第4話 バズる秘訣はなんですか

「ノイバスティクルードサンザムンドエボニーギエルです」


 何故今フルネームを?

 唐突すぎて戸惑う私にノイバスティは続けた。


「エボニー。地球では黒檀という木の名前だそうですね」


 いや知らない。っていうかどこからエボニー……?

 黒檀?

 私がなおも首を傾げていると、ノイバスティはゆっくりと区切り、繰り返した。


「ノイバスティ……クルード……サンザムンド……エボニー……ギエル」


 エボニー!

 確かにエボニーが入っている!


「また、あなただったの……?」


 夕方のニュース番組はノイバスティのことが好きすぎやしないだろうか。

 いや、アカウント名は別なのだから、世間ではまさかこの頃流行りのボカロPが妄想クッキングを自分用メモとして投稿し始めたとは思うまい。

 ノイバスティのやることなすことが日本人の何かに引っかかり続けているだけで、これは狙ってもできることではないし、すごすぎる。


「エボニーです。ノイバスティクルードサンザムンド……エボニー……ギエル」


 はっきり即答しないのは照れているのだろうか。

 だがそれにしてはいやにヒントを出してきたし、それは『ノヴァ』の時もそうだ。

 いろいろと話したくて仕方がないから言いたいけど自分からは名乗り出られないという恥じらいがあるのか。

 表情というものがわからないから、どうにもつかみにくい。


「お腹の中で組み合わせると、おいしかったものがまた別のおいしさを教えてくれます。いろいろ挑戦する楽しみもあります。その中でおいしかったものを記録して、またいつでも楽しめるようにしておこうと」


 牛みたいに一度取り入れた食べ物を何度も反芻できるというのか。

 しかも組み合わせまで変えて。

 なんて楽しそう……!

 いや違う。

 あまりの違いにさすがにカルチャーショックが大きすぎる。

 これまでも文化や体のつくりの違いに戸惑うことはあったが、現実感がなくて「へえ~」と流してきてしまったものが一気に押し寄せた。


「ですが、パン生地にカロリー爆上げビスコッティを混ぜ込んで焼くのは私にはできないので、そちらも一度試してみたいなと……」


 言われて、思わず台所を振り返る。

 パン生地を作るのの何が面倒くさいって、発酵だのなんだのという工程の多さだ。

 それに伴って、準備や片付けも多い。

 分量を計ったり、それを順番に入れないといけなかったり、そうなれば当然洗い物も増える。

 粉が舞うから広く掃除しなければならないし、そんなことを考えるとどうしても面倒くさくなってしまう。

 だが人の好奇心を頭ごなしに殺してしまうのも気が引けるし、世間の人が楽しみにしているであろうバズの種を摘んでしまうことになるのも申し訳ない。


「わかったわ。台所を使ってもいいけれど、一つだけ約束して」

「はい、なんでしょう」

「出来上がったものは成功だろうと失敗だろうと責任をもって完食してね」


 ノイバスティにも作った人の宿命を背負ってもらいたい。


「わかりました。お安い御用です。では電子レンジの使い方について記されている文書がありましたら、貸していただけますか?」

「いや、あの、それはまあ、私が説明するわ」


 その中には電子レンジを使った基本的なレシピ集が入っていて、わりと重宝しているから取り込まれたまま戻ってこないと困る。

 一通り使い方を説明してみると、ノイバスティはふんふんと相槌を打ちながら聞き、きちんと理解もできたようだ。

 ついでにナッツを混ぜ込んだパンのレシピを参考に、買い出しが必要な材料をスマホのメモに書き出す。


「まず、買い物に行かなきゃね。普段強力粉なんて使わないから家にはないし、スキムミルクも一時期流行ってたスキムミルクダイエットで使いきれなかったやつがあるけど、固まっちゃってるだろうし」

「お手数をおかけします」

「ううん、パンなんて作ったことないから一度やってみたいし」


 一人じゃ絶対にやらないからこういう機会でもないと重い腰を上げることなどないだろう。


「でも、今日はもう夕方になっちゃうわね。明日午前中に買い物に行って、お昼ご飯を食べた後に一緒に作るのはどう?」

「わかりました。明日、楽しみにしています」


 社交辞令ではなく文字通り楽しみにしているのだろうとわかるだけに、もう後には引けない。

 電子レンジから鬼が出ようが蛇が出ようが、私は地球人としてノイバスティの地球滞在が充実したものになるようサポートしよう。


 しかし、『黒檀』の投稿をスクロールしている時にちらりと見えた『ウサギの餌×……』というのが気にかかって仕方がない。

 一つ目にあまりにインパクトの大きすぎる素材が鎮座していてそれだけで目を剥いたのだが、どんなコメントが来ているのかも気になるし、どんな組み合わせだったのかも気になる。

