中編
二人きりになれる場所というご指名だったので、選んだのは校舎の屋上だった。
ちなみに、どこの学校でもそうだと思うけれど、普段ここは施錠されている。言わずもがな、事件や事故を防ぐためだ。
では、なぜその施錠されているはずの屋上にどうやって入ったのかというと──
「……お前それ、どこで手に入れたんだ?」
「ん? それって?」
「屋上の鍵だよ」
「ああ、これ?」
と、手に持った屋上の鍵を晴明に見せたあと、僕は屋上へと続くドアの施錠を開ける。
「前に体育の先生と音楽の先生が保健室で抱き合っているところを偶然見ちゃった事があって、それで黙ってあげる見返りに屋上の合鍵を貰ったんだよ」
「それって、脅したって事か……?」
「まさか。元から誰かに話すつもりなんてなかったのに、先生達が強引に屋上の鍵を渡してきたんだよ。それでみんなには黙っておいてくれって」
「ていうか、なんで屋上の鍵なんだ?」
「さあ? まあ、ひとりになりたい時なんかはすごく役立つから、ありがたく使わせてもらってるけど」
もちろんみんなには内緒でね、と言いつつ、僕はドアを開けて屋上に出る。
もう十二月なので、きっと屋上は寒いんだろうなと思っていたけど、今日は朝から快晴だったせいか、陽射しがポカポカとしていて温かい。下がコンクリートだから、太陽光が蓄熱されているおかげもあるのかもしれない。
なんにせよ、これなら寒さに気を取られる事もなく話に集中できる。僕と晴明以外は誰もいないし、内緒話をするには打ってつけの場所だ。
「で、話ってなに?」
屋上の真ん中まで来たところで、さっそく僕は証明にいる晴明に訊ねる。
すると晴明は、少し躊躇うように視線を右や左に泳がせたあと、しばらくして「実は……」と重々しく口を開いた。
「お前に……蒼に謝りたい事があって……」
「僕に? なんで?」
「それは………………」
そう言ったきり、なかなか続きを口にしない晴明。
少し焦れったく思いつつも、それでも辛抱強く待っていると、ようやく決心が付いたのか、晴明はおもむろに言葉を発した。
それも、耳を疑うような言葉を。
「……実は俺、中一の時に莉緒と寝た事があるんだ」
「えっ──?」
一瞬、言われた意味がわからなかった。
むしろ、頭の中が雪原のように真っ白になってしまった。
晴明と莉緒が、寝た?
それって、それって──
「それって、莉緒とセックスしたって事?」
「ああ……」
と気まずそうに目線を逸らす晴明に、僕は二の句が継げなくなった。
そんな……ありえない。
だって、僕と晴明は親友で。
中学時代に何度か莉緒の件で相談に乗ってもらった事もあって。
小学生の頃からずっと莉緒の事が好きだったというのは晴明も当然知っているはずで。
それなのに、莉緒とセックスした……だって?
莉緒に振られたあとならまだしも、それよりも前に寝た事があるなんて、そんな──
「そんな、ウソ……だよね?」
「……ウソじゃねぇよ」
依然として目線を逸らしながら、晴明は沈痛な面持ちで言葉を返す。
「なんで……僕が莉緒の事を好きだってのは知ってたよね?」
「……ああ。お前の口から直接聞いたからな」
「じゃあ晴明も、実は莉緒の事が好きだったとか?」
「いや、そういう恋愛感情はなかった。莉緒から告白された時もちゃんと断った」
「告白って、莉緒から……?」
こくりと無言で頷く晴明に、僕はますます戸惑ってしまった。
晴明と寝たってだけでも驚天動地の心境なのに、その上、莉緒に好きな人がいて、その相手がまさかの親友だったなんて……。
「……全然知らなかった。というより、信じられないよ……」
「俺も告白されるまでは微塵も思わなかったよ。まさか友達の幼馴染から告白されるなんてな。その時はまだ莉緒と話した事なんてあんまりなかったし」
そうだ──あの頃の莉緒と晴明はさほど親交があるわけではなく、お互いに僕という共通の知り合いがいるという程度の認識だった。
だから顔を合わせても挨拶を交わすくらいのものだと思っていたのに、一体いつから莉緒は晴明の事を意識するようになったのだろう……。
いやまあ、いくら幼馴染と言っても何でも話せる仲というわけではなかったし、莉緒が晴明への想いを秘密にしていたとしても不思議ではないけれども。
「でも、だったらなんで莉緒と寝たりしたの? ちゃんと告白は断ったんでしょ?」
「断ったよ。けど、諦めるかわりにせめて思い出が欲しいって泣きながら言われて、それで……」
「それで断りきれずに……事?」
「ああ……」
弱々しく相槌を打つ晴明に、僕は思わず空を仰いだ。
マジか……。僕の知らないところで二人がそんな関係になっていたなんて……。
ていうか、莉緒も莉緒だよ。なんで振られた相手と寝ちゃうのさ。それも思い出が欲しいからって意味がわからないよ。
それとも、女の子はそういう風に考えるものなの?
