平等

「おっしゃる意味がわかりませんが……」

「荻原さん。あなたはこれまで『何で自分だけこんな目に遭うのだろうか』と、考えたことはありませんか?」


 いきなり何を言い出すかと思えば……。

 ますますもって、話が怪しくなってきた。

 彼女はその質問で、何を引き出したいのだろうか。


「……まぁとまでは思いませんが、近いことは常々考えてますね」

「ふふ。正直にお答えいただき、助かります」


 俺の返答が余程お気に召したのか、彼女はねっとりとした視線で俺を凝視してくる。


「いやあのっ。続きを話してもらっても……」


 彼女が発する圧から逃れたい一心で、俺は続きを催促する。


「これはこれは。失礼しました。荻原さんに限らず、置かれた境遇というものは、個人の人格や意識を形成する上で重要なファクターとなります。持つ者は、現状を糧に一層飛躍を遂げていくでしょう。一方で持たざる者は、その境遇を呪い、荒んでいき、停滞の一途を辿る。情念は得てして負のスパイラルを誘発しやすく、一度陥ればその波から抜け出ることは容易ではありません。ここまでよろしいでしょうか?」


 田沼さんは、どうにも要領を得ない話をしている。

 いや……。

 むしろ、自分のペースに引きずり込むために、わざと話を分かり辛くしようとしているとすら思えてしまう。

 彼女の一人舞台とも言えるこの現状に、俺は黙って首を縦に振ることしか出来なかった。


「もちろん、後付の努力でそれを変えることも可能でしょう。というより、むしろ社会はそれを求めている。貧困に喘いでいようと。容姿に難があろうと。先天性の病に罹っていようと。両親の人格に問題があろうと。それどころか、その両親すら不在であろうと……」


 彼女にそう言われた時、俺は不覚にも胸をざわつかせてしまった。


「どうかされましたか?」


 恐らく、露骨に顔に出ていてしまったのだろう。

 田沼さんは白々しくも見える、案じ顔で聞いてくる。


「い、いえ。別に……。そうですね。確かに一億総努力教、みたいなところはあるのかもしれませんね」


 俺がそう言うと、彼女はまた元の不気味な笑顔に戻る。


「成功者曰く、『出自や環境は関係ない。全ては己の志次第』と。果たして、本当にそうでしょうか? そういったいわゆるほど、自身の過去をひけらかし、傲慢になりやすい。全ては偶然の産物、手繰り寄せた縁の結果であるにも関わらず。そもそも跳ね除けられるほどの逆境など、逆境と呼べるのでしょうか? もちろん、当人の努力の全てを否定するつもりはないですが」


「いや、そう言われても……」


「要するに何が言いたいのかと言えば、結局世の中、出自や環境……、現代風に言えば初期ステータスによって、辿り着けるステージは決まってしまうということ。ある意味でとても公平であり、不公平でもある。だからこそ、鬱憤や憎悪も生まれていく……」


「まぁ、それは確かにそうですね……」


「そこで出番です!」


 田沼さんは、突如右指を突き出して言い放つ。

 なんと言うか……、凄く楽しそうだ。

 話が進むに連れ、心なしか彼女のボルテージが高まってきている気がする。

 まさに水を得た魚だ。


「弊社では人々の境遇のバランスの是正……、もっと露骨に言ってしまえば『不幸の再分配』を行い、一人が体験する不幸を軽くすることを、至上命題としております」


「『不幸の再分配』って……。ちょっと意味が分からないんですが……」


「そうですね。例えば、荻原さん。最近、あなたの身に何か不幸な出来事はありましたか?」


「不幸、ですか……。あったかもしれませんが、すぐには思いきませんね。正直、今更って感じがして。色々と……」


 俺がそう応えると、彼女は一瞬言葉を詰まらせる。


「……そうですか。ちなみに私はありましたよ。それも今さっき。実はココへ来る途中、道でカラスに糞を落とされてしまいました。おかげで、わざわざ自宅へ引き返して、シャワーと着替えをするハメになりました」


