28 GOD BLESS YOU:この修羅の世界に復讐を ③
「私のお母さんはね。魔獣に殺されたの」
……それ、は。
「ええ、分かっているわ。不幸なことではあるけれど、この国の辺境地帯ではまだまだよくあることだって」
──いくら貴族の間でリンカーネイトが普及して魔獣被害が激減したとはいえ、魔法はあくまでも高等教育だ。
魔法の素質を持ち、そして高い質の教育を受けられる貴族だからこそ、リンカーネイトは修得することができる。……つまり平民の、それも個人単位の被害はまだまだ少なくない。
「……でもね。ヴィラムルース男爵は自分が平民に子を孕ませた可能性を前以て分かっていたのよ」
「…………、」
「それなのに私が認知されたのが一ヵ月前になったのは、お母様が庶子の捜索をする動きを妨害していたから。……もしもお母様が調査の妨害をしていなければ、お母さんは貴族の妾として保護されて、死なずに済んだかもしれない」
……
これはまさしく、この世界だからこそ生じた悲劇だ。
長く続いた戦乱により、少しでも戦力を増やす為の『庶子の権利保護』と跡目争いのリスクを減らす『長子相続の徹底』が固定化された国内法。
彼女の母は、歪んだこの修羅の世界によって歪められたこの国の法律に殺されたも同然だ。
「お母様だって決して悪い人ではなかったのよ? 確かに我が子の相続権を守るために調査を妨害していた。でも、いざ見つかった私のお母さんが魔獣に殺されていたことを知ったら、泣いて謝ってくれたもの。……殺したのは魔獣であって、お母さんは不幸だっただけなのにね」
確かに、ヴィラムルース男爵夫人の行為は違法ではない。庶子の捜索そのものは別に義務でもなんでもないし、それを差し止めること自体は何ら問題ではない。問題になるのは、庶子の存在が明らかになって、それが長子だったと分かった時に相続権の更新をしない場合のみだ。
そしてヴィラムルース男爵夫人は、それを受け入れた。この国においては、潔いと評価されることこそあれど、彼女のことを悪質だと罵る貴族は少ないだろう。
…………だが、人間の感情がそんなに単純なはずもない。
「……優しいんだね、アザレアは」
「そんなことないわ。……お母様は生涯の支援を約束してくれたし……『可能性』を恐れていただけで、私のことを憎んでいた訳ではなかったんだから。不幸を願われたら私だって穏やかじゃいられないけど……そうじゃ、ないんだもの」
そう返すアザレアの表情には、『いっそ憎んでくれていた方がよかった』としっかり書いてあった。
……そりゃそうか。アザレアからすれば、怒りの向けどころがないんだ。ヴィラムルース男爵夫人が調査を妨害していなければアザレアの母は死ななかったかもしれないが、別に調査を妨害したままでも運が悪くなければ死なずに済んでいたのだ。
だからアザレアは、憎まない。
妻を持ちながら無責任に平民を孕ませ、そしてそのことに長い間無頓着だったヴィラムルース男爵を憎まない。
我が子可愛さに『可能性』から目を背け、そればかりかあるべき調査を妨げたヴィラムルース男爵夫人を憎まない。
ただ、その代わりに────
「悪いのは、この世界よ」
────このクソったれな世界を、憎む。
魔獣との戦いが終わらないから、長子相続の伝統が残り続け、悲劇が産まれる。
魔獣との戦いに光明が見えるから、人々の心は緩み、陰謀が産まれる隙ができる。
中途半端に過酷な世界だから──アザレアの母は死んだ。世界の厳しさだけじゃない。世界の優しさによっても、アザレアの母は殺されたのだ。
「そんな時だったわ。この技術──『リンカーネイト:オーバーライド』を見つけたのはね。素人ながら、なんて素晴らしい魔導論文だと思ったわ」
「…………そりゃどうも」
「元々は、お母さんを魔法で蘇らせる方法はないかって、
…………『リンカーネイト:オーバーライド』を使った、非『聖者』の復活、か。
考えなかった訳じゃない。ただし……。
「でも、結局は無理だったわ。個人の記憶では、人格情報には不十分。記憶は薄れてしまうものだしね。だったら他に補強する情報はないかって調べた時に、気付いたのよ」
──『
「『
…………殺人的な偶然、というのはアザレアに失礼か。
偶然なんかじゃない。
能力があり、環境があった彼女が、偏執的なほどの意思に突き動かされて学んだからこそ、手繰り寄せたのだ。
「そして同時に悟ったわ。お母さんは、この方法では蘇らせられない。いや、どんな方法でも、何年も前に死んでしまったお母さんを呼び戻すことはできないのかもしれないわね。だから誓ったの」
「何を?」
「復讐を。私はお父様もお母様も憎まない。この国も憎まない。代わりに──母を殺したこの世界の理不尽に対して、復讐してやるってね」
それは。
きっと高潔な意志だろう。
そこにある善性を認め、自分の苦しみに関与しているとしても、個人を憎まない覚悟。責任をどこかにぶつけずに、冷静に状況を見定める理性。
