第7話 朝顔
「全国指名されとる奴が、外国に逃げたとしたら。逃走した期間は〝時効〟の進行が止まるよな?」
「は、はい。時効制度があった頃は、そうだったみたいですね」
「これは地獄にも通じるか?」
「え?」
「俺がこの男を連れて逃げたら……その逃走期間は、俺たちの〝刑期〟の進行は止まるか?」
この質問の真意に気がついた僕は、唇が震えた。
「止まります。刑期とは、獄卒の拷問に耐えた時間がカウントされていくもの。拷問を受けない者の刑期は逃げた分だけ延長されます」
「ひゃ、は!」
再び、皇真夜中が笑う。口から頬にかけて切り刻まれた傷が開き、歯茎と肉が丸見えになる。
皇一馬はまだ何も理解出来ていないようだ。
「皇真夜中。貴方は皇一馬を連れて逃走するつもりですか?」
僕は生唾を飲み込んだ。
「永遠に逃げ続ければ、永遠に地獄からは抜け出せない。囚人の身体はどんなに痛めつけても再生される。……
「嫌だあ!」
ここでようやく息子の企みを知った皇一馬が、僕の着物の袖を握りしめてきた。
「助けてくれ! あいつを閻魔様に突き出してくれ!」
「……閻魔様の元には何百万もの兵がおります。もし貴方が〝異質〟だとしても、閻魔軍を相手にすれば捕まります。閻魔様に逆らえば、魂そのものを消され、輪廻の内側には戻れず、二度と生まれ変われません」
この時の僕は、皇一馬を守ってやるつもりも無ければ、皇真夜中を止めなければという獄卒としての義務感も無かった。
僕が彼に対して抱いていたものは二つ。
「輪廻に興味は無い。俺は月子の無念を晴らす」
ほんの少しの恐怖と、高鳴る胸の動悸。
「そのために命を捨てて、魂を賭けて、ここに来たんや!」
〝魂〟……!
「俺の魂の全ては復讐に捧げる! 邪魔をするなら閻魔大王だろうが、ぶっ潰す!! 軍でも何でも来いや! 強い奴らと戦って勝てば、俺はもっと強くなれる……もっと戦いたい! もっともっと! ひゃ、は……はははっ!!」
あぁ!
あぁ!
魂とは、こういうものなのか!!
彼が正しいのか誤っているかなど、どうでもいい。自分で魂の使い道を決め、実行する。彼のその姿が、僕の胸の高鳴りの原因だった。
僕は何の取り柄も無くて。せめて愛想だけでも良くしようと、笑っていた。嫌なことを言われても、暴力を受けても、相手に従っていた。〝自殺は罪〟という判決に抗わず、拷問を受け入れ、獄卒になれという命令も何となく聞いた。
馬鹿だ。
そんな魂の在り方があってたまるものか。
僕は魂について考えながら、魂を燃やそうとしたことなど一度も無かった。
皇真夜中が、父親の首根っこを持ち上げる。
「あ、もう一つ訊きたいことあるんやけど」
「え?」
「地獄は彼岸花ばっかりやけど、他の花は咲くんか? たとえば朝顔とか」
「咲きません。彼岸花だけです」
「……そうか」
「……朝顔、好きなんですか?」
「いや、月子や。あの子は朝顔が好きやった。明け方の公園で待ち合わせして、朝顔の花が開くのを一緒によう見たわ」
皇真夜中は遠くに目をやりながら言う。
次の瞬間、僕はハッキリと見えた。
皇真夜中の全身に絡みついた、朝顔の
赤ばかりが目に付く地獄に、紫の朝顔が咲いている。怒りの赤と、悲しみの青が混ざり合った色。
真夜中に咲く朝顔。
あの蔓はとてつもなく強いのだ。
鬼さえ拘束する地獄の縄さえも解く皇真夜中を、捕えて離さないほどに。
朝顔の蔓が、彼を〝異質〟にしたのだ。閻魔をも恐れぬ狂戦士にしたのだ。
泣いて叫ぶ父親を引き摺って、皇真夜中は歩いて行く。僕は走った。
「待ってください! 僕も一緒に連れて行ってください!」
「……は?」
皇真夜中が立ち止まる。僕は彼に追いついて、追い越して、前に立った。
「貴方と一緒に行きたいんです!」
「正気か? お前、囚人上がりの獄卒やろ? 真面目に仕事してたら、生まれ変われるんやろ?」
「そんなのどうでもいい! 僕は今、初めて自分の〝魂〟を感じたのです! 分かるぞ、これが魂が震えるという感覚なんだ……! 震わせたのは貴方です! もっと貴方を知りたい! こんな巻物だけじゃダメだ! こんな、歴史の教科書の年表みたいに簡単に書いた人生史では、真の貴方は見えない! 僕をそばに置いてください! 復讐に魂を捧げる貴方を、そばで見ていたい! 真夜中さんと共に在りたいと、僕の魂が叫んでいるんだ!」
興奮のあまり、最後の方は息が切れていた。こんなにも大きな声を出したのは久しぶりだ。拷問を受けていた頃はしょっちゅう出していたけど。
「……」
まるで告白のように長ったらしい僕のセリフ。それに対して、皇真夜中は無言で無表情だった。だけど無反応ではない。鋭い目線で僕をじっと見つめてくる。静かな時間が流れる。
「けったいな奴やな」
数分経って沈黙を破ったのは、皇真夜中の方だった。肯定でも否定でもない返事に、僕は焦る。
「僕を足手纏いだと思ったらその時点で切ってくれてかまいません! だからっ」
「お前、名前は?」
「あ、阿頼耶識巡です」
「あらやしき? 名前もけったいやん。まぁ、よう分からんけど、好きにしぃ。俺はどうでもええわ」
「本当ですか!?」
「俺と来たことを後悔したら、すぐに消えろ。〝皇真夜中に脅されて、無理やり連れ回されてました〟とでも言えや」
絶対に言うものか。そんなこと。
後悔だってしない。
もし捕まって、裁判を受けたとしても、僕は胸を張って言うんだ。
自らの魂の意志に従って、皇真夜中についていった……って。
こうして、僕たちの逃走劇が始まった。
地獄全てが僕たちの敵になった。
獄卒の軍では到底〝異質〟には歯が立たず、後に閻魔大王が直々に出向く事態となる。
そして最終的に真夜中が、宣言通りに閻魔を潰し、トップに君臨する。
地獄の歴史が崩れるのは、もう少し先の話だ。
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