第2話 生まれ変わった俺
俺……いや私は、どうやら異世界に生まれ変わったらしい。
ガナ帝国とやらの第十三皇子、タイロン=ジューン・ガナとして。随分と大仰な名前だ。帝国と言っての通りこの国は皇帝が治めているらしいし、私も
私は前世小説家だった。推理小説モノだったので、生憎今世で使えそうな知識はほとんどないが。丁度二十六歳の誕生日、脳に痛みを感じてからの記憶がない。恐らくそのまま亡くなったのだろう、というのが私の見解だった。
少なくとも、普通の人間よりはいろいろな本を読んでいたつもりだ。今のこの異常な状況に徐々に順応してきているのも、ファンタジー小説で培ってきた想像力のおかげだろう。ひとまず今は私の知る限り貴族としての振舞いを心掛けている。
「皇子、ここらへんでよろしいでしょう。近衛兵、少し離れた場所にいなさい。私と皇子は少しばかり話し合うことがあります」
黒いぶちの馬に乗ったエスリンが、凛々しい声で近衛兵二人に言いつけた。クラシカルなメイドを上手く捌きながら若い馬に乗っている姿は、とても十歳には見えない。鴉の羽根のようになめらかな黒髪がまとめられて、右耳のあたりに一本の細い三つ編みが垂れていた。茶色のブーツをはいた足を馬の腹にしっかりと密着させ、上手く手綱で馬の方向を転換している。
私たちがいま居るのは后宮の森だ。これからのことを話し合うのと、混乱する私を落ち着けるために、エスリンが人がいない場所に連れてきてくれたらしい。彼女は本当に子供か?この世界がいくら私の世界と乖離していようと、彼女自身はかなり優秀なのだろう。昨日のジュエリー・メイドの選抜の時だって、生まれ変わる前のタイロンとはいえ皇子に気に入られているらしいし。ジュエリー・メイドとはかなり競争率の高い役職なのだと聞いた。
「取り敢えず先程申し上げたものと、他に何をお伝えすればよろしいでしょう?皇子には後々全て勉強していただきますが、緊急を要するものもあるかと存じますので、優先順位を付けたほうがよろしいかと」
「そうだな……まずはその皇子ってのやめないか?皇子だって色々いるだろう。タイロンでいいよ」
「恐縮ながら皇子、それはなりません」
「なぜ」
「ジュエリー・メイドは皇子、皇女につき一人宛がわれておりまして、ジュエリー・メイドはお仕えしている方のことを原則名前で呼ばないのでございます。ジュエリー・メイドが皇子、皇女と呼ぶときは仕えている主の事を指しますので混乱もございません」
「身内のことを他人に話すとき敬語を使わないのと同じようなものか」
「身内……まあ、大雑把に言ってしまうとそうです」
エスリンが「皇子」と呼んだときは、私のことを指していると。なんだか気分がいいな、特別扱いみたいで。逆に言うと、他のジュエリーメイドの主のこともちゃんとセットで覚えなければならないという事だ。指している人間が分からなくて誰ですか、なんて失礼に当たるだろう。
自身の茶色の馬とエスリンの馬が、近くの低木の木の実を食べ始めた。この后宮の森はとても美しい場所だ。ブナのような木々が、緑色の美しい葉を通して太陽の光をおくりこんでいる。春先の少し湿っぽく落ち着いた空気が漂っていた。
「次に、他の皇子のことだな。それと皇后たちのこと……あと、私の母の母国のことについてもだ。私の記憶喪失になる前の性格なんかも知りたい」
「そうですね。私もその四点については話すべきだと考えておりました」
エスリンは神妙に頷く。
少し引っかかるな。私に説明の優先順位を聞いてきた割には、エスリンは彼女自身既に頭の中で話すべき内容をリストアップしていた。もしかして私がどれくらい賢いか試していたりする?マジで?そんなこともしちゃう?
