第4話 電話は気づいた人が取ればいいんですよ

 母親ならではだろうか。

 ある種の予感がして、私は電話が置いてあるリビングへと小走りで向かった。


「はい、こちらは日本です」


 そんな声と共に電話の音が鳴り止んだ。

 嫌な予感しかしない。

 ばっとリビングに駆け込むと、受話器をそっと頭の位置に、しかし真正面からあてたノイバスティの姿があった。


「まっ、ちょっ、なんで勝手に電話――!」


 大声で叫びそうになったところを、慌てて小声に切り替える。


「ダメでしたか? 電話はワンコール以内で取るのが社会人の常識だと昨日のドラマで言っていましたので。それと、新人がとるべきだと」

「いやここは会社じゃないから!」


 あと今の時代は近くにいる人が誰でもとればいいし、大抵は個人ごとに電話を与えられているから自分でとればいいという風潮だ。とか社会人あるあるが頭を邪魔して、慌てた思考はまとまらない。


「もしもし? もしもし? 藤山田中学の坂崎と申しますが、守くんのお父様ですか?」


 やばい。当たり前だが全部聞こえている。

 早く受話器を渡してと身振り手振りで伝えようとするも、聞かれたら答えるのが礼儀だとばかりにノイバスティは頭を頷かせる。


「いいえ、違います」

「――ええと、ご兄弟とか、親戚の方ですか?」

「いいえ、違います。私は家族ではありません」

「あ、お客さんでしたか。これは失礼しました」


 いや、普通は客は電話に出ない。

 喋っていると当たり前のことに気づかないのは往々にしてあることだが、先生が電話の向こうでぺこぺこと頭を下げているのが見える気がした。


「特に失礼ではありません。私は守とお父さんがいない時にだけ、お母さんとお話ししたり、ご飯を食べたりしていますし、守の部屋の押し入れも借りていますし、少しは役に立とうと思い、こうして電話というものに出てみようと」

「いやもう喋るのやめて! 誤解されるから! 誤解しかできないから!」


 悪意はなくとも文化が異なると困るのはこういう時だ。

 家の中にいるだけなら外の人と関わることはないと思っていたが、とんだ伏兵がいた。いや、家電を置いているのは私なのだが。

 慌てて受話器をひったくった私は、「すみませんお電話変わりました守の母です」と一息に喋った。


「あ、えーーーと……。今お電話大丈夫でしたか?」

「大丈夫です。何も問題はありません。彼は守の部屋にホームスティしているのですが、まだ日本のことを勉強中でして!」


 嘘は言っていない。

 ノイバスティも出る幕ではないと悟ったようで、律儀に腰を折る一礼をして、そっと二階へと上がっていった。


「ああ、なるほど! そうだったんですねー。いやあ、びっくりしましたよ。いきなり昼ドラの世界に巻き込まれたかと思いました。ははははははは!」


 中年の愛憎ドロドロは他人事が一番だ。そりゃあ目の前で片鱗を見せられたと思ったら全力で回避行動に出るだろう。

 しかし思いっきりほっとしたような笑いにそれよりもっとほっとしたのは私のほうで、なんとか冷や汗も止まってくれた。

 快活な先生に救われる。


「僕、職業柄昼ドラは見られないんですけど。って、今は放送してないんでしたっけ?」


 とまだ続いているのはさらりと流すことにする。


「ええと、ご用件は……? 守の頬のことでしょうか」

「あ、はい! とても痛そうで気になりまして、どうしたのかと聞いたら、『大したことないから大丈夫』としか言わないものですから、さらに気になりまして。昨日の帰りのホームルームではそんな目立つものはありませんでしたので、その後のことだと思うのですが。何があったかご存じですか?」


 ブレないなー。

 息子、ブレないなー!

 やはり先生にも聞き出せなかったか。

 がっくりを声に出さぬよう注意を払い、「いえ、私も知らないんです」と正直に答えた。


「そうですか。もしかしたら家で転んだだけとか、何かにぶつけたとか、そういうこともあるかとは思うんですが、そのう……」


 まさか、虐待を疑われたのだろうか。

 そんな心配をされることは考えてもいなかったから、絶句、のち、慌てて口を開きかけると、そのことに思い至ったのか坂崎先生も慌てて「いやいや」と続けた。


「違うんです、家庭内で暴力があったとかそういうことを考えていたわけではなく、どう見ても大したことのあるアザに見えたので、何かご家族の方がご存じでしたらお話を聞かせていただきたいと思っただけでして。もしそうでないなら、学校内でいじめや暴力があった可能性も考えなければなりませんし」


 学校内で起きた可能性を考えるのは後なのか。

 どうにも裏のなさそうな人だから、思ったままを言っただけなのだろうが、息子の学校での様子を知って不安があっただけに、もやっとした。

 この分では坂崎先生は息子が誰かにからかわれたり、囲まれるような事態になっていることは把握していないのだろう。

 子どもたちは大人の居ない所でそういうことをするものだから、先生が知らないのも無理はないが。


「昨日帰って来た時には既にアザができていましたので、帰る間のことなんだと思いますが。私にも大したことじゃないと言って、何も話してはくれませんでした」

「そうでしたか。最近守くんも明るくなって、どこか自信がついたように見えますし、今日も変わらず過ごしていたので、大丈夫かとは思うんですが。この年頃の子どもたちはいろいろと難しいところがありますので、当人の『大丈夫』をただ鵜呑みにして片付けてしまうのもなぁと思いまして」


 まだ不安は拭えないものの、先生が子ども達をよく見ようとしてくれていることはわかる。

 頬のことも流してしまえばそれまでのところを、こうして電話までして確認しようとしてくれたし。


「気にかけていただいて、ありがとうございます」

「いえいえ。力不足で申し訳ない限りですが、もし守くんがどこかで暴力を受けているとか、何かに巻き込まれているようなことがありましたら、学校にもご連絡をいただけますか? 私のほうでも引き続き注意深く守くんを見守るようにします」

「はい、よろしくお願いします」


 受話器を置くと、詰めていた息を吐き出した。

 結局何もわからなかったものの、先生もこうして考えてくれているのに、親が何もしないというのも違う。


 やはり帰ってきたら、もう一度話を聞いてみよう。うざがられようがなんだろうが、そんなことは杞憂で済んだ時に気にすればいいことだ。

 そうして息子を待っているうちに、再び電話が鳴った。

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