推しヒロインを破滅させるサイコパス系悪役貴族に転生した俺、バッドエンドはイヤなので努力します

三月菫@リストラダンジョン書籍化

第1話 俺と推しヒロイン




 リグレット・モルドレットには、果たすべき二つの使命がある。



 ***

 


「失礼します。リグレットです」


 その声は、ノックの音と共に湿気とカビの臭いで満ちた地下通路に静かに響いた。

 燭台に刺されたロウソクのか細く頼りない明かりが照らすのは、暗い地下通路の最奥にひっそりと佇む黒檀の扉。


 ややあってその扉の先から柔らかい声が返ってくる。


「リグレット! 待ってたよ。どうぞ入って?」


 俺は一礼し、扉をそっと押し開く。


 扉の先は、年代物の調度品が並ぶ落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 繊細な意匠の凝らされた木製の調度品は、何もかもが冷たい石室にあって僅かな温もりを感じさせる。

 その部屋の片隅に設けられたソファに腰掛け、淡い微笑みを浮かべている一人の少女の姿があった。


「いらっしゃい、今日もちゃんと来てくれた。嬉しい」

「もちろんでございます、ヒストリアお嬢様」

「廊下から聞こえてくる足音で、リグレットだってすぐ分かった。私、キミの足音はすぐにわかる」


 ヒストリアは瞳を閉じたまま首を傾げて悪戯っぽく笑う。

 その拍子に腰ほどまで伸びた銀髪がふわりと揺れた。


「お嬢様にお喜びいただけて、光栄にございます」

「むー、そんなにかしこまらないでっていつも言ってるでしょ」


 そう言ってちょっと不満げに頬を膨らませるヒストリア。

 俺はその愛らしい仕草に思わず微笑みを誘われそうになり……グッと下唇を噛んでこらえた。


「そうはいきませんよお嬢様。アナタは我が国の第二王女。本来ならば私のような使用人風情が気安く話しかけられるような方ではないのですから」

「使用人風情なんかじゃないわ。リグレットだって爵位を持った……立派な貴族じゃない」

「おそれ多い言葉でございます」

「それに、を王女として扱ってくれるのは……キミだけだよリグレット」


 ヒストリアはため息のようにそう言うと、少しだけ寂しそうに微笑む。


 そんな彼女の顔立ちは人形のように美しく、えもしれぬ気品を纏っている。それは彼女の身に流れる、連綿と続く王家の高貴な血がなせる業なのだろう。

 

 けれど、彼女がその身を寄せるこの地下室も、身にまとう質素なドレスも、その高貴な地位とはまるで不釣り合いなものだった。


(なによりも――)

 


 俺は、ヒストリアのに視線を向けた。



「ねえねえ……今日はどんな本を持ってきてくれたの?」


(おっと――)


 物思いに入りかけた俺の意識を、ヒストリアの無邪気な声が呼び戻す。

 気を取り直すように、たもとに抱えていた本をそっと差し出した。


「異国の詩集です。旅人が南方大陸の情景を読み上げたもので、俺も拝読しましたが、不思議な情景や動物の記載があり、中々興味深い内容でした」

「楽しそう! さっそく聞かせてほしいな」

「かしこまりました」


 ヒストリアの要望を受けて、俺はそっと彼女の隣に腰を下ろす。

 嬉しそうな表情を浮かべたヒストリアは、すぐに身を寄せてきた。


 ヒストリアが纏うラベンダーの香が鼻腔をくすぐり、その芳香は俺の心臓の鼓動を少しだけ早める。

 心のさざめきをヒストリアに悟られないよう、努めて淡々とした所作で手元の書物を開くと、ゆっくりと内容を読み聞かせていった。


 ***


「このキリンという動物は本当にそんな長い首を持つの?」

「はい。挿絵ではそのような姿で描かれております」

「馬の体に、長い首、ヘンテコな紋様で覆われているなんて……不思議。ねえ、リグレット。その挿絵……なぞらせてくれない?」

「かしこまりました」


 俺はその言葉に頷いてから、ヒストリアの手の甲に自身の手のひらをそっと重ねた。

 

 ヒストリアにキリンの姿形を伝えるため、挿絵に描かれた輪郭をゆっくりとなぞってゆく。


「ここが首?」

「はい」

 

「これは何?」

「シッポですね」

 

「足が随分と細いのね。大きな身体をちゃんと支えられるのかしら」

「一説によると馬に劣らない速さで駆けるそうです」

「すごい! アシュケリオンとどっちが早いのかしら」


 ヒストリアは感嘆の声を上げる。

 俺はそんな彼女の様子を優しく見守りながら、小さな手から伝わる温もりを感じていた。


「ありがと、リグレット」


 ヒストリアは口元に満足げな笑みを浮かべて俺の顔を見上げてきた。

 俺は少しだけ名残惜しさを感じながらも、重ねていた手をそっと離す。


「リグレット、世界は広いんだね。きっとこの部屋の外には私の知らない場所が、人が、景色が……本当に沢山あるんだね」

「ええ、そのとおりです」

 

 

「お嬢様……」


そう言って、ヒストリアはうつむきがちに寂しそうに微笑む。


「リグレット。私ね、もしも……もしもこの目が治ったら、一番最初に見たいものがあるの」

「なんですか?」


 ヒストリアは面を上げて、そのまま俺を見つめる。

 彼女の閉じられていた瞳がゆっくりと開かれた。


 長いまつ毛の陰から覗くのは、淡い灰色の瞳。

 その瞳には光が宿っていない。

 その双眸には、目の前のリグレットの姿は写っていなかった。


 

「キミの顔。きっと素敵な顔をしてると思う」

 


 ヒストリアはそっとささやくようにその言葉を紡いだ。


 俺の胸のうちに暖かいような、もどかしいような、そんな不思議な想いが込み上げる。


「お嬢様。きっと、その日が来ます。アナタの瞳に光が戻り、私の姿を、この部屋の外を、この国を……広い世界をその瞳に写す日が必ず来ます」

「本当に?」

「ええ、このリグレットがお約束いたします」


 俺は盲目の王女に約束の言葉を告げた。

 



 その言葉はでまかせじゃなかった。

 そう遠くない未来、ヒストリアは視力を取り戻し、光を手に入れることになる。

 この狭い地下室の外に出て、広い世界を知ることになる。


 そして――


 彼女は盲目の暗闇よりも深い人間の闇を目の当たりにする。

 この世のすべてに絶望する。


 

 憎しみに飲まれ――闇に堕ちる。



 フラジール王国第二王女、ヒストリア・アーカーシャ。

 幼くして光を失い暗闇の中を独りぼっちで生きる少女。


 彼女はこの物語における、悪役だ。

 


 そして、彼女に仕える、俺――リグレット・モルドレッド。


 俺が、俺こそが。

 

 ヒストリアを絶望の底に突き落とす、いわば諸悪の根源。

 

 俺もまた、この物語における悪役だ。



「絶対に認めない――」



 その想いは、自分でも気づかぬうちに心からこぼれ落ちていた。



 俺ーーリグレット・モルドレットには、この世界で果たすべき二つの使命がある。


 

 一つは自分自身が、破滅の運命から逃れること。

 そしてもう一つ、ヒストリアを破滅の運命から救うことだ。





 


――――――――――――――――



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