22、リオネッロのサイズ感

「ジャンバッティスタ氏に言われたのだ。まれに女子でないことを確認されるから用意しておけと」


 果たして私が直視してよいものなのだろうか? 机の上に並んだそれらは実に精巧に作られていると思う。水浴びしたときに兄のをちらっと見たくらいだから判じ難いのだが、やはりルイジおじさんは腕利きの職人なのだろう。


 リオはすっかり興奮していた。


「なんで三つもあるの? きゃはははっ」


 何がおかしいのか分からないが、おなかを押さえて笑い始めた。リオの手前、私も恥じらうべきだったろうか?


「おじさまっ、恥ずかしいですわ」


 リオの真似をして顔を隠してみる。


「オリヴィア、取ってつけたように乙女の振りをする必要はないぞ」


 おじさんにあきれ声を出されてしまった。


「三つある理由は、成長にともなって付け替えるためだ。ジャンバッティスタ氏の話によると股間改めは年老いた司祭が行うから、老眼でよく見えないだろうということだったがな」


 私は覚悟を決めて机の上に並んだそれらを凝視した。


「何歳になったらどのサイズをつけたらいいの? 私、見当がつかないんだけど」


「そうだろうな。リオに聞きなさい」


「は?」


 突然名前を出されたリオがほうけた顔でおじさんを見上げる。


「ジャンバッティスタ氏によると、手術をした子供は普通の少年より大きくならないらしい。だからわしにもよく分からんのだ」


 私は納得して、


「そっか。私とリオはほとんど同い年だから、リオのサイズに合わせておけば自然ってことね」


「ちょっと待って!」


 青ざめた顔でリオが止めに入った。


「それってつまり、僕のサイズがオリヴィアにバレるってことじゃん!」


 おじさんは無言のまま目をそらした。


 私は一番小さいミニサラミみたいなのをつまみあげ、


「ねえリオ、今はこの一番ほそっこい短いやつでいいのかな?」


「知らないよーっ」


 リオは片腕で顔を隠すと工房から駆け出して行ってしまった。


「うわーん!」


 庭から泣き声が聞こえる。


 かわいそうなことしちゃったかな、と反省していたら、おじさんが小さなため息をついた。


「多感な時期で大変だのう」




 二日後、約束通りジャンは馬車に乗ってやって来た。


 髪を切り、少年の格好をした私を上から下まで眺め、


「ほう」


 と小さく感嘆の声を漏らした。


「想像以上の美少年に化けたな」


 リオが子犬のように私の周りを飛び回り、


「僕のオリヴィア――オリヴィエーロは美しいんだ」


 きらきらとした笑顔で自慢する。彼が動くたび、陽射しに透けるブロンドが軽やかに舞った。


「うむ。オリヴィエーロはミステリアスな美形ですね」


 ジャンはあごを撫でながら、私を無遠慮に観察した。


「深いブルネットに深碧しんぺきを秘めた瞳、陶磁器のような肌にしなやかな体躯たいく。奥様方の黄色い悲鳴が聞こえてきそうですよ」


 居心地が悪くなって、私は目を伏せた。


「そういう表情もさまになっていますよ」


 耳元でささやかれて鳥肌が立った。ルイジおじさんがのそりと現れて、私とジャンの間に割り込んでくれる。


「荷物を持ってきたぞ。重いだろうが、頑張ってかついで行きなさい」


 私とリオはおじさん手作りの革袋を背負った。両肩にずしりとかかる重みはまるで、ルイジおじさんが積み上げてきた物言わぬ思いのようだ。


 私たちはルイジおじさんと抱き合い、別れのキスを交わした。


 いよいよ出発だ。


 生まれて初めて馬車に乗り込み窓から見下ろしたら、意外と高いことに驚いた。しかも車内は薄暗く、窮屈だ。これなら荷馬車の荷台のほうが開放的じゃないかと思ったが、馬車が走り出すとそんな考えは吹き飛んだ。クッションのおかげか、それとももっと複雑な機構で作られているからか、荷馬車のように体が飛び跳ねるほどの振動は受けないのだ。


