思い出補正は一過性

左下の地球儀

第1話 冬の訪れ

 少し遅めの大晦日の大掃除、鉛筆やカードなどが乱雑に放られた棚を片付けていると、昔よく遊んでいたゲームのカセットを見つけた。


 「おぉ…懐かしいなぁ」


 放課後は近くの公園や友達の家に集まって遊んでたっけ。


 あの頃は、きっと楽しかったんだと思う。


 友達と遊ぶ約束をしたときの感情の昂りとか、遊び終えて家に帰るときの充足感とか。


 勝手に連想されていく思い出はどれも「楽しかった」ものだ。


 まぁでも、思い出は思い出だからこそ美しいのだ。


 今の俺が過去に戻ったとして最初のうちは俗に言う「思い出補正」とやらのお陰で目に映る全てが趣深いものに見えるのだろう。


 ただ、時間が経てばそれらは所詮しょせん思い出補正によるまやかしだったことに気づく。


 「思い出補正」なんて、単なる一過性の勘違いに過ぎない。

 

 小学生時代の追想に耽るのをやめて、カセットを棚に戻す。


 この調子ではいつまで経っても掃除が終わらない。


 「………あとでやろっと」


 携帯ゲーム機を灰色の充電器を介してコンセントに繋いで、下ろしていた腰を持ち上げて大掃除に戻る。埃のせいで痒い目を擦りながら、俺は掃除機を手に取った。


 *


 思い思いの時間を過ごした冬休みは終わり、今日からまた学校が始まる。


 「また退屈な日常が始まるのか…」という休み明けの一連の流れは昨年も一昨年もやっていたので、今年はやらないことにした。


 休み明けのせいか、普段に比べてより一層騒がしい教室。クラスの奴らは自分の体験を話したり友人の体験を聞いたりするのに勤しんでいる。


 そんな空間に居心地の悪さを感じているのは、おそらくクラスで自分一人なのだろう。


 …しかし寒いなこの教室。

 

 暖房はついているが、窓側や廊下側の席は少し肌寒い。


 そして俺の席は窓側の一番後ろ。所謂いわゆる主人公席と言う奴だが、ヒロインのいない俺にとってこの席はただ寒いだけの過ごしにくい場所でしかない。席替えはまだだろうか。


 うつ伏せのまま、劣悪な環境に対する不平不満を心の中で言っていると、チャイムが鳴る。それと同時にドアが開く音した。多分担任が入って来たのだろう。


 チャイムの音で起きたフリをした俺は、狸寝入りをやめてわざとらしく欠伸をして前を向く。


 因みに俺を見ている人間なんてクラスに一人もいないので、一連の流れに意味はない。ただのボッチの悲しい習慣である。


 「お前ら静かにしろー。そんで早く座れ」


 季節感のない薄手のジャージを着た教師の声が耳に入る。それを聞いた生徒は急いで席について、すぐに大人しくなった。


 「じゃあ朝のホームルームを始める。えぇ、知ってる奴も居るだろうが、今日からうちのクラスに新しく仲間が加わる」


 いつも通り委員長の号令を省いて、教壇の中央に立ってホームルームを始める担任。


 どうやらこのクラスに新しく仲間が加わるらしい。それって俺のことだったりするのだろうか。未だにクラスに馴染めていない生徒は仲間とは言えないもんな。だったら俺の名前が呼ばれる可能性は十二分にある。


 …やめよう。自分で考えてて悲しくなってきた。担任が口にしていたのは転校生が来るときの決まり文句だったし。一応、一年の四月からこの学校に在籍している俺なわけがない。


 しかしまぁ、今は高校二年の一月だ。受験生目前のこの時期に転校生とは珍しい。きっと転校生には何か複雑な事情でもあったのだろう。


 それっぽく勘繰りながら担任の話を聞く。

 

 またざわつき始める教室の雰囲気にため息を溢しながら、俺は頬杖をついて次の言葉を待った。


 「冬霧、入ってこい」


 ………え?冬霧?

 

 担任が口にした冬霧という名に、俺は聞き覚えがあった。それは、俺が昔よく口にしていた名前。口馴染みのある呼称。


 若干動揺しつつ、頬杖をやめた俺は椅子を引き、前のめりになってドアを注視する。


 ガラガラと音を立ててながらゆっくり開くドアから現れたのは、やはり昔馴染みの彼女だった。


 「初めまして、冬霧冬香ふゆぎりとうかです。短い間ですが、これからよろしくお願いします」


 …何であいつが此処にいるんだ?あ、引っ越して来たからか。いや、そうじゃない!


 あの頃と変わらない柔らかい眼差し。それに反して、淡々とした口調には冷気が混じっている。たった一度の自己紹介で、彼女の外面と内面の齟齬そごが伝わってくる。


 「冬霧、お前の席は廊下側の一番後ろだ。分からないことがあったら、今日はとりあえず隣の酒井さかいに聞いてくれ」

 

