負けないモン!、妬みパワハラ歌劇舞台

朝倉亜空

第1話

 朝、いつものように顔を洗い、いつものようにスーツに着替え、いつものようにキッチンへと向かった。

 いつもと違うのはその時刻。

「パパ、おはよう」

「はーい、おはよう、マナちゃん」

 娘のマナとの朝の挨拶なんて 、普段の平日なら絶対できない。この時間なら私はとっくに出勤しているからだ。

 今日は娘の通う小学校の学芸会の日。よって私は会社を休み、少しゆっくり起きてきたという訳だ。数年前なら、パパ、絶対に観に来てよ、なんて言ってたはずなのに、小学六年ともなると何を照れるのか、別に来なくていいよ、と言われてしまったのだが、いいや、これは我が家の一大イベントなんだから行かない訳にはいかない、と言い返し、今、当日の朝を迎えている訳である。 

「じゃあ、パパ、ママ、行ってきまーす。それと、パパ、友達にはマナのパパってばれないように、おとなしくして観ててね。マナ、からかわれるの嫌だもん」

「よーし、分かった。端っこの方でこっそり観てるよ。行ってらっしゃい」

「フフフ、ちゃんとママがパパの横で見張ってるから大丈夫よ。行ってらっしゃい」

 ママも笑顔で見送って言った。「もし、パパが皆に見つかりそうになったら、ママのコートでパパを隠すわね」

 ようやく娘からの観覧許可が下り、正直、私はほっとした。父親たるもの、娘に嫌われる様なことはなるだけしたくないものである。

「パパ、朝ご飯食べるでしょ。ホットパンケーキ焼いたんだけど、一枚、焦がしちゃったの。食べてくれる?」

 ママが言った。

 そういえば、何だか部屋全体が焦げ臭いにおいに包まれていると思っていたのだが、道理で。そんな失敗作を処分するのはパパの役ってか。まったく、もう。

「い、いや、昨日の晩御飯がまだおなかに残ってるみたい。ママ、コーヒーだけ頂戴」

 黒焦げパンは御勘弁願いたい。

 その一杯のコーヒーを飲み終えると、私たち夫婦も学校へ向かうこととした。

丁度家の玄関を出た時、後藤さんの奥さんと出会った。マナのクラスメイトのゆかりちゃんのお母さんだ。「あ、後藤さん、おはようございます」

 私の挨拶に対し、後藤さんはなんと知らん顔して歩いていった。チラリとこちらを見ようともしない、気づかない態度をとられたのだ。

「なんだあの人。大人げない……」

「まあ、今日は仕方ないのかも知れないわ」

 ママが私を納得させようとして言った。「実は、マナからちょっと聞いているんだけど……、あの子、クラスで少しいじめにあってるみたいなの。主役を取られたゆかりちゃんの妬みがきっかけで。ほら、ゆかりちゃんってクラスのリーダー格でしょ。だから、みんなゆかりちゃんに逆らえないのよね。だから……」

「フーン……」

 そんな話を初めて聞かされ、私の気分も急激に落ち込んでしまった。

 マナとゆかりちゃんは実はクラスの中でいろいろとライバル関係になっているのだ。

 成績もトップを競い合い、運動会のリレーではどっちがアンカーを務めるかで火花を散らしあい、今日の学芸会の演劇でも主役の座を賭けて激しく競り合ったとのことだった。

 結果、ウチの可愛いマナちゃんがめでたく主役に選ばれ、ゆかりちゃんは町へ来た買い物客兼マナが病欠した時の主役控えとなったのだが、後藤さんにとっては面白くない。それは分かる。よーく分かるよ。しかし、だからと言って、さっきのような人を無視する態度はよくないでしょ。パワハラ親子なんだねぇ、まったく。

「ま、気にしない気にしない」

 こっちこそ、今あったことを無視しよう。

 私は気持ちを切り替えるように軽く深呼吸をした。ああ、朝の外の空気は美味い。

 さて、私たち夫婦は程無くして小学校の校門をくぐった。そのまま運動場を突き抜け、体育館の入口へと向かった。

 保護者でごった返す中、無事、スリッパをゲットし、二つ並んで空いている席を見つけた。

 着席すると、ちょうど私の前の席には山下まこと君のお母さんが座っていた。まこと君もマナのクラスメイトだ。

一声掛けようと思ったのだが、山下さんが所持してきたデジタル一眼レフカメラに電池を入れたり、メモリーカードをセットしたりと悪戦苦闘中だったので、やめにした。さっきの後藤さんのことが頭にちらついたことも理由の一つかもしれない。