「まあ、だいたい事情はわかったよ……」
と嘆息混じりに言いつつ、僕は晴明と向き合う。
「すごくビックリしたし、正直ちょっとまだ頭が混乱してるけど、隠れて莉緒と付き合ってたわけでもないし、そもそも莉緒の彼氏でもない僕がどうこう言える立場でもないから、晴明を責めるつもりは全然ないけどさ──」
しかし、それはそれとして気になる事はある。
どうしても晴明に確認しておきたい事が。
「ねぇ晴明……なんで今になってその話をしようと思ったの?」
果たして僕の問いかけに、晴明は瞠目したまま石像のように硬直した。
まるで核心を突かれたとばかりに。
──ずっと不思議に思っていた。
驚きはしたし、ぶっちゃけ晴明に対して憤りも感じているけれども、さっきも言った通り、僕が糾弾する資格も道理もない。それは晴明自身もわかっているはずだ。
でもきっと、根は真面目な晴明の事だから、ずっと隠し続けるのが辛くなったとかそういう理由なのかもしれないけれど、それでもやはりおかしい。
──なぜ晴明は、莉緒の妊娠が発覚したこのタイミングで僕に秘密を打ち明けた?
「……ねぇ、晴明。まさかとは思うけどさ──」
依然として黙したままでいる晴明に、僕は問いを投げる。
核心に触れる。
「莉緒が妊娠したのって、もしかして晴明のせい?」
風が吹いた。先ほどまでの心地良い陽気が嘘のような、芯から冷えるような風だった。
それから、どれくらい時間が経っただろう。晴明が口を開くのを待つ間、僕はずっといたたまれない気分だった。
だって、こんな悲壮な表情を見せられたら。
罪悪感に満ちた晴明の顔を目の当たりにしたら。
もう、言外に答えを口にしているようなものだったから──。
「……最初は、純粋に莉緒の相談に乗っていただけだったんだ」
と。
不意に晴明が声を発した──ともすれば聞き逃しそうなほどボソボソした口調で。
「少し前からになるけど、莉緒から相談したい事があるって言われて、それで何度かファーストフード店で会っている内に、莉緒の家にも行くようになってさ」
「うん」
「それで、いつも通り相談に乗っていたつもりだったんだけど、いつの間か中学時代に莉緒と寝た時の話になって、それから、なんでか次第に妙な雰囲気になって……それで……」
「それで、莉緒と寝ちゃった……って事?」
僕の問いに、無言で首肯する晴明。
「どうして避妊しなかったの……」
「避妊具、持ってなくて……」
「無いのなら買いに行けばよかっただけの話でしょ。なんでそんな軽率な真似をしたのさ……」
「つい、その場の雰囲気に呑まれたっていうか……」
「ついって……」
いや、晴明だけのせいじゃないし、セックスするにしてもちゃんと避妊するように言わなかった莉緒にも非はあるけど、どっちにせよ軽率すぎる。
「ていうか蒼、もう知ってんだな……」
「うん。聞いたのは母さんからだったけれど……」
「じゃあ、莉緒が学校に来ていない理由も聞いていたりするか?」
「いや、そこまでは。母さんからはずっと部屋に引きこもってるみたいとしか……」
まあ望んで妊娠したわけでもなさそうだし、ショックで引きこもったとしてもおかしくはないけれども。
そう言うと、晴明はゆっくり首を振って、
「いや、それだけじゃない。たぶん、蒼に会いたくないからだと思う」
「え?」
僕に会いたくない?