 私とリオは馬車から顔を出し、ルイジおじさんに手を振り続けた。おじさんのうしろにある扉が開いて、傾いた家の中からアンナおばさんが這い出してきた。


 ジャンが笑いを含んだ声で、


「君たちのおばさんが懺悔ざんげしているようですな」


 と言ったが、馬車の車輪がうるさくて、泣き叫んでいるらしいアンナの声は聞こえなかった。


 おじさんたちが見えなくなるとリオが、車窓から入る日差しに目を細めながら声を弾ませた。


「また馬車に乗れるなんて思わなかったよ!」


「きみたちは大切な商品ですからね。徒歩の旅で怪我をされたり、病に侵されたりしたら困ります」


 ジャンは相変わらず嫌な男だった。リオの笑顔に一瞬影が差したことなど気にも留めず、


「馬車で行くのはチヴィタヴェッキアという港街までです。チヴィタヴェッキアからは商船に乗せてもらい、海からナポリ王国に入ります」


「船!」

「海!」


 私とリオは同時に声を上げた。私たちはまだ海を見たことがなかった。


「海沿いの王国で音楽を学べるなんて素敵」


 ロマンティックな気分に包まれた私に、ジャンが水を差した。


「ナポリ王国はずっと外国の支配を受けています。長らくスペインから副王が派遣されていたが、十五年くらい前に政変が起こって、今はオーストリアの支配下だ」


 私とリオは沈黙した。自分たちの住む教皇領の中心地であるローマにさえ行ったことがないのに、外国の話なんてどう反応してよいか分からない。


他人事ひとごとのような顔をしている場合ではありませんよ、二人とも。歌手として成功すれば貴族の寵愛を受けるのですから、つねに権力の風向きを察知せねばならない」


 この男はどこへ向かって風が吹いているか、つねに嗅覚を鋭くしているのだろう。


 リオは馬車に揺られながら難しい顔をしている。


「貴族のチョーアイ? 華やかな劇場は貴族がお金を出しているの?」


「まあそういうことですが、子供に説明するのは難しいですね。王宮が支えている場合もあれば、貴族たちが劇場運営に出資し、公演が成功したら分配金をもらう制度もあります。国や都市ごとに異なるんです」


 私たちはますます混乱した。


「教会の音楽しか演奏経験がない君たちは、劇場の音楽に憧れているようですが、あともうひとつ――貴族の屋敷で演奏されるカンタータや室内楽という重要なジャンルがある」


 うんうんと私たちはうなずいてばかりいた。


「音楽院に入ったらよく学びなさい」


「でも音楽院に入れるかどうか決めるのは、音楽院の先生なんでしょう?」


 私は恐る恐る尋ねた。


「ええ、喜びなさい。と言っても君たちには分からないか。ナポリ出身の名作曲家で声楽にも精通しているニコラ・ポルポラ氏に君たちの歌を聴いてもらえるよう、手紙を書いた」


 ジャンが狭い馬車の中でふんぞり返ると、リオが身を乗り出した。


「えっ、あのポルポラ!?」


「ほう、知っているのですか」


 感心するジャンを横目に誰だっけ、と考えていたら、リオが説明しだした。


「地元の教会の先生マエストロが、ポルポラの作曲したミサ曲を教えてくれたんだ!」


 そういえばそんなこと言ってたな、と思い出したとき、リオがなつかしい旋律を口ずさみ始めた。私の母さんが歌っていたのは替え歌らしいけれど、同じメロディなのだ。鼻の奥がツンとして、私は思わず座席のクッションを握りしめた。


「僕たち、ポルポラ先生に習えるの!?」


 リオはすでに先生呼びである。


「うむ? 声を聴いてもらって判断してもらうんですよ?」


「わあ、楽しみだな!」


 どことなく話がかみ合っていない二人を揺さぶりながら、馬車は海を目指して走り続けた。私たちの未来は南の王国、ナポリで花開くんだ。




─ * ─




次回からは第二幕、ナポリ編の始まりです。

ここまで読んでくださった方には本当に感謝しかありません。

二人の門出を祝してやろうという心優しい方は、ぜひページ下から★をお願いします。

すでに★で応援してくれた方、レビューコメントまで書いて下さった方には感謝の舞を捧げます!(踊るな)


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