 ウサギの餌をどう捉えるか。そこがキーになるだろう。

 おそらく市販されているものだろうけれど、単にウサギの餌というと幅は広い。

 イラストのイメージで強いのはにんじんだが、学校の飼育小屋だとか実際のウサギだと草を食べているようなイメージがある。

 草だとすると、ほうれん草とか? キャベツやレタスなどだろうか。

 いや、乾いた草のようなイメージもあるな。

 そんなことは投稿した当人が目の前にいるのだから直接聞いてしまえばいいのだが。


「また明日ね」


 そろそろ息子が帰ってくる時間だ。

 私は何も聞かないままノイバスティが二階へと上がる後ろ姿を見送った。

 妄想クッキングは自分も新しい組み合わせを考えてみようと思えるのがまた楽しいのかもしれない。


     ◇


「ねえ。『サンドイッチ×おにぎり×カロリー爆上げビスコッティ』の組み合わせが合うかどうか、試してみたことある?」


 夕飯の焼き魚を囲みながらそんな質問を投げたところ、息子は「え? ええ? そ、そんな奇抜な組み合わせ、試したことなんてないに決まってるでしょ」と目をきょろきょろさせ、わかりやすく動揺した。

 やはり。知っているな?

 商品名を伏せさせたのも息子の入れ知恵だったのだろう。


「すごいバズってるらしいわね。夕方のニュースで取り上げられてたから、明日作ってみようと思って」

「え?! どれで?! サンドイッチに焼き鮭とカロリー爆上げビスコッティを挟むのか、カロリー爆上げビスコッティを砕いておにぎりに混ぜてパンで挟むのか、カロリー爆上げビスコッティを砕いてパン生地に混ぜて焼いておにぎりを挟むのか。僕としては一番最後が希望ありかなあと思ってるんだけど、それだけはほら、発酵したりとか焼いたりとかさ、試すのにもハードルが高くて」


 ちょっと待って息子よ。

 完全にノイバスティとわいわい楽しく議論していた背景が浮かび上がってきたのだが、それはいいとして。

 最初の二つは既に試したのか?

 もしやノイバスティがあの蓋をカパッと開けたところから出したものを食したのか?

 あれはリリースなのかリバースなのか。

 いや絶対に聞くのはやめておこう。

 きっとコンビニで買ってきたサンドイッチやおにぎりで試したに違いない。


「その、一番ハードルが高いやつを作ってみようと思ってるんだけど」

「え~! 僕も作ってみたいなー」

「そう?」


 うーん。

 ノイバスティと約束はしてしまったが、その相手が息子に変わってもノイバスティは怒るまい。

 むしろそのほうが楽しいのではないか。

 なにせ、これまで二人であれこれ妄想してはわいわいと議論してきたことなのだろうから、それを試せるとなれば喜ぶに違いない。


「それなら、次の休みの日に作ってみれば? その日は買い物とか用事があって出掛けなきゃいけなくて家にはいないから、台所は自由に使っていいわよ。ただし、片づけはしっかりすること」

「本当? やった!」


 しつこいくらいに家にはいないことを念押しすると、息子はノイバスティと一緒にできるとわかったのか、目に見えて喜んだ。


「それと、味見はさせてもらわなくていいから、食べた感想だけ教えてちょうだい」

「いいよ!」


 感想なんてあくまで息子とノイバスティの主観によるものでしかないのだが、やはり私には食べてみる勇気までは出ない。

 ついでにいえばやっぱり作るのは面倒だ。

 これで三者ともWin-Win-Winになったわけだ。

 次の休みが楽しみだ。




 そしてその日、買い物から帰った私はそこそこ綺麗に片付けされた台所を見て、ほっとした。

 昼食に下りてきた息子に「で、どうだった?」と聞くと、「うん。まずくはなかったかな」という一番微妙な答えが返ってきた。

 やっぱり自分で試してみなければ、何をどうすればよかったかも、望みなんて一欠けらもないくらい絶望的なのかもわからないなと身に染みる。

 いつか『ウサギの餌×……』の組み合わせに最適なものを考え出そう。

 そして答え合わせとして、黒檀のアカウントの投稿を見よう。

 どちらの組み合わせのほうがよりおいしそうか、勝手に闘争心が湧き上がった。


 そんな風に私とノイバスティと息子のそれぞれの世界が日々の中で確立されていた。

 私はしばらく息子がいるときに二階へは上がっていないから、ノイバスティとの会話をうっかり聞いてしまうこともなかったのだが。

 やはり同じ家で暮らしている以上、気を付けていてもミスはあるもので。

 その日聞こえてしまった会話は、私に多大な衝撃を与えた。

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