2-34.ちっちゃい馬に似た生き物

 もちろん、ライース兄様の溺愛が嫌というわけではない。


 行動制限は正直なところ辛いが、それを軽く上回って上回って、はるか高みにたどり着きそうなくらいの至福の時間が与えられる。


 これはもしかしたら、転生特典なのかもしれない。


 若かりし頃の甘々ライース・アドルミデーラは永久保存版だ。

 腐女子の神様に対して、この僥倖に感謝の祈りを捧げたい。


 だが、ず――っと甘々ライース兄様が側にいると……あたしの身が、いや、心が保たない。

 ちょっとでも油断したら、鼻血をだして、そのまま気絶してしまいそうだ。


 実際、何回か目眩を覚えてくらっときたときがあるのだが、ライース兄様に目撃されて、大騒ぎされた。

 ただちょっとふらついただけなのに……誤魔化すのが大変だった。


 穏やかな転生ライフを満喫するための三箇条に


 出血厳禁。

 気絶回避。


 という、新たな注意事項が書き加えられた。

 三箇条ですらなくなってしまった……。


 ライース兄様!

 やりすぎなんです!

 そのダダ漏れな微笑み!

 甘々な囁き声!

 寿命が縮みます!

 もうちょっと自重してください!

 危険すぎます!


 どうして、ヒロインでもないモブにすらなれなかったモブが、なんで、こんなめにあわなきゃならないの――っ!


 とまあ……ライース兄様の溺愛っぷりが少しばかり気になるが、本編が始まって、ヒロインに会えば元通りになるだろう。


 あのヒロインをなめてかかってはいけない。

 ヒロイン補正は最強だ。

 大丈夫だ。

 あたしは、本編が始まるまでの束の間の幸福をじっくり堪能しつつ、死亡イベ回避にいそしめばよいのだ。


 ライース兄様は約束通り、今日から乗馬を教えてくれるという。


 今日はデイラル先生が診察に来る日なのだが……それは偶然ではないだろう。


 乗馬のレッスン中になにか起こったとしても……デイラル先生が屋敷にいらっしゃったら、大丈夫と思っているようだ。

 ライース兄様としては、万全の体勢で挑みたいようだが、失礼な話である。


 あたしは木から落ちたし、池にも落ちたが、馬から落ちると決まったわけでもないのに……。


 ****


 あたしはライース兄様に用意してもらった、乗馬用のキュロットと臙脂色のジャケットに着替え、馬小屋の中にいた。

 白いシャツにフリルつきのアスコットタイが可愛くて、オシャレにあまり興味がなかったあたしも、少しばかりテンションが高まる。


 ライース兄様から、このお屋敷はアドルミデーラ家の別荘だから、領主の館に比べて馬小屋も馬場も小さいと聞いていたが、そんなことはない。


 お祖母様がここで生活しているので、屋敷を護衛する者たちや使用人の馬も含めて二十頭近くの馬が飼われていた。


 馬小屋は全て馬で埋まっているわけではなく、訪問者が滞在中に預けておくための空きもちゃんと確保されている。


 ということは、領主の館には何頭の馬がいるというのだろうか。

 どれだけ広いのか……見当もつかない。

 おそらく、前世であたしが住んでいた部屋よりも広いということは間違いないだろう。


「ライース兄様……な、なんですか? これは?」

「レーシアの練習用の馬だ。名をミリガンという」

「馬……じゃないです!」


 あたしは目の前の小さい、小さい馬を指さしながら、プリプリと怒りを爆発させる。


 小さい。


 とても小さい馬だ。


 いや、これは馬なのだろうか? 馬だけど、ちっちゃい。


「ちっちゃい馬に似た生き物です!」

「いや、これも馬だ。領内で一番、小柄で優秀な馬を厳選した」


 なんですと!


 ふれあい牧場で妹が乗ったポニーよりもあきらかに小さいですよ。


 メリーゴーランドの馬の方が大きいくらいだ。

 ちょっと大きめな木馬くらいの大きさだ。

 いや、メリーゴーランドの馬や木馬の方が、しゅっと細身でかっこいい。


 目の前のミリガンは、なんだかずんぐりむっくりして、動きもにぶそうだ。


「こっちのが馬です!」


 あたしは、隣の馬房にいる美しい黒鹿毛の馬をびしっと力を込めて指差す。


 これぞ、馬の中の馬。

 競馬で見るようなカッコいい馬だ。

 こんな馬にのれたらカッコイイだろうし、気持ちがよいだろう。


「いや。これも馬だが、いきなりローマンに乗るなど……レーシアには無理だ」

「ライース兄様! きめつけるなんて……ひどいですっ!」


 あたしの両目にじんわりと涙が滲む。



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