昔好きだった幼馴染が親友に孕まされた

戯 一樹

前編



 幼馴染の莉緒りおが妊娠したらしい。



 その話を初めて聞かされたのは、いつものように夕飯を食べていた時だった。

「え!? 莉緒が!?」

 思わず口に含んでいた味噌汁を吹きそうになりながらも、台所で洗い物をしていた母さんに聞き返した。

「そうなのよー。私も莉緒ちゃんのママから聞いた時は驚いたわー」

 皿を洗いつつ、母さんは体を僕の方へと向けて応える。

「莉緒が妊娠って……相手は?」

「そこまでは教えてもらえなかったのよ。一応、妊娠させた相手がご両親と一緒に謝りに来たとは聞いたけれど……」

「で、莉緒はどうしたの?」

「それが莉緒ちゃん、妊娠してからずっと部屋に引きこもっているらしいのよ。莉緒ちゃんママが話しかけても全然応えてくれないみたい」

「そっか……」

 引きこもるくらいなのだから、きっと望まない妊娠だったのだろう。あるいは無理やり関係を迫られた上での事だったのか。詳細がわからないのでなんとも言えないけれども。

 なんてご飯を咀嚼しながら思案していると、布巾で皿を拭きながら「ねぇそう」と声を掛けてきた。

「一度莉緒ちゃんの相談に乗ってあげてくれない? ちょっと心配だし……」

「え? 僕が?」

「だって蒼、莉緒ちゃんと小さい頃から仲良しだったじゃない。莉緒ちゃんママも全然話ができなくて困っているみたいだし、ちょっとだけ会いに行ってみてくれない? 蒼なら話してくれるかもしれないし」

 確かに小さい頃は仲が良かった。よくお互いの家も行き来していたし、二人で一緒に遊びもした。

 でも高校生になった今は違う。仲が良かったのは昔の話だ。

 今の疎遠になった関係で話を聞きに行ったところで門前払いを受けるのが関の山だと思う。

「いや、やめておくよ。僕が行ったところで無駄だと思うし」

「なんで? もしかしてあんた、莉緒ちゃんとケンカでもしたの?」

「ケンカはしてないけど……」

「けど?」

「……………………」

 言えない。

 莉緒との関係が気まずくなったのは僕のせいだなんて。



 まして、中学二年の頃に一度莉緒に告白して、あっさり振られた事があるなんて口が裂けても言えない。



「けど、なんなんのよ?」

「……なんでもない」

「なんでもないのなら、莉緒ちゃんに会いに行っても別に問題ないわよね? じゃあ莉緒ちゃんの事、頼んだわよ?」

「……………………」

 有無を言わさず頼み事をしてくる母さんに、僕は頷くでもなく首を横に振るでもなく、ズズズと味噌汁を飲んで誤魔化ごまかした。





 莉緒を単なる幼馴染ではなく、女の子として意識するようになったのは、僕が小学五年生になった頃だった。

 それまでは普通に接していたけれど、運動会で莉緒と二人三脚をする事になった時に、女の子特有の体の細さや柔らさを直接感じて、すごくドキドキしてしまったのだ。

 その日の夜、なかなか寝付けなかったくらいに。

 それからは、無意識に莉緒を目で追うようになり、気付いた時には莉緒の事ばかり考えるようになっていた。



 その時、初めての恋を──莉緒に対して恋愛感情を抱いてしまったのだ。



 それから数年経って、中学二年生になったばかりの春。

 僕は意を決して、莉緒に告白をした。

 小さい頃によく二人で一緒に遊んだ公園で待ち合わせをして。

 そうして桜の花びらが舞う中、莉緒は少し困ったように眉を八の字にして、こう返した。



『……ごめんなさい。蒼ちゃんの事は幼馴染としては好きだけれど、異性としては見れない……』



 こうして、僕の初恋はあっけなく幕を閉じた。

 その後、お互いになんとなく気まずい感じになってしまい、昔のように莉緒と接する事はなくなってしまった。

 そしてそれは、偶然にも同じ高校に入学した今も変わらず継続している。



 ■ ■ ■



 翌日。

 まだ夏のようだと言われていた秋もすっかり鳴りを潜め、吐息が冷たい空気に触れて白く染まるようになった頃。

 朝の寒い外気にさらされながら懸命に自転車を漕いで自分の通っている高校に到着してみると、いつもなら同じ時間帯にやって来る親友──もとい晴明はるあきの姿がどこにもなかった。

