07、オリヴィアの行き先

 ピンやらフォークやらルイジおじさんの工具やら様々な道具を試したけれど、木戸の鍵は開かなかった。リオに会えないまま時間だけが過ぎてゆく。なぜリオと会ってはいけないのか、それさえ教えてもらえない。


 アンナおばさんは毎日、屋根裏部屋に食事を運んでいた。だが用心深く鍵を管理していて忍び込む隙がない。


 屋根裏部屋から降りてくるときは、ぴったりと蓋のしまった壺を持って戻ってくる。最初はなんだか分からなかったが、屋根裏部屋には便所がないことに思い至って私は一人、赤面した。


「リオは弟! 何も恥ずかしくない!」


 自分に言い聞かせても、頬が熱くなった。


 私たち三人の食事は相変わらず芋とレンズ豆、時々オーツ麦が出るくらいだったが、アンナおばさんはリオの部屋にゆで卵を持って行った。あの怪しげな男に栄養をつけろと言われたからだろう。


 ある日の夕食後、ルイジおじさんが工房に引っ込むと、


「オリヴィア、大事な話があるんだ」


 アンナおばさんが神妙な顔つきで私の目の前に座った。ささくれ立った木のテーブルには、すすけたオイルランプが置かれているだけ。ひまわり油の上で不安げにゆらめく炎は、どこからか忍び込んで来たすきま風にあおられて、アンナの顔に歪んだ影を落とす。


「お前も知っているように、リオは不慮の事故で大けがを負った。医者に診てもらって一命をとりとめたが、今も屋根裏部屋で療養中だ」


「――という設定になってるんでしょ?」


 悪態をついた私に、アンナおばさんはいやらしい憐みの視線を向けた。


「お前が認めたくないのも分かる。だが事実として、リオの治療にはお金が必要なんだ」


 何が事実だ。どこに真実があるのか、まるで分からない。


「そこでだ、オリヴィア。弟のために一肌脱いじゃあくれないかね?」


 私は黙ったまま、まっすぐアンナおばさんの目を見た。だが彼女は揺れるランプの炎に視線を落としたまま、


「お前だってあの子のために何かしてやりたいだろ?」


 血色のない唇でボソボソとつぶやいた。


「私に何ができるの?」


「よくぞ訊いてくれたね」


 視線を上げたおばさんの両眼は、獰猛な野生動物のようにギラギラと光って見えた。


「オリヴィアお前、人買いに売られてくれないか?」


 ああ、とうとう来た。行き先が決まっているというのは、このことだったか。


 私は自分でも驚くほど冷静だった。心のどこかで覚悟していたのかも知れない。


 だがそれは運命を受け入れる覚悟ではない。立ち向かう覚悟だ。


 何も答えない私に、おばさんは言葉を重ねた。


「私から売人に口添えして娼館に売らないように、商家の働き手にしてもらうよう言うから、ね」


 なるほど、十一歳になった私は娼館へ売られる年齢に差し掛かっているのか。


「こんな田舎にいるよりマシな暮らしができるかも知れないじゃないか」


 適当なことを言いやがって。今以上に自由を失うなど我慢できない。 


 リオが怪我したという話も信じられないし、医者に診せたというのも嘘くさい。この女は始終、私をだまそうとしている。


「一日、考える時間をください」


 私は煮えくり返る腹の中を気取られないよう、細心の注意を払った。


「そりゃそうだよ。一日と言わず、じっくり考えなさい」


 初めて聞く猫なで声に、私はぞっとした。


 夕食後に話していたせいで、部屋に戻ったときには完全に日が暮れて真っ暗だった。


「いけない。開けっ放しだった」


 明かり取りに開けてあった鎧戸から冷たい夜風が吹き込んでくる。慌てて閉めようとベッド脇に走り寄ったとき、外からかすかな明かりが差し込んでいることに気が付いた。


 窓から顔を出すと、屋根裏部屋から荒れた庭に弱々しい黄色い光が落ちていた。


「リオ、起きてるの?」


 彼に聞こえるはずもないのにつぶやいた瞬間、私はハッとした。なぜ今まで気づかなかったんだろう?


 中から行けないなら外から行けばいい。


 私は窓枠に足を掛けると身を乗り出した。体の向きを変え、まずは窓枠の上部によじ登る。赤茶けたレンガに指をかけると、ポロポロと崩れてくる。レンガの間に指を食い込ませ、体重を支えて壁を上る。


 落ちても死ぬ高さじゃないよね? いや、どうせ生きたところで娼館に売られるんだっけ?


 私はなかば自暴自棄になって、屋根裏部屋の窓に手をかけた。


 あと一息――


「ひゃっ」


 悲鳴が口をついて出た。右足を置いていたレンガが欠けて、地面へと落下したのだ。




─ * ─




オリヴィアはリオのもとへたどり着けるのか!?


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