということになる。

 一般的には、中学受験の準備を始める適齢期とも言える時期らしく、実際フリ姉もこの辺りから学習塾に通い始めた。

 里津華も例外ではなかったのだろう。

 フリ姉が試験に落ちたと分かった瞬間、シフトしたと考えると色々と納得がいく。

 だからこそ、母親はお茶を濁すかのように、フリ姉への態度を軟化させたのだろう。

 全ては、妹の足を引っ張ることがないように。


 その一連の流れの中で、彼女が抱いた感情。

 周囲の期待に対する焦燥感、それに応えることが出来なかったことへの無力感、妹に対しての劣等感……。

 そして何より、等身大で生きる道を一方的に奪っておきながら、妹のために梯子を外した母親への猜疑心。

 これに関しては話を聞く限り、フリ姉自身も気付いていない部分だと思う。

 そういった情念の一つ一つが、フリ姉の人生を歪ませていった、と考えるのが妥当だ。

 兎にも角にも、この辺りが彼女の不幸の本質と言えるのかもしれない。


 そこまで分かれば、査定の余地も出てくるだろう。

 衝撃性、長期性、特異性、波及性、再起不能性。

 5つの項目をフリ姉に及ぼした影響から、考えていく必要がある。


 第一に、衝撃性。

 焦点を境界知能や母親の存在、といった点に絞れば、高得点が想定される。

 しかし、それら自体はきっかけではあるが、決定的な何かと言えば、そうとも言えない気はする。

 彼女の場合、それらが発端となって様々な問題が生じ、じわじわと真綿で首を絞められるように、追い詰められていったと見る方が自然だ。

 そういった事情を考慮し、仮に6点、としよう。


 次に、長期性。

 むしろ彼女のは本題は、ココにある。

 田沼さんの鳥の糞の話などとは違い、フリ姉の不幸は恒常的なものだ。

 実際、社会人になった今でもその後遺症のように悩まされ、こうして自分の殻に閉じこもるようになってしまったわけだ。

 であれば、最高点を付けても差し支えない。


 そして、特異性。

 フリ姉の苦悩を過小評価するつもりはない。

 ただ、ようやく最近になってだが、フリ姉のような存在も少しずつ世間から認知されるようになってきたことも事実だ。

 そう考えれば、決して他者と共有できない問題ではない気がする。

 5点程度が妥当か。


 次は、波及性。

 これは単純な話だ。

 彼女は、良くも悪くも現在は引きこもり状態なので、第三者に対して悪影響を与える可能性については、限りなく低い。

 フリ姉自身に関しても、今後状況次第で発展していく可能性もあるが、飽くまで現状の評価としては3点程度に留めておくのが無難だろう。


 最後に、再起不能性。 

 この項目も、フリ姉にとっては核となる部分だ。

 彼女がどこまで現状を深刻に捉えているのかは知らないが、『今こうしてこの場に来ている』時点で相当に追い詰められていると、考えざるを得ない。

 そういった正直な印象を加味して、9点としておこう。


 まとめると、

 

 衝撃性 ………… 6点

 長期性 ………… 10点

 特異性 ………… 5点

 波及性 ………… 3点

 再起不能性 ………… 9点


 合計 ………… 33点 


 といったところか?


 田沼さんが俺を買い被る理由として、主観・客観の双方でのフェアな視点を挙げていたが、この査定のどこにがあるのか。

 それもこれも、彼女が過去の事例を教えてくれなかったことが原因だが、そもそも査定における客観性とは何なのか、大いに疑問ではある。

 ……まぁ俺は言われるまま、好き勝手にやったまでだ。

 それならば素人である俺はここで退場し、後はに任せるとしよう。


「……まぁざっくりと、になりましたね」


 俺ののもと、田沼さんとフリ姉に自分の見解を伝えた。

 査定の理由を含め、詳細を話したが、その間彼女たちは何を言うでもなく、ただただ相槌に終始していた。

 田沼さんに至っては、目をギラつかせ、食い入るような姿勢で聞いていたので、俺の査定について少なくとも悪い印象は持っていないようには見える。

 ただそれは、期待や称賛というより、何かを確信したような底の知れない笑みで、話を進めていくに連れて俺の不安は募っていった。


「……な・る・ほ・ど〜! 一言で言います。素晴らしいっ! やはり、あなたに来て頂いて正解でした!」


「……いや。ホントにこれでいいんすか? こう言っちゃなんですけど、だいぶ適当ですよ? 指標というか、基準と言えるものが何もなかったので」

「いえいえ。あなたは非常に良い査定をして下さいました。ただ……」


 田沼さんはそう言うと、表情を曇らせる。


「荻原さんの査定は非常に論理的で、公平・公正なものでした。まさに政府が弊社に求めていたフェアな視点と言えるでしょう。そう。とてもとは思えないくらい……」

「な、何がおっしゃりたいんですかね……」


「まさかとは思いますが、荻原さん。鑑定をするのは今日が初めてではないのでは? もしくは経験がおアリ、とか……」


 田沼さんは、真顔で問い詰めてくる。

 そんな彼女の圧に、俺は何故か脈を早めてしまう。


「……変なこと、言わないで下さい。鑑定をするのも、こんなワケ分からん面倒ゴトに巻き込まれるのも、正真正銘初めてですよ」


 俺の返答を聞くと、彼女は黙ったまま、じっと俺の顔を見つめる。


「……ふふ。まぁそれは冗談です。ちなみにですが、荻原さん。私が事前に事例をお伝えしなかった理由、分かりますか?」


「分かりません……。それが分からないので、この査定に意味があるとは思えないんです。『鑑定』そのものの質を高めるために、鑑定士を増やすというのは、まぁ、何となく分かりますよ? でも、他の個別事例と照らし合わせるに越したことはないでしょう。そっちの方がよっぽど客観性の担保にもなるでしょうし。素人目で見て、ですが……」


