25、これからも、仲良くしてください

「今さらな気もするが……いいのか? 男を家に連れ込んで」

「入れ替わりのとき、竹内たけうちくんはいつも私の家に来ていました。だから信用しているんです。竹内くんなら、いつでも歓迎です」


 高嶺たかみねの大きな瞳に見つめられて、おれは返答に窮した。

 入れ替わりが終わってからも、高嶺との関係性は断ち切れずにいる。本当ならば入れ替わり終了と同時にしっかり距離をおいて、高嶺が他のクラスメイト達の輪の中に入っていくのを遠巻きに見守っているべきだった。しかし、ほかならぬ彼女がそれを許してくれなかったのだ。


・・・


『わたしは、数年間クラスの人ときちんと話をせずに過ごしてきました。なので、まずは一対一から、話す練習がしたいんです。竹内くんとスムーズに話すことができれば、他の人ともうまくできる気がしていて。お願いしても、いいですか?』


 いまと同じような真っすぐな目を向けられて、おれはとっさに拒絶の言葉が出てこなかった。「入れ替わり」という予想しえない出来事のせいで、高嶺はこともあろうにおれと入れ替わることになってしまった。

 もう二度と、おれと関わったせいで嫌な思いをする女子が現れてほしくない。そう思っていたから女子たちと距離を置いていたのに、状況からして関わらざるを得なくなった。関わる以上は高嶺に迷惑をかけるわけにはいかない。だから大河の提案に乗って彼女の声に対するトラウマを払しょくする手伝いをしたり、誰も来ない進路指導室で色々話を聞いたりしてきた。そのかいあってか、高嶺は少しずつ、クラスメイト達と話ができるようになってきている。ただ、元々敬語口調なこともあり、少々距離がある感は否めないが。


 ともあれ、「入れ替わり」は戻ったのだ。これでようやく高嶺は自分の生活ができる、と思った矢先に言われたのがこれだ。おれはなるべく女子とは関わりたくない。関わった女子がいい思いをしないことはわかっているから。しかし高嶺とは一度関わってしまった以上、いまさら断るのは違う気がした。おれなりに譲れないラインさえ守れば、彼女が何か言われることはないだろう。


「今までのように進路指導室とか、人目につかない場所でなら構わない。おれとばかり話しているのを他の人に見られたら、要らない誤解を生むだろうから」


 だから、おれはそう答えるのが精いっぱいだった。高嶺はわずかに俯いたが、小さく頷く。


「わかり、ました。竹内くんに迷惑をかけるわけにはいきませんから。無理なことがあれば教えてください」

「ああ」


 そんなわけで、俺と高嶺は入れ替わり解消後も、引き続き進路指導室で昼食をとることにしていた。元々――入れ替わり前から――大河たいがと二人で食べていたので、そこに高嶺が加わっている状態となる。人目につくわけでもないし、おれが負担に感じることはない。しかしおれたち三人での会話はだいぶスムーズに運ぶようになっている。そもそもおれは口数が多いほうではないし、大河も人並み。これからの高嶺に必要なのは、おれたちとの会話よりも同性との人間関係を築くことなんじゃないだろうか。


 そう思っていたある日、いつも通り三人で昼食をとっていると大河が何気ないそぶりで口を開いた。


虎門こもん、今週末両親が出かけていないって言ってただろう。食事とか大丈夫なのか?」

「別に土日だけだからな。米さえ炊けば、スーパーの総菜とかで何とかなるだろう」


 おれの両親は、控えめに言って仲がいい。年に数回、俺を置いて一泊二日の旅行に出かけるのが常だ。それは大河も知っているはずで、何を今さらと思いつつ答えたのだが、その間高嶺がおれのことをじっと見ていることに気づいた。何しろ彼女は瞳が大きい。結果的に目力は相当なもので、視線を向けられているとすぐにわかる。顔を向けると、案の定何かを考えているような表情の彼女と目が合う。


「その、迷惑だったら断っていただいて大丈夫なのですが。もしよければ、土曜日わたしの家でご飯を食べませんか? ご存じの通りわたしは三食自炊をしているので、竹内くんの分を作ることに負担はありません」

「いや、だがひとり暮らしの高嶺の家に押しかけるのは……」


 入れ替わり期間中、もとの身体に戻れるのは両手を合わせたあと十分間だけだった。その仕様上、やむなく毎日彼女の家に上がらせてもらっていたが今となってはその必要はない。ただ周囲の人間にあらぬ誤解を生むだけだ。


「別にいいんじゃないか。俺もたまに自炊はするが、ひとり分増えたところで大して困ることもない。だろう、高嶺」

「はい。それに、竹内くんが人前でわたしと話したくないのは理解しています。であればわたしの家に来てもらったほうが、たくさん話ができると思ったので」


 あろうことか大河も高嶺に同調しており、反論の余地が与えられない。そういえば大河は、今も七海の家に行って一緒に勉強をしているらしい。とはいえ七海の家は男所帯だと聞く。だったらまだしも、女一人暮らしの高嶺の家におれがひとりで行くのはやはりまずいだろう。黙っていると高嶺がほんの少しだけ、こちらに身を乗り出してきた。