どれをとっても、アザレア=イクス=ヴィラムルースという少女は高潔だった。それこそ──物語の主人公のように。
ただし。
「そしてやるならば、徹底的に」
彼女はそこで、止まらなかった。
だって実際に、彼女は己が憎まないと決めた義弟の属する『外交勢力』や『商工派閥』を陥れ、そこで発生する具体的な犠牲や混乱を無視して目的の為に突き進んでいってしまった。
「『リンカーネイト:オーバーライド』を使い、第二の『聖者』メイヴィスを召喚する。それを以て、魔獣戦線を終わらせる。いや……そんな中途半端なところでは、終わらせないわ」
もしかしたら、何かの物語の主人公になれたかもしれなかった少女は、笑いながら言う。
決定的に壊れてしまった者だけが宿す、狂気の輝きを瞳に浮かべて。
「──魔獣を駆逐し尽くして、『星の覇権』を人類の手に収めてやるのよ!!!!!!」
直後、だった。
どろどろにとろけていた黒い影が、一人の女性を形作る。
影のように黒く長い髪を後ろで一本に纏めた──巫女服を着た、妙齢の女性。
「ところでアルマ。アナタは知っているかしら。『リンカーネイト:オーバーライド』には拡張の余地があることを」
そう言って、アザレアはまるで紹介でもするみたいに巫女服の女性を指し示す。
その言葉には、どこか棘があるように感じた。
……そしてその言葉の棘を感じて、
「知らないでしょうね、あの魔導論文を死蔵していたアナタには」
もしも、『リンカーネイト:オーバーライド』が早くに普及していれば。
暴走のリスクや内乱のリスクは一旦脇に置いておいて──少なくとも、国内の魔獣は駆逐され、国外にも人類の生存圏が広まっていたかもしれない。
そうしたら、彼女の母も死ななくて済んだかもしれない。
…………アザレアにとっては、『リンカーネイト:オーバーライド』の死蔵を決めた
「『リンカーネイト:オーバーライド』はね、構成式への追記を増やすことで、能力の指向性をある程度制御できるのよ。その能力の指向性を攻撃力に振れば……本当に、一機で魔獣を『絶滅』させられるほどのリンカーネイトが生み出せるとは思わない?」
直後。
ずずず……と巫女のリンカーネイトの影が伸び、彼女の手に一本の槍が握られる。
よく見れば筆のような意匠を持ったその槍を巫女のリンカーネイトが振るうと、その軌跡が描かれた空間にも影のような黒が浮かび上がり──そして。
軽く一〇を越える怪異が、瞬時に形を成した。
狂骨、死神、ウィル=オ=ウィスプ……。元ネタが分からないようなものも含め、本当に瞬時に現れた。
そしてそれらは、本を守る為に高い防護性を誇っているはずの本棚を一瞬でぐずぐずに腐らせる。
…………流石の攻撃力だ。言うだけのことはある。……でも……。
「あ、あは……あははは、あはははははははッ!」
その力を見て、アザレアが笑う。
心底から嬉しそうに。ようやく希望を見つけたかのような、晴れ晴れとした笑い。
その様子を見ながら、
──『やっぱりこうなったか』、と思った。
別に、諦めていた訳じゃない。こうならないように、
でも、分かっていた。
そしてそこまで辿り着けるような人間の陰謀は、
だから別に、実際に懸念が現実になってもショックということはなかった。
想定していた最悪が、想定通りに訪れた。それだけのことだ。
「す、素晴らしい……! 素晴らしいわ! 想像以上よ! これが『聖者』……これが『オーバーライド』!! いいわ、この力さえあれば……」
──強烈な、デジャヴを感じる。
いつかきっと、誰かが
だからこそ、ずっとイメージしてきた。この、カタストロフの導入を。
「デーアッ!!!!」
「はいはい承知しましたよお☆」
──アザレアは知らない。
『リンカーネイト:オーバーライド』というのは、『聖者』の人格によって能力にある種の指向性を与える技術だ。
つまりこの技術において、能力と人格というのは不可分な関係性を持っている。……そんな状況で、能力に攻撃性を付与すればどうなるか。
人格にも、攻撃性が付与されるに決まっているだろう。
ただでさえ、『リンカーネイト:オーバーライド』は制御ができない。インストールされた人格が好きに行動するのに任せないといけないのだ。
それなのにその人格に攻撃性をインストールすれば……待っているのは当然、暴走の末路のみ。
だから多分、アザレアは死ぬ。
コンマ一秒後に、自分が起動させたリンカーネイト……メイヴィスによって殺される。
そして、だからといって
訳知り顔の黒幕が退場した後も、カタストロフはレールを外れた暴走列車のように周囲を破壊しながら突き進んでいく。
それが分かっているなら。
「きっとこの星の『覇権』、」
──分かって、いるなら。
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