顔見知りに会いたくないって言うのならまだわかるけれども、なんで僕限定?
「僕に会いたくないから学校を休んでるって事? 妊娠した事を誰にも知られたくないからじゃなくて?」
「それもあると思うけど、一番はお前に会いたくないからだと思う」
「なんで?」
「そこまでは言えない。というより、俺の口から言っていい事じゃないと思う……」
「なんなのさ、それ……」
さっきから煮えきらない言葉ばかりで、こっちのフラストレーションが溜まる一方だ。
「で、晴明はこれからどうするつもりなの?」
「もちろん、ちゃんと責任を取るつもりだ。高校を中退して働くか、それとも高校だけでも卒業させてもらえるのかどうかは、俺の親と莉緒の家族と相談してからになると思う。ただ……」
「ただ?」
「ただ、莉緒が俺と会ってくれないんだ。一度だけ、電話で妊娠した事を告げただけで……」
「それは仕方ないでしょ。莉緒だって突然の事で混乱しているだろうし、今は誰とも会いたくない気分なんだよ、きっと」
あくまでも僕の想像でしかないけれど。
「……いや、会ってくれないだけじゃない。電話にも出ないし、メッセージを送っても既読すら付かない。完全に俺の事を避けている感じなんだ」
「それは……思っているより深刻な状態かも」
「だよな……莉緒と今後の話ができないという問題もあるけど、それ以上に莉緒が心配なんだ。思い詰めるあまり、早まった事をしないだろうか、とか……」
「早まった事って、自傷とかそういう……?」
「ああ……」
重々に頷く晴明に、僕は生唾を嚥下した。
そんなバカなと一笑に付したいところではあったけれど、これまでの話を聞くに、絶対にありえないとは言い切れない。
「じゃあどうするのさ、莉緒の事……」
「だから、お前にこの話をしたんだよ。お前ならきっと莉緒も会ってくれるだろうから」
は? と思わず返事も忘れて放心してしまった。
僕なら莉緒も会ってくれる?
今さっき、莉緒が学校を休んでいるのは僕と会いたくないからって言ったくせに?
「ちょっと待って。本当にわけがわからない……」
「すまん。俺も全部説明したいところだが、さすがにこれは莉緒の口から言うべき事だから……」
「……わかった。いや何もわからないままだけど、とりあえず話を統括してみようか」
ふぅー、と頭を整理するために深呼吸したあと、僕は語を継いだ。
「莉緒が妊娠した相手は晴明だった。そして現在進行形で連絡を絶っている莉緒と接触するために、僕にこの話を打ち明けた。理由はわからないけれど、僕なら莉緒に会えると踏んだから……これで合ってる?」
「ああ。合ってる」
「なんか
「……すまない。蒼の好きな人と隠れて関係を持っただけでも最悪なのに、こんな事までお前に頼もうとして……。俺って最低だよな……」
「まあ、ちょっとどうかとは思う……」
むしろ、頭がどうかしているとすら思う。
とはいえ。
「でもまあ、すごく反省しているみたいだし、こうして僕にだけ打ち明けてもくれたから、これ以上責めるつもりはないよ」
「それは、許してくれるって事か……?」
「許すっていうか、今は保留にするだけだよ。今はそんな状況じゃないし」
「そ、そうか……」
「そもそも、はっきり言って晴明がそんな不誠実な人間とは思ってなかったし、簡単に割り切れるようなもんでもないよ」
「そっか……そうだよな。蒼が親友をやめたがるのも無理ねぇよ……」
「いや、そこまでは言ってないけど……」
確かにかなりショックではあったけれど、だからと言って、これまで築いてきた関係をすべて無かった事にするほどまでのものとは思っていない。
晴明の行いは許容できるものじゃないし、すぐには呑み込めないけど、今でも僕は親友だと思っている。
ていうか、僕がここで晴明を見放したら、それこそ親友失格ってやつだ。
「とりあえず、学校が終わり次第、一度莉緒に会ってみるよ。このままだと、話が前に進まないし」
「
「そう思うなら、あとでちゃんと莉緒に会って話をしなよ? もう二人だけの問題じゃないんだからさ」
「お、おう……」
と、ぎこちなく頷く晴明に、僕は嘆息を吐いた。
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