第2話 悪役転生


 恋愛RPG【ジリオンズ・ヒストリア】。

 通称【ジリリア】。



 剣と魔法の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界を舞台に、プレイヤーは冒険者となって冒険を繰り広げるファンタジーRPGである。


 高い自由度、洗練されたゲームシステム、練り込まれた世界設定、多彩で魅力的なキャラクターが織りなすドラマチックなシナリオなどあらゆる要素が評価され、世界中でスマッシュヒットを飛ばした名作だ。


 俺はこの作品の熱狂的ファンだった。


 寝る間も惜しんでプレイして、全ルートエンディングはもちろんのこと、ゲーム内トロフィーも全解除。

 用意されたコンテンツをすべて制覇した後もその熱は覚めやらず、当時発売されていた攻略本や設定資料集を買い漁り、ネットで世界観やシナリオの裏設定を考察したりと、【ジリリア】熱に浮かされた日々を送っていた。



 そんなある日のことである。

 俺はこのゲームの登場キャラクターに転生してしまった。



 俺が転生したキャラクターはフラジール王国宮廷貴族。

 リグレット・モルドレッド。



 リグレットは【ジリリア】に複数用意されたメインシナリオの一つ……【ヒストリア・ルート】に登場するキャラクターである。


 リグレットという男を語るためにはまずこのヒストリア・ルートを語らなければならない。


 【ヒストリア・ルート】は、封建制国家フラジール王国を舞台に、盲目の王女ヒストリアを巡る悲劇の運命を描いたシナリオだ。


 そして、シナリオの中心人物がヒストリア・アーカーシャ。


 先王リチャードの遺児である彼女は、生まれながら膨大な魔力をその身に宿しており、その力を危惧した政敵の策略により、幼い頃に母と共に毒を飲んでしまう。

 なんとか一命だけはとりとめたヒストリアだったが、彼女は母と視力を共に失ってしまい、それ以来フラジール城の狭くて薄暗い地下室で、独りで生きてきた。



「どうしたの、リグレット? 急に黙りこくって」

「……申し訳ありません、お嬢様。少々考えごとをしていました」

「リグレットは真面目で働き屋だから。ムリばかりじゃダメだよ?」

「ありがとうございます」

「ふふ、なでなでしてあげよっか」

「な、なにを……!」

「なーでなーで」

「むむ……」


 考え事をしていたら、ヒストリアに心配されてしまった。

 

 このとおりヒストリアは、悲劇の運命を背負ってなお自分の生い立ちに恨み言の一つも言わず、純真さと相手に対する思いやりを失わない天使。

 ついでに言うと外見ビジュアル的にもふわふわウェーブの銀髪に透き通る白い肌を持つ超絶美少女だ。

 


「推せるんだよなぁ。やっぱめちゃくちゃ推せるんだよなぁ」

「え、なにを押すの?」

「なんでもありません……」

 


 ヒストリアの人気は凄まじく、NPC非仲間キャラにも関わらず、並み居るヒロインを押し退けてトップ人気のキャラといっていい。

 

 その人気の秘訣は、可憐なビジュアルはもちろんのこと、このキャラクターが持つ健気な善性と、それが決して報われることのない悲劇のシナリオによるものだろう。



 かくいう俺にとってもヒストリアは最推しのキャラクター。その思い入れはとっても強い。



 俺が【ジリリア】をプレイしたのは社会人になってすぐの頃。

 その頃の俺はブラック企業に勤めて連日のパワハラやサービス残業に疲れ切っていた。

 プライベートでも学生時代から付き合っていた恋人に「心から好きになれる人ができたの」と別れを告げられてしまい許すまじビッチ。

 

 そんなクソみたいなリアル生活にほとほと嫌気がさし、ほんの気分転換にでもなればと思って始めたのが【ジリリア】だったのだけれど、気づけばどっぷりとその沼に浸かっていた。


 とくに色々と悲惨な生い立ちのヒストリアというキャラクターに、当時の自分の境遇を重ねて殊更ことさらに感情移入してしまったのだ。


 ヒストリアルートのイベントを一つ一つこなしていくたびに、彼女の純粋さと優しさに惹かれ、彼女の行く末を阻む運命の壁に憤り、避けることのできない悲劇の結末に涙した。


 俺は、ヒストリアというキャラクターに本気で恋をしていたんだと思う。

 たかがゲームキャラに恋なんてと笑いたいヤツは笑えばいい。

 あの頃の俺にとってヒストリアは、確かに生きる理由の一つだった。



***


 