 そう飄々と言い切る彼女の表情は、どこか得意げだった。

 『この人タダの変人では?』という疑念が、俺の中で生まれつつある。

 ていうか、石鹸臭かったのはそれが原因か……。


「おや? どうかされましたか?」


 あまりの馬鹿馬鹿しさに言葉を詰まらせた俺の顔を、田沼さんは覗き込む。


「……いや、何か想像していたものと種類が違っていたので。何か大変なところ申し訳ないですね」


「ふふ。気を遣わせてしまったようですね。話を戻しましょう。例えば、私に生じたこの。もし、荻原さんの身にも同じようなことが起こったとすれば……」


「糞を落とされたら……、ですか?」


「糞とは限りません。糞と同等、もしくはそれ以上の不幸が荻原さんの身に生じた時、私はどう感じるでしょうか?」


「どう、と言われても。そりゃあ……」


 俺が応えるよりも先に、彼女は目を細める。

 そんな彼女を見て、何となくだが、言わんとすることのニュアンスは理解出来た気がする。


「ふふ。お分かりいただけましたか?」


「……まぁアナタがどうかは知りませんが、自分に置き換えた場合、何となくホッとはするかもしれませんね」


「そう! そこなんです! 重要なのはっ!」


 田沼さんは、前のめりになって言う。

 鼻息も荒く、興奮気味だ。

 そんな彼女を前に、俺の動揺はいよいよ最高潮に達する。


「口でいくら取り繕ったところで、皆、潜在的には他人の不幸を求めている。それは何故か? 人は如何に『平等』であるかを重視する生き物だからです。他人が幸せになってしまえば、自分は不幸になってしまいますから。自分の不幸と、他人の幸福とのギャップが何よりも許せない。その差が歴然であればあるほど、心は荒み、卑屈になっていく。俗な言い方をすれば、がついてしまう」


「まぁ分からないでもない話ですが……」


「幸福は極めて定義しづらく、人によってその様式はマチマチ。ですが、不幸は違う。具体的には、この飽食と言われる時代、食べるものがなければ、もうその時点で不幸と言えるでしょう。近頃では、『無敵の人』などと呼ばれる持たざる者が重大事件の引き金を引くケースも多く、社会は今、あらゆるルサンチマンで溢れかえっています。『何でアイツだけ…』『どうして自分は……』等々」


 俺はこの時。

 いつの間にか、彼女の話に聞き入っている自分に気付いた。

 

「その中で弊社の役割は大きく二つ。一つは、依頼者の『不幸』を鑑定し、それに相当する別の『不幸』を提示すること。そして、その『不幸』を依頼者とは別の第三者にすること」


「……参考までに聞きますが、そのとは?」


「文字通り、の意味です」


「……そんなことして何の意味があるんですか?」


「それは先程申し上げた通り。依頼者の不幸の度合いを引き下げる狙いがあります。無論、その分不幸そのものの総量は増えてしまいますが、他者とのバランスが取れれば、必然的に依頼者への不幸の偏りも避けることが可能です。そうすることで、依頼者は生きるモチベーションを保つこともできる。弊社は営利組織ではありますが、社会的意義も非常に大きい仕事なんですよ」


