息子の押し入れには人外が住んでいる

笹木

プロローグ

 私は四十二歳の主婦である。

 普段は空気だけれどGをやっつけるときだけは役に立つ夫が一人、反抗期はいつ来ていつ終わったのか、それともまだこれからなのかもわからないほどのほほんとした中二の息子が一人いる。


 その息子が、最近なんだか明るくなった。

 中学二年になって以来、クラス替えをしてあまり馴染めないのか、沈んだ様子だったから笑顔が増えたことにほっとした。

 しかしそれとなく「学校で何かいいことでもあった?」と聞いても「別に?」ときょとん。

 嘘をついているふうでもない。では一体どこで何があったのか。

 今度は「家で何か楽しみでも見つけた?」と聞いてみると、「あ、うん、ま、まあね!」と明らかに何かを隠している様子。

 さらに「新しい趣味とか? あ、この間買ったゲームにハマってるの?」と何気なさを装って追い込んでみると、「あ、宿題たくさん出てたんだっけ!」と慌てて逃げた。


 おかしい。


 まあしかし、これだけわかりやすい息子のことだ。

 何かあるのならいずれわかるだろうし、悪い変化ではない。

 それにもう中学生なのだから、何でもかんでも親が把握していなければならないわけでもない。

 私も子離れしなくては。


 そう思ったのは事実。

 けれど、そこはやはり家族だ。

 同じ家の中で暮らしていると、あれこれ気が付いてしまうこともある。


 まず、息子の部屋からはよく話し声が聞こえてくるようになった。

 友達はこれまでもいたようだったけれど、毎日電話しているだなんて珍しい。

 思春期の息子だ。相手は女の子なのかもしれない。


 ほっとするやら、心配になるやら、どちらにせよ、なおさらうっかり会話内容を聞いてしまうわけにはいかない。

 そうでなくとも、その密室の中は彼の領域テリトリーであり、中で何が行われているか私が知ってはならない。

 だから用事があるときはわざと足音を立てたり、鼻歌を歌ったりして「今そちらに近づいています。至急準備と心構えをしてください」と警告音を立て、かつ、諸々の隠ぺいをはかる時間を与えるためにゆっくり歩くのだけれど。


 親だってうっかりすることはある。

 そういえば修学旅行の集金袋が全然出てこないわね、もし出し忘れて行けなくなったらどうするのよ、と気になり、何気なく、そして早足で部屋に近づいてしまった今日この時。

 ノックが習慣になっていたことは互いに不幸中の幸いであったかもしれない。

 しかし、ノックと同時に「入るわよー」とほとんど無意識な声掛けをした直後、一方的にドアを開けていたのだからいかほどの意味があったものか。


「え?! ちょっ、まっ」


 おかげで息子は畳でスライディングをするハメになった。

 開けた瞬間は確かに立っていた息子は、ズザザっと音を立てた結果、今、涅槃像のように床に肘をつき、寝そべっている。


「おぉ、どうしたの?」


 何気ない顔を作り、何気ない声で迎え入れてくれた息子は片膝を立てているからグラビアのポーズと言ったほうが近いかもしれない。

 ただ、その恰好を日常生活でするのは何かあった時だけなのだ、息子よ。

 しかし私も配慮を欠いてしまったという自覚がある。

 あまり息子のほうには目を向けず、部屋の片隅に置かれた勉強机に目をやり、「あ、宿題が途中ね? 早くやっちゃいなさいねー」と修学旅行の「しゅ」しかかぶっていないまったく関係ない事を口早にまくし立てると、すぐさまドアを閉じた。


 ふう、危ない危ない。

 今度こそ「母は今、部屋から遠ざかっています」とアピールしながら足音を立て廊下を戻る中、先程の残像が眼裏によみがえる。


 なんか、息子の後ろにシーツをかけられたぼっこりとした山が見えたような?

 いくら怪しげなDVDやらを並べて積んだところであれほどにはならないだろう。

 中学二年生が友達の力を結集させてもそこまでの財力はないはずだ。


 まさか、あれか。

 等身大の、二次元の顔が描かれた、抱きしめて眠る目的のやつ。

 そこまで手を出していても何ら不思議ではない。

 これまで息子との会話から『俺の嫁』的存在は感じ取ったことがなかったが、それもまあ親には恥ずかしくて言わないだろう。

 重ね重ね無遠慮な振る舞いをしてしまったなと反省した。


 こうして私は、思春期の息子と上手に付き合っているつもりだったのだけれど。

 実は、まったく別のものと向き合い始めていたのだ。

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