 「分かりました」


 担任から席の場所を聞いた冬霧は、俺が居る場所とは真逆の方向へ向かって歩いて行く。


 どうやら、転校生が都合よく自分の隣の席に座るなんてイベントは現実では起こらないらしい。


 「冬休みの課題は各自係が回収して担当の先生に提出するように。じゃあ朝のホームルームおわるぞー。この後は全校集会だから、お前ら遅れんなよ」


 担任はそう言い残して教室から出て行く。ドアが閉まった瞬間、冬霧の周りに駆け寄るクラスメイトたち。


 「どこからきたのー?」「冬霧さん、髪の毛サラサラだ〜」「どうしてこんな時期に?」「可愛いね」「俺、酒井ね」「よろしくねー」


 質問攻めに逢う彼女は、表情には出さないが何処か鬱陶しげだった。


 高校二年の冬、時期はずれの可愛い転校生というのは教室を盛り上げるには充分すぎる話題だ。


 多くの人間に集られて困惑気味の冬霧を横目に、俺はそそくさと教室を後にした。


 *


 「久しぶりだね、文月ふみづきくん」


 放課後の昇降口、懐かしい声に呼び止められる。右手に持った靴を置いて、声のする方へ振り向く。


 誰かに自分の名前を呼ばれるのはいつぶりだろうか。最後に呼ばれたのは担任との三者面談のときかな。


 「…おぉ、久しぶり」


 挨拶を返す俺の横を冬霧は通り過ぎて行って、自分の下駄箱の前で立ち止まる。


 「朝さ、何で逃げたの?」


 黒いローファーを取り出しながら、冬霧は俺の不誠実を問いただす。その間冬霧はこっちに目もくれない。


 …もしかして、怒っているのだろうか。


 「いや、逃げたっていうか…人集まってたから話しかけづらかったんだよ。その、悪かった」


 「別にいいよ気にしてないし」


 素っ気なく言う冬霧の態度は、どう見ても気にしている人のそれだった。


 離れ離れになった幼馴染との再会というシチュエーションにおいて、俺がとった対応は不相応だったらしい。


 でも許してほしい。だって友達も居ない俺が人付き合いなんてできるわけないし。俺に普通の人間がする対応を求めるのは少々お門違いというやつだ。


 「ていうか、そんなことより…」


 心の中で苦し紛れの言い訳をしている俺なんて気にもせずに、冬霧は話題を変えようとする。


 少し間を置いてからこっちに振り向いて、冬霧は俺の目を真っ直ぐに見ながら、


 「一緒に帰ろうよ。久しぶりにさ」


 あの頃のようなたおやかな表情でそう言った。


 *


 いつかの日と同じ、青白い空の下で冷たい風に吹かれながら二人で並んで家路を辿る。


 いつもと変わらない住宅街も、冬霧が隣に居るだけで全く違って見える。比較的新しく建てられた白い二階建ての家、年季の入った平家、高くそびえ立つマンション。今朝も見たはずの景色は、妙に新鮮に映った。


 どうして辺りの景色ばかり見ているのか、その問いの答えは情けなくて答えるのも恥ずかしい。


 恥を承知で言ってしまえば、何を話せばいいか分かんないんだ。


 旧友との再会は喜ばしいものだとはよく言ったものだが、俺の様な性格の持ち主にとっては喜ばしさよりも若干気まずさが勝ってしまう。


 確かに冬霧ともう一度会えたのは嬉しかったし、今日一日は内心心踊るような気分で過ごしていた。昇降口で話しかけられたときも、喜悦を顔に出さないよう表情筋を管理するのに忙しかったくらいだ。


 今も心臓の音がうるさくて緊張を顔に出さないように平静を装うのに必死だ。とりあえず、何でもいいから何か話題を振ろう。


 「…なぁ、冬霧」


 「ん?」


 冬霧の声が耳に触れる感覚に懐かしさを覚えるも、以前より少し離れた距離感に僅かな違和感を感じる。彼女は、俺を見てはくれない。


 「今更だが、家はこっちでよかったのか?」


 「あぁ、そっか。言ってなかったよね。私、前住んでた家に戻ってきたんだ」


 「そうなのか」

 

 「3年ぶりにこっちに戻ってきたけど、家も街も変わっちゃったよね」


 冬霧は俺が居る反対の方に位置する閑散とした公園を眺めながら、独り言の様に言った。


 冬霧の視線に釣られて、俺も公園を見る。


 誰もいない公園の隅に細々と立っている木は既に葉っぱを下ろしている。かつては多くの子供達が遊び、活気溢れていた風景も、今では過去の思い出となってしまった。


 何処となく侘しさを感じさせる公園から、俺は目を逸らした。


 「まぁ、四年もあれば色々変わるわな。俺も結構身長伸びたし。どうだ、四年ぶりの俺は?結構カッコよくなっただろ?」


 冗談めかして適当なことを言って、何となく居心地の悪い空気を変えようとする。


 「そういうところは、変わってないね」


 懐かしげに笑う冬霧。


 俺のくだらない冗談にも笑ってくれるところは、昔と変わらない。


 「でもそうだね」


 不意に立ち止まる冬霧は手持ち鞄を肩に掛け直して、マフラーを少し上にずらして口元を隠す。そうしてようやく、俺の顔を見て微笑んだ。


 「確かに、ちょっとカッコよくなった」


 以前とは違う、少し大人びた雰囲気を醸し出す冬霧は以前より増して魅力的に見えた。


 「………」


 この4年間でいったい何が彼女をこうも変えてしまったのだろうか。以前ならこんなことしなかったのに!


 急に褒めてくる冬霧の言葉に動揺を隠せないでいた俺はたじろぎながらも、その言葉への返事を必死に模索する。


 しかしこんな可愛い女の子に「カッコイイ」だなんて言われたら、男の脳はエラーを起こして思考回路はショートしてしまうものだ。


 ぶっ壊れた頭にふらふらと浮かんできた言葉を、俺は取り敢えず口にすることを選んだ。


 「あ、ありがと?」


 「ん、どういたしまして」


 俺の拙い返事を聞いて、冬霧は満足そうな表情で歩き始める。


 「ほら、文月くん行くよー」

 

 「お、おう……」

 

 冬空のが広がる二人の帰り道、自分の頬が赤く染まる理由を冬の寒さのせいにして、俺は駆け足で彼女の隣へと足を運んだ。

 

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