「……百歩譲ってその通りだとしましょう。でもソレって、要するに依頼者のの片棒を担ぐってことでもありますよね?」


「それは少し違います」


「へ?」


「弊社の役割は飽くまで。依頼者の幸福を保証することなんですから」


 田沼さんは一切躊躇することなく、詭弁とも取れるセリフを平然と言い切った。


「まぁ……、言わんとすることは分かりますよ? 俺にはどうも、人の劣等感に付け込んで金儲けしてるようにしか……」


「ふふ。中々に強情な方ですね。良いでしょう。では私の個人的な心情を正直に申しましょう」


 彼女は不敵に笑った後、フゥと深い息を吐く。


「……まぁそうですね。おっしゃる通り、付け込んでいます。儲かるんですよ。人の不幸って。すごく。えぇ。ですから率直に言って、持たざる者は金づるです。私にとって」


 彼女はそう言って、ニヤリとほくそ笑む。

 あまりの率直さに、俺も新井も思わず顔を引き釣らせる。


「でも、それによって社会の秩序を守れていることも事実。どんなカタチであれ、結果として、依頼者が明日への活力を取り戻すことにも繋がっているんですから」


「……そちらの社会的意義は分かりました。でも、その不幸の鑑定ってどういう基準で判断するんですかね? その、? の原理もよく分かりませんし」


「それは他ならぬである、私の独断と偏見です」


 彼女は、さも当然かのように断言する。


「……他人の不幸を? 独断と偏見で?」


「はて? 何かおかしなことでも?」


 錯乱する俺を尻目に、彼女は『心外』とでも言いたそうな顔で、俺を見つめてくる。


「いや、まぁ……。おかしいかおかしくないかで言えば、スタート地点からおかしいんですが……。素人の俺が言うのも何ですけど、それって大丈夫なんですかね? さっき、不幸は数値化できるみたいなこと言いましたけど、俺としてはそれ自体に疑問があるっていうか、フェアじゃないっていうか……」


「ふふ。流石は私がお方だ。そうです! そこが問題なんです!」


 田沼さんはをテーブルをバンと叩き、ソファーから勢いよく身を乗り出してくる。

 目と鼻の先まで、その端正な顔が近づいてきて、俺は思わず視線を逸してしまう。

 やはり、彼女。

 どこでスイッチが入るのか、見当もつかない。


「この短時間で俺の何を見込んでくれたのかはサッパリですが……。その問題、というのは?」


 俺が聞くと、彼女はコホンと咳払いをし、どこかバツが悪そうに視線を背ける。


「……実はつい先日、とある事情で警察沙汰になってしまいました。何でも『マッチポンプ的に他人の不幸で荒稼ぎする悪徳業者がいると通報があった』と」


 なんと言うか……。

 我が国の司法もしっかりと機能しているようで、心底安心したというのが正直な感想だ。

 しかし、当の本人は『極めて遺憾』とでも言いたげに口惜しい顔をしている。


「恐らく、依頼者のどなたかが通報したのでしょう……。査定に不満があり、その腹いせと思われます。この件に関しては、政府からもお達しがありまして……。『今後はこうした面倒ごとが起きぬよう、鑑定士の人数を増やし、フェアな査定ができる体制で臨んでくれ。でなければ、認可取り消しも視野に入ってくる』と言われてしまい……」


「政府公認だったのか……。何か、警察と癒着してる反社組織みたいっすね」


「ええ。極秘に、ですが。本来、行政へ向かうはずの鬱憤を他へ逸らすことができれば、その分福祉や施策について考える手間が省けますから。そういう意味で、弊社と政府は利害が一致していると言えますね。とは言え、万が一我々との関係が表沙汰になれば、政権が吹き飛びかねないほどのダメージを負うことでしょう。ですから、この件については特にお怒りでして……」


 なるほど。

 こうして聞くと、政府は政府でロクでもない。

 結局のところ、弱者が弱者を叩く構図を維持することが、お上にとっては一番都合が良いのだろう。


「不幸を提供するプロセスについては、後ほど詳しく説明するとして……。大変長くなりましたが、ここからが本題です。荻原さん、弊社の鑑定士として働いていただけませんか? あなたには鑑定士としての素養があります!」