 コンコンコン――


 ふと、室内にノックの音が響き渡る。

 俺の他にヒストリアの部屋を訪れる人物はただ一人。


「お嬢。失礼する」


 ノックに続けて響いたのは、静かでよく澄んだ声。

 ゴシックな執事服に袖を通した、金髪碧眼の小柄な女性がドアの向こうから入ってきた。


「エスト、いらっしゃい。どうしたの?」

「どうしたもこうしたもない。湯浴みの時間。もう一〇分も過ぎてる」

「え、もうそんな時間?」

 

 こくこく、と首をタテに振るエストさん。

 その度に三角に尖った耳元に飾られたエメラルドグリーンのイヤリングが揺れる。

 

「リグレットとお話しているとあっという間に時間が経っちゃうね」

「失礼しました、お嬢様。私も残務があります故、これで失礼します」

「うん、ありがとうリグレット。また来てね、絶対だよ?」

「もちろんです」


 俺はヒストリアと別れの挨拶をかわし、部屋の外へと向かう。

 すれ違い様にエストさんに向かってペコリと会釈。だけど彼女からは凍てつくような冷たい視線しか返ってこなかった。



(やっぱりバリバリ警戒されてるなー。まあしょうがないんだけどさ)


 ヒストリアの部屋を出た俺は、自室に戻る道すがらエストさんの反応を思い返す。



 エストさんはフラジール城の執事長を務めるエルフ族の女性で、ヒストリアのお世話係でもある。


 見た目は少女だが、エルフ特有の長命により、千年を超える永い歳月を生き続けている。

 その正体は、長年の研鑽による卓越した魔法技術を誇り『千の魔法使いサウザンズ・マギ』の異名を持つ超一級の魔術師だ。

 


(そんな彼女が何故ヒストリアのお世話係をやっているかというと……エストさんはヒストリアの父である先王リチャードの盟友で、影からリチャードの忘れ形見であるヒストリアを見守り続けているという激アツの設定があるんだよな〜)

 


 そんなエストさんにリグレットが敵視されてしまっている理由。

 それは、彼女がリグレットという人間の本質を見抜き、危険視しているからに他ならなない。

 


 エストさんの疑念は正しい。



 俺が転生したリグレット・モルドレッドの本性は、フラジール王家を乗っ取り、自分の王国を作るという野心を持ったサイコパス。

 およそ人間らしい良心や他人に対する共感を一切持たない彼にとって、周囲の人間は自分にとって都合のいい道具であり、不要になればゴミでしかない。

 そんな冷たい本性を、穏やかな笑顔の仮面で覆い隠している。


 【ジリリア】の原作におけるリグレットは、ヒストリアが持つ膨大な魔力に目をつけて、彼女の孤独な心に巧妙に寄り添い、洗脳に近い形で彼女をコントロールし、自分に依存させていくのだ。


 更にあえてヒストリアに視力を与えて一度は希望を待たせることで、彼女を取り巻く残酷な世界や、彼女自身が胸のうちに秘める醜い負の感情を見せつけることで、彼女を闇落ちさせるという外道な作戦を実行する。



 バシンッ!


「リグレット? 何やってるの? 今の音は?」

「なんでもありません。お嬢様はお気になさらず」


 原作におけるリグレットの鬼畜の所業を思い起こして俺は思わず自分自身リグレットの頬をセルフビンタする。

 

(このクソサイコパス野郎。マジで腹立つわ! 自分のことなんだけど! ぷんぷん!)


 ちなみにこのゲームの本来の主人公は、ヒストリアの視力を取り戻す過程で彼女と出会うことになる。

 ヒストリアと交友を重ね、縁を深めていくが、最終的には闇落ちしたヒストリアと対決。死という形でヒストリアに永遠の安らぎを与える役目を負う。

 そして最後に、すべての黒幕であるリグレットの元に辿り着き、彼を倒してエンディングだ。


 これがヒストリアルートのストーリー。

 救いもクソもありゃしない。

 製作陣テメェらの血は何色だ?

 

 

 とはいえこれはゲームキャラクターのリグレットのお話。

 現代日本から転生した元一般人である俺はそんな結末を望まない。


(さっき言ったとおり、一番の推しキャラにそんな非道い真似できるはずないし、そもそも俺はサイコパスじゃないし、世界を手中に収めたいとか大それた野心など一ミリも抱いてないし)


 イチゲームファンとして登場人物に対する敬意は払っているから、本来の主人公を蹴落としたりとか、でしゃばるつもりもない。

 

 【ジリリア】の世界に異世界転生することができた俺が望むことはたった一つ。

 


 ただ、推しヒストリアに幸せになってほしい。

 


 人生を救ってくれた推しに敬意を持ち、よりよい結末を与えてあげたいと思うのはファンとして当然のこと。

 


 俺はそんなヒストリアの幸せをそばで見守りたいだけだ。






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