 いや、もちろん風邪とかで会えない日もあったりするし、寝坊(主に晴明の方が)したせいで時間がズレる事もままあるけれど、そういう時は必ずと言っていいほど前もって連絡をしてくれるはずなのに、今日に限ってそれがなかったのである。

「まあ、別に約束してるわけでもないしな……」

 まして、何かあったら絶対連絡しなくちゃならないというルールを設けたわけでもない。連絡がなくても休んだり遅れたりする日だってたまにはあるだろう。

 なんて事を考えながら、いつもなら晴明と一緒に同じ教室に行く道程を、今回は僕ひとりで校舎の中へと入った。





 僕が通う高校は公立で、それゆえ校則はわりと厳しめではあるけれど、それでも窮屈というわけでは決してなく、みんな伸び伸びと学生生活を謳歌している。

 翻って僕はというと、生来の根暗な性格もあって、教室ではいつも影の薄いポジションにいる。友達も似たり寄ったりな感じで、基本的に目立つような事はしない(したいとも思わないけれど)。

 そんな陰キャグループに属する僕とは違い、晴明はイケメンかつスポーツも得意な陽キャなので、クラスではかなりの人気者だ。

 それは他のクラスにも名が通っているくらいで、風の噂では先輩ですら晴明を狙っている人が多いのだとか。

 つまり僕のような陰の者とは真逆のキラキラした世界にいる人間なわけだけれど、なぜか晴明はこんな僕にも気さくに接してくれる。まあ小学校からの付き合いだからというのもあるんだろうけど、晴明とは昔から不思議と気が合うのだ。

 別段、趣味が合うというわけでもないのに。

 きっとそれは、晴明が誰に対しても分け隔てなく接してくれるおかげも大きいけれど、それ以上に、人とのコミュニケーションが得意とは言えない僕が、なぜか晴明にだけは落ち着いて話せるのも、仲が良いと言える要因のひとつなのだと思う。

 気付けば、親友と呼び合えるくらいの関係になっていたくらいに。



 そんな晴明が教室に来たのは、四時限目もそろそろ終わろうかというお昼前の時間帯だった。



「おう藤村ふじむら。ずいぶんと遅い登校じゃないか。まさか、夜遅くまで女子と遊んでるたんじゃねぇだろうなあ? ダメだぞ、独身の俺よりも先に彼女を作るのは」

 と冗談めかして言う先生に、クラスのみんなも合わせたように「そうだぞー晴明。先生より早く結婚すんなよー」「先生だって婚活パーティーに行ったりして必死なんだぞー」などと囃し立てる。

 そんな賑やかな雰囲気とは打って変わり、晴明は沈んだ表情で軽く頭を下げて、

「……すんません。普通に寝坊しました」

「お、おう。そうか……。まあとりあえず、自分の席に着け」

「……うっす」

 肩透かしを食らったように半ば唖然とする先生の横を通り過ぎて、黙々と自分の席へと向かう晴明。

 さすがのクラスメート達も、いつもと様子が違う晴明に気後れしているのか、誰ひとりとして声を掛ける者はいなかった。

 もっとも、近くの席同士で内緒話をしている奴らは多かったけれども。

 僕はというと、誰とも話さず──そもそも話し友達が少ない──ずっと晴明の方を注視していた。



 あんな陰鬱とした晴明を見るのは、初めての事だったから。



 何があったのかはわからないけれど、あとでそれとなくメッセージアプリで訊いてみようかなと考えていた中、四時限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

「おーし、今日はここまで。来週は小テストをやるから、ちゃんと予習しとけよー」

 そう言って教室から出て行く先生を見届けた直接、三々五々に散らばっていくクラスメート達。

 ある者は机を寄せて、ある者はパンを買いに購買部へと駆けていくみんなを視界に映しながら、僕はいつものように弁当を持って普段よく一緒に食べる友達のところへ行こうと席を立ったところで、

「──蒼。ちょっといいか?」

 と晴明に呼び止められた。

「え? まあ、いいけど……何?」

「その……ちょっと別のところで話せないか? できたら二人きりになれる場所がいいんだけど」

「それって、今から?」

「ああ」

「けっこう掛かりそう?」

「そこまで時間は掛からないと思う」

 そっかと相槌を打って、僕は一度出した弁当を鞄に仕舞い直した。

「悪いな……」

「いや、別にいいよ。よくわからないけど、真剣な話なんでしょ?」

「まあ、な……」

 と妙に歯切れの悪い応え方に違和感を覚えつつも、僕は晴明と一緒に教室を後にした。

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