 暫くすると、校長先生が壇上に上がり、保護者への挨拶が始まった。ザワついた中、誰も話なんか聞いちゃいないのはお約束だ。私もまともには聞いてなかったのだが、なんでも、今日、参加できなかった生徒がいるらしいが、その子の分までみんなで頑張ろう、というようなことだった。手短に話を終えた校長先生は、そのまま引き続き開会宣言をされた。

体育館の天井のライトが暗くなり、今年度の学芸会が始まった。薄暗い中、響き渡る観客席からの拍手。

 まずは、一年一組のハーモニカ演奏と合唱から始まり、プログラムは順当に進んでゆく。

 そしていよいよ六年生の部に突入した。一組、二組が終了し、次は三組、マナのクラスだ。ワクワクするなぁ。がんばれ、マナちゃん!

 三組の出し物は歌劇「マッチ売りの少女」である。

 ここ何日もマナは張り切って、自宅でもみっちり練習していた。思えば、いじメイトたちを完璧な演技力で見返してやりたいという思いもあったのだろう。果たして、その成果やいかに。

 舞台の上では六年三組の一同がそれぞれの役になりきって演じている。ところが、どういうことか、主役の少女はゆかりちゃんが演じていた。あ、いや、ウチの娘もいる。ゆかりちゃんに隠れてよく見えなかったのだが、マナもちゃんとマッチ売りの少女の役を熱演していた。ダブル主役ということか。大方、後藤さんから担任の先生へ猛烈なクレーム&要請でもあったんだろう。まあ、あの人らしい。チラと横にいるママへ目で合図し、二人で苦笑いをした。「パパ、これでいいじゃない?」「うん、平和的解決だよ」

 でも、演技自体はマナの方が数段上手いって、親バカか。 

 そこへ山下まこと君が舞台上手から現れた。マッチ売りの少女が何とかしてマッチを買って貰おうと粘るのだが、けんもほろろに断って立ち去る老紳士の役だ。 

舞台中央でマナ、ゆかりちゃん、まこと君がそれぞれの役になりきって演じている。夜のシーンなので、中央を照らすスポットライトも少し光量を落とし、薄暗くなっている。

 そこを山下さんがデジタルカメラのシャッターを押し、フレームに収めた。私もカメラを持ってくるべきだったと反省した。何ということ。まあ、山下さんに言って、後で何枚か分けて頂こう。

 山下さんが今撮ったシーンをデジカメの裏側一面にある液晶モニターに映し出し、映像チェックをしていたので、私も首をひょい、と伸ばし、後ろから見させて貰った。

 うん、いい演技で、よく映っている。やはり、主役はわが子だ、他の子たちより光って見えている。

「キャーー!」

 不意に山下さんが大声で叫んだ。静まっていた体育館だから、その叫び声はよく響き渡った。「な、何い、これ、どうして、マナちゃん!」山下さんの大声は収まらない。壇上の子供たちも演技どころではなく、立ち往生している。学芸会がぶち壊しだ。

「山下さん! 一体、どうかしましたか」

 私は山下さんに声を掛け、落ち着かせようとした。が、山下さんには私の声がまるで聞こえていない様だった。

「し、写真に、マナちゃんが映っているのよ……」

「ええ、そりゃ、映ってますよ、うちの子も。みんなと一緒に舞台にいるんですもの。とにかく、少し落ち着きましょう」

 ママも声を掛けているのだが。

「し、死んでいるのに、マナちゃん、死んでいるのに写真に写ってるぅ。し、心霊写真よこれ……。い、嫌だぁー!」

「えっ」

「えっ」

 そうだ私は思い出した。

 それは昨日の夜。

 家族揃っての晩御飯を食べ終えた後、マナは「学芸会の最後の練習するね」と言って、自室に籠っていった。その時、マナは本当にマッチに火をつけてしまい、それをカーテンに移し、火事を起こしたのだ。それに気づいて、必死に消火活動をする私と妻に、泣きながら呆然と座り込んでいたマナは、みんなのいじめがつらい、家を燃やして自殺するんだと叫んだ。火消作業もむなしく、あっという間に我が家は全焼、私たち三人は焼け死んでしまったのだ。

 だが、本当に舞台に立ちたかったという無念、娘の活躍する姿を愛情をもって見届けたかったという未練、それが叶わぬ深い絶望が、私たち親子から「死の事実認識」を遠ざけていたのだった。

 壇上に目をやると、自分はもうこの世に存在しないことを気づかされたマナは、悲しげな表情のままうっすらと消えて無くなりかけていた。

「ママ……」

 ママを見ると、首から下がもう、ほとんど消えていた。

「パパ……」

 ママの私を呼ぶ声は、すっかり消えた私の耳には全く聞こえない。

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