第三章 挫折編 敗北から雪辱準備へ
第22話 どうした氏真!?
永禄6年(1563年)5月。
俺は駿府城の大広間に呼び出されていた。
蹴鞠王子改め、現在の駿河今川家当主、今川氏真の本拠地。
2年ちょっと前に「もうここに来ることは許さん!」とか言われてた覚えがあるのだが、覚えてないのだろうか?
俺の他にも何人かが広間に呼び出されて正座して並んでいる。皆一様に顔つきが暗い。まるでお通夜だ。まあ、褒める方で呼ばれてるのではなさそうだな。
氏真がまだ来ないので広間の左右に居並ぶ連中を見ると随分と数が少なくなっている。そして見覚えのある者がノブこと朝比奈信置くらいしか居ない。それも前回は王子の脇にナンバーツーとして控えていたのだが今回はだいぶ下座の方に座らされている。
俺が甲斐に相模にと動き回っている間、こちらも情勢は目まぐるしく移り変わっていた。
桶狭間の直後に裏切った松平元康(後の徳川家康)が織田と組んで三河をほぼ制圧したことで、次は遠江もどうにかなるのではないか?と大混乱。
皆が疑心暗鬼に駆られている中、小原
そんなワケで徳川を筆頭にした今川反乱勢との戦において、最前線である遠江はもう完全に混乱状態の真っただ中にあるらしい。
「皆の者、頭を垂れよ!! 御屋形様のおなりであるぞ! 」
男にしては甲高い声が聞こえ、羽織袴にお白いお歯黒烏帽子という平安貴族ルックな小男が大広間に入ってくる。多羅尾の情報通りならコイツが小原だな。
その後に続いて蹴鞠王子と思われる男が続くと一同全員、頭を下げた。ドスンと乱暴に高座に座る音と共に不機嫌そうな声がする。
「貴様らのツラなど見とうないゆえ、頭を下げたままで聞け! 」
まあお前が今どんな感じなのかは見なくても分かる。どうせ片膝立てた胡坐なんて掻いてこっち睨みつけてんだろ。先程の甲高い声が何か書状のようなものを読み上げる。
「
「……面目次第もございませぬ」
「
「……そのような事、虚言でございます!! 」
「
「……殿、それはワシの早とちり……」
「黙れ!面を上げる事は許さん!! 」
「ははーっ!! 」
三番目の奴は裏切りとか戦での失敗と並べられるほどの事か?とは思ったが蹴鞠が関わる事なので王子は激おこなのだろう。とんだ災難だったな爺さん。
「そして浜寿四郎!! 貴様は甲斐武田・相模北条と結託し、この駿河を東から攻めんと画策していると聞いている!! 」
「そんなつもりは全く!! 誰がそのような事を!?」
俺が必死で反論しようと顔を上げると、脇に居並んでいた一人がニタニタと気色悪い笑みを浮かべている。蒲原城の城主、
「ほざけ!! 貴様が甲斐と小田原の交易をとりなして莫大な利益を得、それを軍備に使っておる事は把握済みじゃ! この海賊崩れがっ!! 」
小原とかいう小役人は語気を荒げて怒鳴り散らしているが、その奥に座っている蹴鞠王子は虚ろな目でこちらを見ている。何というか、見ているけど見ていない、心ここに在らずといった感じだ。
自分で考える事を停止し、心を殺してそこにいるだけのような。
「貴様らの犯した罪、今すぐここで切腹に値する行為じゃ! だが御屋形様は寛大なお方! 戦働きによって免ずると仰せじゃ! 貴様らにはこれから曳馬城の奪還に向かってもらう!! しかも各隊に殿の兵を千ずつ貸し与えるそうじゃ! 感謝せい」
別にこの小役人には一ミリも感謝する義理も義務も無いのだが、他の者たちが頭を下げて平伏したので俺も合わせて頭を下げる。
「朝比奈信置! 貴様が総大将としてこの者達が今川の為、忠義を尽くすかどうか見張るが良い!! 」
チラッと顔を上げてみると指示されたノブも無表情で頭を下げる。だが頭を下げきる前の一瞬、複雑な表情で唇を噛んでいたのを俺は見逃さなかった。
「どうした、ホレ?返事がないぞ信置」
そんな態度に気付いてかはわからないが、小役人は追い打ちをかける。
「はっ!! この今川家臣・朝比奈信置、必ずや総大将としてこの者達を率い、見事曳馬城を殿の元に取り戻してごらんにいれまする!! 」
「よしよし、よくぞ申した!! 出立はこれより5日後じゃ。各々自分の領地に戻り出陣の支度をしてまいれ!! 今日はこれで終わりじゃ! 下がれ下がれ!! 」
まるで自分がこの場に居る全員を付き従えているかのような態度で小役人がそう申しつける。氏真は一言も喋らない。
やっぱ変だな。俺が知ってるアイツなら「ソコはワシの言うセリフだろうが! 勝手に喋るな!! 」とか言って小役人に後ろからミドルキックでもしそうなもんだが。
「やはり先程の評定……探りを入れた通り、小原にほとんどの決定権を奪われているようですな」
帰り道、トボトボと歩きながら横に並んだ多羅尾が言う。
あの大広間にこそいなかったが従者として廊下に控えて、評定の一部始終は聞いてたらしい。
多羅尾が真冬や千秋を使って手に入れた情報によると、父親・今川義元に目を掛けられていて将来的には自分の片腕になってくれると信じていた松平元康に裏切られたあたりから蹴鞠は相当精神的に参っていて「どうせ全員自分を見限っていなくなるんだ」的なコトまで家臣に言いまくっていたらしい。
まあ確かに2年前の正月はそんな感じはあったな。
そこに目を付けたのが小役人の小原鎮実。『人質さえ取ってしまえば誰も裏切れない』と進言したそうだ。
あとは『誰某の人質が逃げるのを画策している』とか『誰某は人質を取り返すために謀叛を起こす気だ』とかあることない事蹴鞠に吹き込んで、自分より立場が上の者や自分のやり方に反対意見を言うものを徹底的に追い落とした。
『自分以外に信じて良い家臣など居ないのだ』と事あるごとに言い聞かせて、時間をかけて信じ込ませながら。
現代でも新興宗教なんかで聞いたことのある洗脳方法だ。
だが最もこういった手法は特別な事ではないらしい。
他の守護大名の家では当主を毒殺し、まだ2歳や3歳の世継ぎを次の大名に仕立て上げ、重臣が同じような方法で実権を握る所もあるとか。
「も、もちろん拙者はそのような事、考えておりませぬぞ!! 拙者はとにかく殿と娘たちが安堵して暮らせればと……」
「ああ、わかってるよ! と言ってやりたいが……流石にここまでの暗躍ぶりを見てるとお前も安心できない気がするな」
「あ、あうう……お戯れを……拙者はそんなつもりじゃ……」
「冗談だ!! 分かってるよ、お
そんな話をしながら城に戻り、出陣の準備に取り掛かった。
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