エスリンはやはりただならない子供だ。
「まず最初に皇子が記憶喪失になられる前のことを。そうですね、私も昨日からなのであまり深くは存じ上げませんが、他の人間からの話だと『元気な方』だと」
「……遠慮しなくていい、正直に言いなさい」
「あまり勉学に興味がおありでない、自由な方でしたね。遠慮をなくすのはこれが限界です」
「わがままで馬鹿だったってことか」
「今の皇子の御様子を見て、記憶喪失という嘘をついてはいないという事をほぼほぼ確信しております。前の皇子でしたら、とっくにボロを出しているはずですので」
「なんだか迷惑をかけたな……」
「私をジュエリー・メイドに選んだ理由も顔ですし」
「ほんとごめん……」
本当にタイロンよくそれでエスリンを選んだな。
深く溜息を吐く。どうやら偶然だったらしい。ということは、エスリンは顔も滅茶苦茶美人の部類に入るわけか。側近という役職の者を顔で選ぶような皇子に成り代わり、以前の彼と性格が違い過ぎて若干周囲に感づかれやすそうだ。
「エスリン、お前は私の性格が違うことについて、なにか違和感を感じないのか?気持ち悪いなどとは?」
私の質問に、エスリンはうーんと口元に手を当てながら考えた。
「あまり……言い方は悪いですが、寧ろ感謝しております。私は元々皇子のジュエリー・メイドになるつもりではなかったので」
「そうなのか?じゃあ何故選抜に」
怪訝そうな顔をして私は言った。
「数合わせでございますよ。ジュエリー・メイドの選抜は、十歳の子供の中から陛下がお選びになった子供の中で行われますので」
「エスリンも貴族なのか?」
「申し訳ございません、ジュエリー・メイドの出自は陛下以外には一切明かされませんのでお伝え出来ません。エスリンも偽名です」
「でも貴族の中から選ばれるんだろう?大体顔を知られているんじゃないか。パーティーかなんかで」
「鋭いですね。ジュエリー・メイドの選抜に残る子供は大抵貴族出身、それ故様々な関係により選ばれる子供は暗黙の了解の内に決まってきます」
どこか感心したようにエスリンは言った。
「というのも、陛下がジュエリー・メイドの候補を事前に選抜される方法が、立候補者からの手紙なのでございます。人種や出自、なにもかもが不問であっても、文字の美しさや文体から品の良さや優秀さを表現できるのは、良い家の出の者が大半でございます。時たま優秀な平民出身が紛れ込むこともありますが、先手を打っている貴族の娘と、後ろ盾の欲しい皇子、皇女が結託しており選ばれないのがオチです」
「ということは、エスリンも……いや、私が顔で選んだんだったな」
そこで、ん?と私は気が付いた。口を閉ざした私の顔を覗き込むと、エスリンはにやっと笑う。一方私の脳は猛スピードで働いていた。
馬鹿皇子、後ろ盾、結託……選ばれるつもりのなかったエスリン。
「……お気付きになられましたか?」
エスリンが静かに聞いた。私の額には汗が伝っている。
「まさか、私は
エスリンを睨むように凝視すると、彼女は苦笑しながら頷いた。
「はい。あの選抜式には、最終選抜に残った五人の中に、第一夫人の家元の公爵家の方からのお嬢様が一人いらっしゃいました。皇子はその方を選ぶだろうという噂は、その話題に触れる者たちの間ではまことしやかに囁かれておりました。恐らく皇子自身も、お母さまから何か指示を受けていたのだと考えられます。今となってはお母さまに直接聞くよりほかに知りようがございませんが。今後お母様と公爵家からなにかしらチクチク言われることはご覚悟下さいね」
「まじか……本当に迷惑かけるな、エスリンには」
「昨晩、
エスリンは肩を竦めた。
まずいんじゃないだろうか、その状況は。私の心は、現在猛吹雪に晒されている真っ最中である。第一夫人の申し出を断って、後ろ盾を失ったばかりか約束を反故にしたんだろう。恨まれていてもおかしくない。なんなら母親の后宮での地位が危ぶまれるかも。第一というのだから、かなり最初に皇帝の妃になった人のはず。
前のタイロンは、そんな中であの豪華な部屋のベッドで寝ていたのか……。
十歳とはいえ、随分図太い神経をしていたようだ。いや、十歳だから何も考えていなかったのかもしれない。
「第一夫人の怒りを買った以前の皇子なら、ジュエリー・メイドとして勤めあげることに絶望していたでしょうね。しかし今は違います。今の皇子は、私の命を懸けるに値すると判断いたしました」
またしても私はぎょっとした。齢十にして主人の能力を推し量る胆力、命を捨てることのできる忠誠心、切り替えが早い覚悟。
思ったより私は良い拾い物をしたかもしれない。この世界はあまりよく知らないが、捉えようによっては公爵家の娘より役に立つ。
「しかし、話をうやむやにされたような気がするな。エスリンは結局貴族なんだろう?あの場にいたっていうことは。誰にも言わないから打ち明けてみなさい」
「さあ?どうでしょう」
「他の人間に聞いて教えてもらってもいいんだぞ」
「少なくともこの后宮に、私について知っている人間などおりませんよ」
妙に確信したような口調でエスリンは言った。
と、いうことは、平民出身なのだろうか。先程の口ぶりなら、優秀ならば平民でも最後の五人までは残るのだろう。この世界のことを知るたびに、エスリンのことについては謎が深まるばかりだ。
「次に皇后、夫人の件ですが———皇子、人が来ました」
