第4回『ささくれ』

SF/少し不思議/ギャグ


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 今日は最低な一日だった。


 まず朝は目覚ましがなぜか鳴らなくて、朝食抜きでスーツに腕を通して通勤カバンをひったくった。そして今度はなぜかICカードが反応しなくて、大混雑の新宿西口改札で突っかかって後続に舌打ちされた。上司のミスが俺のせいにされ、同僚の残業が押し付けられる。自炊はもちろん外食も億劫になって、コンビニで弁当を買って帰宅した夜の十時過ぎ。


 ダラダラ動画を垂れ流しながら、箸を動かして食物を口へ運んでいた俺の耳に、何かが聞こえた。


『……れ……、……くれ……』


 最初は動画を見ているスマホの小さなスピーカーから漏れているのだと思った。効果音か何かのひとつだろうと。


 ところがそれは、音量を上下させても変わらない。


『……れ……、……くれ……』


「え?」


 むしろ動画を止めてみた。


『くれ……』


「うわああ!」


 手にしていたスマホを放り出し、尻で後退りしてしまった。それは確かに男の声で……いや、女の声かもしれないけれど、とにかく聞こえてくるのだ。


『……くれ……、……さくれ……』


 驚いたのも一瞬で、特に何かが起こるでもなく繰り返される声に、俺はつい聞き耳を立ててしまった。


 いったい、何を言ってるんだ?


『ささくれ……』

「は?」


『ささくれ……、ささ、くれ……』


 どうやら〝笹〟がほしいらしい。


「笹?」

と、思わず聞き返してしまっても、声は『ささくれ』を繰り返すだけ。


 他に何も起こらないので、そのうち慣れた。


 俺は疲れている。


 嫌なことばかりの一日だったってだけじゃない。日々の生活に疲労困憊なのだ。それ以上手出ししてくるわけでもない見知らぬ誰かに「笹をよこせ」と言われているくらいじゃ、俺の睡眠は妨害できない。


 と思ったけれど、敵もさるもので、寝ている間もずっと脳内に直接囁きかけてくる。


「うるさーーーーいっ」


 怒鳴ってしまった。


 だぶん相手、この世のものじゃないのに。


 だいたいなんで笹なんかほしいのか。


 こんなときこそネット検索だ。スマホを駆使して調べたところ、『妖怪ささくれ』なるモノがヒットした。


 嘘だろ。

 これ、妖怪なの?


 曰く、ささくれだった人の元に現れ、笹をあげるまで定期的に「笹クレ……」とつらそうな声でささやくので余計に心がささくれ立つのだそうだ。


 まさにそれ。

 水木先生、見てますか?

 ここに本物の妖怪がいますよ……。


 そんなことより、それじゃあこの声、笹をあげるまで俺について回るってこと?


『笹クレ……』


 田舎ならまだしも、この大都会東京で笹なんか手に入るかしら。有給取って群馬にでも行けばいい?


 いやいや、時は現代。それだってスマホで解決できるはず。


 ネット通販で「笹」を検索したら、七夕に使うプラスチック製のやつが見つかった。


「……イミテーションじゃ、怒るよな?」

『笹クレ……』

「だよな」


 それじゃあ本物はっていうと、今度は五千円以上する。俺はサクッと笹も買えないワープアなのか。自身の立場を呪う。


 こんなことになったのも、都会で暮らす荒んだ心が原因。地元の田舎ならなんかこう、まとう空気感が違うし、田舎は過干渉で嫌だなってずっと思ったけど、東京の不干渉のほうが身に応える。


 なんか……、寂しい……。


『笹クレェ……』

「うんうん、そっか。お前もそう思うか」


 ネット辞典で「笹」の項目をつらつら眺める。大地という場所に、まず根付くのは松なのだそうだ。これがパイオニアプランツ。風を遮り、他の植物が生えるための土を作ってくれる。そしていろんな木々が育ち、やがて土地が痩せてくると、竹や笹が生えてくる。


 笹が群生していたら、その土は痩せこけていて手入れが必要、というサイン。


 なるほど。俺の心も、栄養がなくなりきって、砂漠化一歩手前だったかもしれない。


 ちなみにこの件、妖怪好きの女子社員にポロッと漏らすと、「語呂合わせでささをあげてもいいみたいですよ」とのことなので、帰りにコンビニでカップ酒を買ってみた。


「これでいかがでしょうか」


 帰っていただけませんかと手を合わせると、見る見るうちに日本酒が減っていき、最後に一言。


『純米大吟醸クレ……』


「おい図々しいな、もう帰れ」

 

 

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