「まだまだ甘いですね。やはり荻原さんは、間違いなくのようです」


「だから、そう言ってるでしょ……」


 俺がそう言うと、彼女はまた満足そうに微笑み、コホンと咳払いをする。


「基本的な話をしましょう。仮りに、私が事前にいくつか個別事例を荻原さんに伝えていたとします。その上で、荻原さんがそれを参考にし、鑑定値をに算出したとするとある問題が噴出するのですが……、それは何だと思いますか?」


「……棘のある言い方ですね。問題、ですか? まぁ強いて言うなら、基準がある以上、似たような事例の評価は固定化されるかもしれませんね」


「そう! まさに、その評価のこそが問題となるのです!」


 田沼さんは右人差し指を突き出し、得意げに断言する。

 またしても、彼女のスイッチが入ったようだ。


「あの、それは一体……」


「一つ、例を挙げましょう。実は本日。このオフィスへやってくる前、カラスに糞を落とされてしまいました」


「また、ですか……。そりゃあ、ご愁傷さまです」


「私に再び訪れたこの不幸。決して、自惚れるわけではありませんが、私が偶々強靭なメンタルを持ち合わせているが故にに至っていない、と考えることも出来ませんか? 人によっては自死を選ぶ、などといったケースもあるでしょう」


「オーバーなんですよ、色々と……」


「そう! まさにソレ! オーバーだと決めつけてしまうことこそが、鑑定を行う上で大きな弊害となるのです!」


 一瞬、アホみたいな話にも感じたが、俺はようやく腑に落ちた。

 なるほど……。

 考えてみれば、当たり前の話だった。


「……要するに、不幸への耐性は人によってマチマチだから、似たような事例でも一律に語ることは出来ない、ってところですかね?」


 俺が問いかけると、彼女はまた満足そうに笑う。


「その通り! まぁ考え方としては、税金に近いのかもしれませんね。応能負担と言いますか……。人それぞれ、耐え得る不幸の質も量も違うわけですから、それに応じても必然的に変わっていくのです。だから、個別の事例が却って判断の邪魔になる場合もあるんですよ」


 確かにその通りだった。

 田沼さんの例は極端だが、フリ姉自身が体験したは間違いなく唯一無二だろう。

 それを『誰々は大丈夫だったから』などと、知ったような口で語ることなど出来るはずがない。

 

「無論、『特異性』の項目については、他者との共有度が焦点になりますから、他の事例との兼ね合いも必要となります。ですが、ソレばかりに囚われていては足元を掬われる……、というようなことが言いたかったんですよ!」


 田沼さんはそう言って、ニコリと微笑む。


「さて、山片さん。大変お待たせして申し訳ありません。今回の査定について、ご了承いただけますか?」


「は、はいっ。私はそれで大丈夫です!」


 田沼さんの問いかけに、フリ姉は勢いよく応えた。


「……フリ姉、ホントに大丈夫か? もっと冷静に考えた方が」

「私は平気だよ。……っていうより、結構満足してる、かな?」

「どの辺に満足する要素があんだよ……」

「だってさ。サトルくん、私のについて、真剣に考えてくれたんでしょ?」

「いや……。真剣ってほどでも。、仕事なんで」

「それでも、だよ。私、嬉しかったんだ。だって……」


 フリ姉はそう言うと、遠い目を浮かべる。


「もうずっと、お父さんもお母さんも私に対して腫れ物に触るような感じだったからさ……。だから仕事でも何でも、私のこと真剣に考えてくれたみたいで嬉しかったんだ。自分でもよく分からないんだけどさ……」


「そ、そうか……」


「うん。ま、まぁ、相手が、サトルくんだったってこともあるのかな……、なんてね!」


「そ、そうか。久しぶり、だったからな? ん?」


 顔を赤らめるフリ姉を前に、俺はどうにも落ち着かず、受け答えもどこかぎこちなくなる。

 そんな俺に絆されたのか、フリ姉は更にその頬を紅潮させる。

 

「ふふ。私としては、お二人の久方ぶりのを邪魔したくはありませんが、何分仕事ですのでね。次のステップに移ってもよろしいですか?」


 田沼さんは悪魔のような笑みを浮かべつつ、ねっとりとした言い回しで俺たち二人のやり取りに割り込む。


「……心配に及ばずとも、仕事は忘れてませんから」

 

「それは何より。では次がいよいよ本番。の時間です」


 彼女はニタっと目を細め、その不気味な雰囲気を助長させた。

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