第25話 猛禽類の笑み


「教皇様、私です」

「ああ、どうぞ」


 夜、教皇様の部屋に呼ばれて向かった。


 浄化作業にも慣れてきたので、明日からシニフォスではなく、より危険なキンディナスまで足を延ばすそうだ。


 注意事項とか、いろいろとあるのだろう。



 部屋に入ると、書類の山の中に彼を見つける。


「来てもらって悪いのですが、少しだけ待っていてくださいますか?」

「え、あ。はい」


 仕事の時間はとうに終わっているというのに、まだ仕事をしているようだ。

 教皇様は普段はかけていない眼鏡めがねをして、凄まじい速さで書類をかき上げていた。


(……ワーカーホリックなのかな)


 そのまま眺めている訳にもいかず、私は近くにあったソファに座って待つことにした。


 何をするでもなくぼんやりとしていると、彼の香りが鼻をくすぐった。


 森の中にいるような、深い木々の香り。

 落ち着く香りだ。


(……よく考えたら、誰かの部屋に入ったのは初めてかも)


 そうだ。

 日本にいる時も、誰かの家に行ったことなどなかった。

 そもそもいける家なんて、自分の家しかなかったわけだし。


 つまり、初めての他人の部屋だ。


 意識すると、なんだか急にそわそわしてきてしまう。



「おまたせしました……ってどうしました?」

「うへあ!? べ、別に!?」


 まだ数分しかしていないのに、教皇様がやって来た。

 慌ててごまかしたので、声が裏返ってしまう。


「そ、それよりも! もう終わったんですか?」

「え? ああ、はい。そう大した量ではありませんでしたし」

「そうなんだ!! ええと、それで? 何か用事があったんですよね!? はい、どうぞ。お聞きします!」

「あ、え、ええ」


 ほとんど食い気味でかぶせてしまったけれど、何とかその流れに持って行けた。

 早いところ聞いて、退散たいさんしてしまおう。


「ええと、明日からのことなんですが……」


 教皇様はとまどった顔のまま話し始めた。



 キンディナスで活動するにあたり、護衛として神殿の騎士が十数名、同行するらしい。

 それとは別に、見習いの神官も同行する。


 厳重げんじゅうな警備体制だ。


「そんなに人手をさいて、大丈夫なんですか?」


 確か、神殿勢は常に人手不足だったはずだ。

 私の護衛に、そんなに人をつけては支障ししょうが出るのではないだろうか。


「問題ありません。見習いは研修けんしゅうをかねますし、騎士も訓練ばかりでは窮屈きゅうくつでしょう。こちらの情勢については、そこまで深刻に考えなくて大丈夫ですよ。……ただ」

「?」


 教皇様は少しだけ苛立いらだたし気に眉をしかめた。


「王家からの支援という名目で、第二王子も同行することが決まりました」

「え」


 第二王子って……。


 思い出されるのは、気絶する前の……。




 ――ぼふん!



 瞬間しゅんかん的に顔に熱が集まった。


 1週間前の、あの出来事を思い出してしまったのだ。


 あの――



(手の甲へのキス!!)



 思い出し赤面してしまう。


 今も蘇る、あの柔らかさ。

 そして、あの眼差まなざし。


(いや別に、あれが親愛の証とかいう訳じゃないっていうのは分かってるんだよ!? ただのあいさつ!! 日本とは違う文化だもんね!?)


 欧米おうべいの方では、当たり前に行われていることだったはず。

 だから特別意識しなくてもいいはずだ。


 それに、この世界に来たばかりのころ。

 教皇様にもされた。


 だから、挨拶的なあれなのだろう。


 なの、だけど……。


(うああああ!! 思い出すな!! 余計に心臓がうるさくなる!!)


 墓穴を掘ってしまった。

 

 教皇様にもされたことを思いだしてしまったのだ。

 目の前に本人がいるのに!


 教皇様にされたときも気絶したし、立ち直るのに1週間は掛かった。


(ようやく立ち直ったと思ったら、今度は第二王子にされるとは思わないじゃない!)


 もはやどちらのできごとも思い出してしまい、もだえに悶えてしまう。

 赤面で頭を抱えてのたうち回った(脳内で)。



「……やはり、あなたは」

「え?」


 ふいに低い声がした。

 顔を上げると、黒い笑みを浮かべた教皇様と目が合う。


 いつもの柔らかい笑みではない。

 何というか、猛禽類もうきんるいを思い起こさせる、そんな笑みだ。




(あ、終わったわ)


 そう思った。


 あの顔はダメだ。

 よくないことを考えている顔だ。


 私は早々にソファから立ち上がった。

 身の危険を感じたのだ。


「あ、えっと。そろそろお暇しますね!」


 逃げるようにドアに手をかける。



 ――トン


 

 ドアは、開かなかった。

 顔の横に置かれた大きな手が、ドアを押さえつけていたから。


 そして、体の後ろには覆いかぶさるように、教皇様の体が……。


 いわゆる――壁ドンだ。


 しかも、後ろ向きのまま……。



「そんな焦らず」

「ヒッ」

「私ともお話ししましょう? ね? いいでしょう?」


 耳元で低い声が聞こえる。

 ぞわぞわと耳を擽るその声は、どこか危険な甘さを含んでいるような気がした。


(おっぎゃああああああああ!!!!)


 私の脳内は恐怖きょうふ羞恥しゅうちでいっぱいだ。

 驚き過ぎて、声が出ない。



「それとも……」

「っ!」


 ツツっと、頬から首筋を伝う指の感覚。


 ビクリと震え、首をかばって振り返る。



 見上げた彼の目は……獲物を追いつめる時の愉悦ゆえつを宿していた。

 けれど、どこか不機嫌ふきげんそうでもあった。


「聖女様は、第二王子がお好きなのですか?」

「は、はあぁ!?」


 思いもしない言葉に目をむく。


 なんだって?

 誰が?

 何を?


 そんな言葉ばかりが頭をめぐる。


「え、っちょ、なんでそうなるんです!? ていうか、なんの話……っ」

「……まあ、私はそれでも構いませんよ」

「え」


 ふいに目が細められ、あごをすくわれた。


 上を向かされ、強制的に目が合う。


、ね」

「っ!」


 顔が近づき、彼の香りでいっぱいになる。

 目に映る教皇様は、確かな色香いろかを匂わせていた。


 深い香りと色香に、頭がぼんやりとしてしまう。

 けれど、この状況がよくないのは理解できた。


(まってまってまって!? こ、これって……!?)


 思わず目をつぶり、体を固くした……。


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