「いや、あの……、新井にも聞きたかったんですけど、何で俺なんすか?」


「それは単純明快! 先程、新井さんから電話で聞きましたが、荻原さん。何でも、相当にお金に困っているそうで?」


「まぁ余裕があるかと言われれば、決して……」


「そうでしょう。そうでしょう。この仕事で大切なことを言います。それはズバリ。視点、です!」


 田沼さんは人差し指を突き出し、やたら満足げに話す。

 やはり煽られていると感じるのは、俺の被害妄想だろうか。

 

「荻原さん。あまり表には出されていないようですが、あなたの腹の奥底ではいくつか怨恨が燻っているのではないでしょうか?」


「怨恨って……。そりゃまた随分と仰々しい……。一体、何の話ですかね?」


「さぁ? それは分かりません。それは家庭のことなのか。はたまた社会に対して、なのか」


 そんなこと……、今更、だ。

 全ては為るようになった結果だ。

 というより、初めから勝負が決まっていたというべきか?

 いずれにしても、俺一人が足掻いたところで、何がどうなるわけでもない。

 俺はそう思いながらも、彼女が向けてくる粘りつくようなその視線から、逃れるように顔を背けた。


「ふふ。皆まで言う必要はありません。この仕事、長いから分かるんですよ。あなたのその全てを悟り尽くしたかのようなアンニュイな瞳。これまでの悲惨な境遇、壮絶な生い立ちを物語っています」


「……あ、後付で適当なこと言わないで下さいっ! さっきから詐欺師の常套句みたいなこと言いやがって。いよいよ馬脚を現しやがったな!? 言っておくが、アンタが邪推してるほど悲惨でも壮絶でもないっての!」


 俺は全てを知り尽くしかのように振る舞う彼女の言葉を、必死に振り払う。


「そうですね。確かに邪推が過ぎました。申し訳有りません。ですが、荻原さんが鑑定士に向いていると感じたのは事実。その豊富な。それでいて社会への期待、興味を完全に喪失させた荻原さんのような方であれば、主観・客観双方を照らし合わせ、よりフェアで冷徹な査定ができるはずです!」


「……だから邪推だって言ってるでしょ。変な買い被りはやめて下さい」


 俺がそう言うと、田沼さんはフッと満足そうにほくそ笑む。


「さて! 今一度聞きます。荻原さん。あなたは今の人生に満足していますか?」


「まぁ満足はしていませんね……」


「私、常々思うんです。人として生まれたからには、誰しも幸福になる権利がある、と」


「この話の流れでソレが言えるって、やっぱりアンタ普通じゃねぇ……」


「考えてもみて下さい。我々の仕事が如何に意義があるか。『他人の不幸』、すなわち自身の幸福と定義するならば、このサイクルを増やすことで、ねずみ算的に金づる……、もとい実質的な幸福も増えていくわけですから」


「ホンネが隠しきれていない……」


「荻原さんっ! 弊社と一緒につくりませんか! 最大幸福社会を! この仕事、あなたにとって得るものも多いはずです!」


 田沼さんは言葉巧みに、きれい事とすら呼べないような詭弁で、俺を籠絡しようとしてくる。


 確かに新井の言う通りではあった。

 彼女の話は、人を惹き込む何かがある。

 ……と言っても、胡散臭いことに変わりはない。

 不幸の鑑定。均等化。

 それだけじゃない。

 彼女の一挙手一投足はまるで、俺を試しているかのようだった。

 果たして、彼女は俺の見透かしているのだろうか。


「未だ、信用していただけていないようですね」


 渋る俺に痺れを切らし、田沼さんは聞いてくる。


「そりゃあ……、まぁ正直」


「良いでしょう。では一つ。あなたに信用していただけるだけのをご用意いたしましょう。それを見てから、検討していただけますか?」


「はい?」


「ふふ。そうですね……。それでは期日は2週間後、と致しましょう。その時を楽しみにしていて下さい」


 田沼さんはまたしても意図を汲めないことを言って、不敵に笑った。

 その狂気的な笑みが、いつまでも俺の頭から焼き付いて離れなかった。

 




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