「竹内くんのことは、信用しています。ご飯を作るのも、並木なみきくんのいうとおり負担にはなりません。だから、わたしの家に来てもらえませんか?」


 真っすぐな瞳に否といえなくて、おれは無言で頷くしかなかった。ほっとしたような高嶺と、それでいいんだといわんばかりに頷く大河の様子から、二人が結託しているのではないかと疑いが湧く。が、今から断るのも難しいので、週末の予定は決まってしまった。


・・・


 見慣れてしまった高嶺の家。ダイニングテーブルの横に鞄を置いて、さっそくキッチンに立った彼女を見やる。手作りの弁当を持参していることからも察せられるが、彼女は料理に慣れている。手早く準備を進めていく横で、ぼんやり突っ立っているのは悪い気がした。


「何か、おれに手伝えることはある?」

「い、そうしたら、お箸を出していただけますか? 手前の引出しに入っているので」

「わかった」


 一瞬断ろうとしたが、何もしないと俺が手持ち無沙汰になると気づいたのだろう。調理には手をつけず、さりとて全く無意味でもない仕事を指示される。とはいえそれもすぐに終わり、おれはダイニングテーブルのほうからぼんやりと高嶺が料理するさまを眺めていた。


 高嶺の動きに無駄やためらいは一切なく、手際がよいのがわかる。さほど待たされることなく、綺麗に盛り付けをされた肉の皿が運ばれてきた。


「豚の生姜焼きです」

「ありがとう。ご飯はおれがよそうな」

「はい、ありがとうございます」


 おれたちは進路指導室のときと同様、向かい合って座り手を合わせる。


「美味いな」

「嬉しいです」


 高嶺が控えめな笑みを見せた。彼女が本心で喜んでいるのが伝わってきて、少しくすぐったい気持ちになる。


「休みの日のメシが食えておれはありがたいが、なんで高嶺はそんなにおれに関わろうとするんだ? もう、おれと関わる必要性はないだろう」


 ご飯をかきこみながら彼女を見やると、わずかに俯いたのがわかった。


「竹内くんが、学校で女子を避けているのはわかっています。わたしとも、必要性があったから仕方なく関わらざるを得なかったんだと、理解しています」

「それは」


 いきなりおれのポリシーについて言及されて、言葉に詰まる。だが高嶺はそんなおれの様子に気を留める様子もなく、淡々と言葉を続けた。


「でも、わたしは竹内くんと、もっと話がしたいんです。一か月の入れ替わりの間で、竹内くんが優しい人なのはよくわかりました。本当はわたしとも関わりたくなかったはずなのに、わたしが声を出せないのを改善するために、色々と動いてくれましたから。本当に冷たくて、女子が嫌いだから避けている人はそんなことはしません」


 高嶺は、顔をあげて真っすぐおれを見つめる。強い意志のこもった瞳に捕えられると、身動きができない。


「わたしは、なぜ竹内くんが女子を避けようとするのかはわかりません。でも、だとしても、優しいあなたのことをもっと知りたい。もっと話したいんです。それでいつか、女子を避ける理由を教えてくれたら嬉しいです」

「別に面白い話じゃないぞ」


 なぜ高嶺がそんなことを言うのかがわからず、思わず言葉をはさむ。しかし彼女は微笑みを浮かべて小さく首を横に振った。


「理由を教えてくれるくらい、竹内くんに信頼される人になりたいということです。もちろん、竹内くんが不快になるようなことはしません。今まで通り教室で話しかけるのは控えます。でも、進路指導室で一緒にお昼を食べたり、こうして時折、休日に一緒に食事をとったりすることを許してほしいのです。どうか、これからも仲良くしてください」


 深く頭を下げた高嶺に、おれは慌てた。いくら女子と距離を置いて生きているとはいえ、男子たちの噂話は耳に入ってくる。BIG4筆頭である彼女は男子からの人気が高い。そんな彼女に仲良くなってほしいと頭を下げられるほど、おれはできた人間ではない。


「高嶺、頭を上げてくれ。おれは異性と友達付き合いができるほどいいやつじゃないぞ」

「竹内くんが、いいんです。コンプレックスの塊で、コミュ障なわたしに手を差し伸べてくれた竹内くんだから、仲良くしたいんです」


 頭を下げたままそう言う高嶺は、意外と強情だ。華やかな容姿と口数の少なさ、それに丁寧な口調からは想像しがたいが、彼女は自分の意見をはっきり持っている。そしてそれが正しいと思うなら、たやすく曲げない芯の強さもある。

 微動だにしない高嶺を見て、これはおれが折れるしかないと悟った。そもそも高嶺は、人目につくところでべたべたしないことを約束してくれているのだ。だとしたら、他の人に目を付けられて嫌な思いをするリスクも低いだろう。


「……わかった。今まで通り、これからもよろしく」

「はい」


 顔を上げた高嶺は、今まで見たことがないほどいい笑顔をしていた。この笑顔を向けられる相手がおれでいいのかと思いつつも、軽い足取りで片づけを始めた高嶺にそれ以上かける言葉を思いつかずに一緒に洗い物をした。

 何となく丸め込まれたような気がするが、そこまで不快感はない。おれの言動が彼女をここまで上機嫌にさせたということに関して深く考えるとどつぼにはまりそうなので、なるべく無心になるよう努めつつ手を動かしたのだった。

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