エスリンが気を取られたようにそう言った。その数瞬後、徐々に近づいてくる馬の蹄の音がやっと私の耳にも入ってくる。遠くにいる近衛兵を見ると、近づいてくる人間を視界には捉えているものの止めないらしい。この后宮の人間なのだろうか。先んじて駆けてくる馬に乗った少年が、二人の近衛兵を引き連れていた。
私と同じ皇子の類か。
身構える私に、エスリンは素早く近寄ってきた。
「第八皇子、ダリア様でございます。皇子の三歳年上、第二夫人の血筋の方です」
「私と面識は?」
「そこまでは存じ上げません。しかしタイロン様は今まであまり社交界には出ていなかったようですし、ダリア様と親しいというわけでもないでしょう」
第二夫人という事は、私が失礼をした第一夫人ではないわけだ。そこはひとまず安心ポイントだろう。しかし生まれ変わって早々に他の皇子と会うのか……もう少し事前知識を頭に入れてからの方が良かったな。
そんな私が心の中でついた愚痴に気付きもせず、第八皇子ダリアはにこにこと微笑みながら私に近づいてきた。綺麗に整えられたまっすぐの茶色の髪と、透き通った水色の目をしている。確かエスリンの話では、皇帝の血を引き継ぐものとして誇り高い目の色なんだそうだ。私も持っている。
三歳上という事は十三歳か。それにしては背が高く、ひょろりとした印象を受ける。私達は仔馬に載っているが、ダリアはほぼ成長しきった馬だ。顔が童顔なだけに少し違和感を感じる。
「やあタイロン、久しぶりだね。聞いたよ、フィーガーナ様のところのお嬢さんを選ばなかったんだって?」
面白いものを見る様にエスリンと私を交互に見ながら、ダリアは言った。エスリンは馬に乗ったまま、浅いお辞儀をした。ジュエリー・メイドは后宮に数少ない筆頭上級使用人、皇子の側近のような立ち位置だ。そこまで皇族にへりくだる必要がないらしい。すべてエスリンからの情報だが。
「ええ、すっかり忘れていて」
さらりとした私の言葉に、ダリアは声をあげて笑いはじめた。
フィーガーナが誰かは知らんが、多分第一夫人の事だろう。人の名前を覚えるのは苦手なんだ、これから一苦労しそうだな。
「第一夫人からの申し出を断ったのに堂々としているな。まあいい、近衛、お前たちも下がっていろ」
ダリアが私の近衛兵たちがいる場所の方を顎でしゃくると、彼の後ろに付いてきていた近衛兵たちは下がっていった。
「それで、そちらのジュエリー・メイド。名前はなんて言うんだ?」
ダリアがエスリンに目を向けた。
「エスリンにございます」
エスリンが目を伏せてそう言う。長い睫が彼女の瞳を遮っていた。ダリアが興味津々と言った表情で、顔を覗き込むようにエスリンに近づいた。
助けたほうがいいのかな。いや、助けようとしてボロが出るのは避けたい。エスリンに任せるか、優秀だし。
「不思議だな。お前のような娘は今まで見た事がない。どこかの令嬢か?」
「さあ、どうでしょう」
「目立った家柄ではないなら、父上が最終選抜まで残したという事は相当優秀なはずだ。マルセルの時もビアンカの時もお前の姿は見なかったぞ」
「ジュエリー・メイドの最終選抜は陛下と主人以外見ることが出来ないはずですが」
「あそこには登りやすい良い木があるんだ」
まあいい、と言ってダリアはエスリンから顔をそむけた。彼女がいつまでたっても口を割らないことを察したらしい。
「彼女は優秀みたいだな。私のジュエリー・メイドはまだたいして使い物にならない。侯爵家の次女だったからな、教養はあるが召使いとしての能力がない。エスリンと言ったか?お前はいい側近になるだろう」
ダリアは微笑んだ。今度は私に向き直る。
「タイロン、お前は良い選択をしたよ。フィーガーナ様のところの娘を貰っていたら、お前や母親は彼女に食い潰されていただろうからな」
微笑んでいるはずなのに、ダリアの顔からは感情が読み取れない。水色の瞳にはどこか底知れない光が宿っている。寒気がした。
この世界の子供とは皆ダリアやエスリンのように得体が知れないのか?教養の違いだろうか。これからこんな探り合いがずっと続くと思うと眩暈がする。私が十歳のときなんて改造した割りばしの銃で友達と遊んでたぞ。
「誰かに属さないのならあまり敵を作らないことだな。お兄様からの助言だ。今年はお前も学校に入るんだろう?なにかあったら私を頼ってもいい、どうやら今のお前とは仲良くやれそうだ」
口数の少ない私を一瞥して、ダリアは馬を翻した。そのまま向こうの方へ駆けてゆく。離れた場所にいた彼の近衛兵は急いで後を追いかけ始めた。エスリンと私は、彼の後ろ姿をしばらく見ていた。
「……こんな場所に、偶然散歩に来ていたなんてことはないよな」
私はポツリと呟いた。エスリンは何も言わない。肯定も否定もしなかった。
ダリアはジュエリー・メイドの選抜から昨日の今日で情報をすばやく集め、朝一番に私の顔色を確かめに来たんだろう。何故か。私の昨日の動向をチェックしていたからだ。第一夫人の家の娘を側近とする噂の出ていた第十三皇子の動向を。
第一夫人と第二夫人、彼の口ぶりでは対立していると考えて間違いないだろう。ダリアのあの発言の後ろには第二夫人がいるのか、それとも彼自身なのかはわからないが、圧を掛けられていたのは確かだ。
「完全に目を付けられましたね」
エスリンの言葉に、私はガックリとうなだれた。
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